時間かけてきた事
こんな時間になってしまいました。
この夜なにをしていたかと言うと、先日の妄想話の1人作戦会議をしていました。
募金の妄想をしていた件だったのですがね。
ミサンガ1本作るのに結構時間がかかるなぁと思って…。もっと簡単なものはないだろうか?
そんなことを考えていました。
意外なことに案外…
苦手だと思っていたものが簡単にできるかもみたいな発想になって面白かったです。
とは言え、1人作戦会議、結構時間がかかりました。
もっと楽しもうと練ることだったり、簡単にすることだったりって、それなりに時間がかかったりするなぁと思いながら、この時間を過ごしていました。
今日、障害ということについても考えていました。
先日友人が障害と痛みと言う言葉を並べていて、その時はぴんとこなかったのですが、今日なんとなく焦点が合ってきてなるほどなと思いました。
我が子には知的の障害がありますが、家にいるときはあまり障害と言うものを感じたことがありません。
そして、昔よりもずっと障害と言う事を意識する時間が少なくなっているような気がします。
さらに言えば、子供自身が障害と言う事を意識する時間も、痛みとして感じる時間もあまりないような気がしているのです。
多分子供は、別に障害児とか障害児じゃないとか思っているわけではなく、普通に子供なんですよね。
生活に何かの困難があって、体の痛みや心の痛みを感じたり、する時がある。そんな時に障害があると言えるのですよね。だから、障害物を取り除くように生活をしていくって、やっぱりずれているんだなって思いました。
そうそう、話が全然ずれてしまいましたが、生活をより楽しもうとか簡単にしようとか…
やっぱり時間がかかるものです。
子どもと向き合う中で、障害を意識もしない…という今この時まで、私… 時間かけてきたなって思いました。