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テレビ埼玉と夕焼けの中の『あしたのジョー2』

(初出:旧ブログ2018/05/23)

 Twitterで少しだけ『あしたのジョー』が話題になっていた。平成生まれの自分にはもちろん世代ではないのだが、小学生のころテレビ埼玉で18時から平日毎日(野球中継がある日はそちらを優先)古いアニメを再放送していたラインナップの中に『あしたのジョー2』もあったので(ほかにも『巨人の星』、『侍ジャイアンツ』、『赤き血のイレブン』、『キャンプ翼J』、『鉄人28号』など)なつかしい気分になった。スポ根漫画の根は「根性」の根であるが、『あしたのジョー2』は根性というより哀愁や暗さ、いわば「サウダージ」という香りの作品だった。

 作品は力石徹というライバルを亡くし、ボクシングを遠ざかっていた矢吹丈が泪橋に戻ってくるところから始まる。始まりからしてすでに「喪失」というアンニュイな幕開けなのだ。ジョーはおっちゃんやマンモス西に囲まれ、ボクシングに身を投じるが、北野映画ばりの寒々しさがあるのは、あまりにも有名な「真っ白に燃え尽きる」ラストという破滅へ一歩一歩近づいていくところから来てるのだろう。
 脇を固めるキャラクターも影があった。ジョーに好意を持ちつつボクシングだけに生きるストイシズムに理解できなかった紀子、ジョーよりも先にパンチドランカーを患うカーロス・リベラに、戦争のトラウマから潔癖症の冷血漢になったボクサー金竜飛。そして力石に続いてジョーまでも失う際に立たされる白木葉子と、平成の漫画やアニメにはない暗さがリングの傍に見え隠れするアニメだった。

 18時といえばちょうど夕暮れ時。オレンジ色の西日が差し込み、カラスが声高に鳴き、どこかの家の晩御飯の匂いが漂ってくる時間だ。24時間のうち、1番『ジョー2』のサウダージが際立つ時間帯だったと思う。夜になっていく空を背景に、一瞬の栄光のために青春を燃やすジョーの背中を見ながら、一緒に見ていた兄と自分の「あした」をぼんやりと考えた。
 この文章を書くにあたって当時のことを様々に思い出しつつ書いたが、10年以上前に一度しか見ていないはずの『ジョー2』の記憶がかなりはっきりと思い出せることに驚いた。その後自分はアニメを離れ、現実のスポーツ選手、特に三浦知良、白鵬翔、浅田真央、キミ・ライコネンといったストイックに競技に向き合うタイプのアスリートを応援するようになるが、結構自分の中で『ジョー2』の影響は大きかったのかもしれない。
 
 完全な余談になるけど、「我々は明日のジョーである」「じゃあ俺は巨人の星だ」「そういうコトじゃねえよ!」、という小噺を思いついて、まったくウケなかったことがある。元ネタは近くの50前後の人に聞いてください……。

#アニメ #テレ玉




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