好きなラジオパーソナリティが、好きだと公言する本を読む
先日『成瀬は天下を取りにいく』と、その続編『成瀬は信じた道をいく』という2冊の小説を読みました。成瀬あかりという、大津市に住む風変わりながらも堂々とした女の子と、成瀬のそうした人柄に惹かれた人々による、さわやかで登場人物への愛情に満ちた小説でした。
この小説を読んだきっかけはTBSラジオ『爆笑問題カーボーイ』で太田光さんが面白かったと話していたことでした。『カーボーイ』の冒頭のフリートークは、太田さんが見たり読んだりした小説やドラマなどの作品を紹介することが非常に多く、この「太田評」は番組の魅力の一つであり、私がこの番組が好きな理由の一つでもあります。
太田さんに限らず、「好きな芸能人が好きと公言する作品に触れる」というのは非常に意義のあることだと、最近よく思います。作品を「楽しむ」「味わう」ことは、ものすごく難しいことではありませんが、かといってまったく簡単なことではありません。
好きな芸能人が好きと公言する作品に触れるのは、「人柄」から「作品」を知れるような気がします。自分の大好きな芸能人は、どういった所に感銘を受け、どういった描写にハマったのか、そうした思いを巡らせることにより、作品に対して「より楽しく深く」触れることが出来ると思っています。作品に対して「心強い味方」と共に楽しむ感覚が加わる気がします。
こうした発想は“タイパ"はよくないかもしれません。作品を「知る」だけなら、もっと効率のいい方法があるかと思います。一方で「楽しむ」「味わう」という行動に対して、時間や効率なんてものを気にしなくていいように思うのです。
「悪銭身につかず」という言葉がありますが、簡単に得ようとした知識や教養は、簡単に忘れてしまう気がします。反対に、じっくりゆっくり身体に染み込ませ、その「じっくりゆっくり」の時間さえも楽しめた物は、自分の中で深く根を下ろす、力強く、豊かな存在になる気がします。
もちろん今回の話は、「ラジオで知った小説」に限った話では無いのですが、この「好きな芸能人が好きと公言する作品に触れる」の意義を一番感じるのは、好きなラジオパーソナリティが好きと公言する本を読むことだと、個人的に勝手に思います。
ラジオも読書も、限られた情報源から受け手が思いを巡らすメディアです。それゆえかなり相性といいますか、好き・嫌い、ハマる・ハマらないがハッキリと出るメディアです。
しかし、だからこそ、自分の感性にピタッとハマった時の感動はひとしおだと私は思うのです。
『カーボーイ』含めて、あらゆるラジオはパーソナリティの声しか届きません。しかし声色だけでも十分すぎるくらいに喜怒哀楽は伝わります。小説に至っては、文字の連なりでしかなく、登場人物が実在すらしないのですが、にもかかわらず、私の頭の中で成瀬とその周囲の人々は、脳内の大津市で活力に満ちた物語を繰り広げています。
現代のメディアの速達性を否定するつもりは全くありませんが、時にはこうした「じっくりゆっくり」も、大いに人生の味方をしてくれると信じています。
以前『爆笑問題カーボーイ』について書いた記事です
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