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「ミッドライフクライシス」かもしれないけれど……ぼや~んとモヤッているアラフィフの日々から、私はこうやって脱却しようと決めた。さあ、どうなるか。


着たい服が、よく分からない。

毎朝クローゼットを開けるたびに、「着る服がない」と思う。

服はあるけれど、どれもちょっと違う。
体型と違うのか、気分と違うのか、ちょっとそのあたりのことも、自分ではよく分からなくなってしまっている。
それぞれ、好きで買った洋服たちだけど、なんか違う。

最近は、何が食べたいのかもよく分からない。
ついでに言うと、どこに行きたいのかも分からない。

つまり、

私、自分のこと全般が、よく分からなくなっている。

なんか、やばいんじゃないか私、と、うすーーーく思っている。
本格的なやばさじゃなくて、普通に生活はできるけれど、なんか無気力というか気持ちに張りがないというか。

自分は、何も成し遂げられなかったような気がするなあという思いが、じっとりと静かに確実に、私の身体を侵食している感覚が、ある。あんまり白日の下で認めたくはないけれど、たしかに、ある。

団塊ジュニア世代の競争社会のなかで、高学歴女子だった私。

私は、団塊ジュニア世代で、第二次ベビーブーマー。つまり、ものすごく子どもの数が多く、なにもかもが競争の中で、地方のいいと言われる学校から東京のいいと言われる大学に進学し、いいと言われる会社に入った。

ただその後、そのいい会社を何も考えずに衝動的に辞めたところから、人生がこれまでとは違うものになっていった感じがある。

その後、それなりに仕事の成果も出したし、それらにはとても満足しているけれど、それらは過去のことであり、今現在、今この瞬間の私が、自分をそんなに誇っていないというか、なんか、ものすごーく簡単に言うと、今の私は自尊感情とか自己肯定感が低いんだな、と思う。

今この瞬間の自分を、そんなに認めていない日々がずっと続いている。
そうか私、5年くらいずっとぼんやり自分のことを認められないまま生きてきたんだなあ。

もしかして、ミッドライフクライシス?

そんな折、偶然見た「クローズアップ現代」で、初めて「ミッドライフクライシス」という言葉を知った。

クロ現やWikiによると、ミッドライフクライシスではさまざまな感情を抱くようなのだけど、そのうち、以下の3つが、ものすごく「分かりみー!」って感じで、久々に何かわくわくするような高まりを覚えた。

 ・達成する事の出来なかった物事への深い失望や後悔
 ・より成功した同輩・同僚に対する屈辱感・劣等感
 ・自身の経済的状況や社会的ステータスに対する憂鬱、不満や怒り

全部、めちゃくちゃ分かる!
そして、これを読んだとたん、なにかが少しすっきりしちゃったりもした。

そうか、私は、達成することができたはず(と自分が思っている)物事を達成できなかったこと、それによって得られるはずだった経済状況や社会的ステータスが得られず、同じような学歴を経てきた友人たちが今や経済状況や社会的ステータス的に大きな差ができてしまった(自分のほうが下)ということに大きな失望や後悔、屈辱感、劣等感、憂鬱、不満、怒りを持っているのか。

具体的に言うと……
あのままあのいい会社にいたら、今や年収も貯蓄もかなりのものになっていただろうし、社会的ステータスも分かりやすくものすごく高いものがあったはず。
同期の肩書きを垣間見ることがあるんだけど、それはそれは社会的ステータス的にもどーんとアッパークラスぅ!
私にもそういう人生があったんだなあ。
でも、それを衝動的に手放してしまったことで、手にすることができなくなってしまった。

宇多田ヒカルの言葉が沁みる。

ここ数日、そんなことをなんとなく頭の中に置いて過ごしていたところ、ふと、少し前にXで見た言葉が浮かんできた。

望んでいたのと違うできごとによって人生が分岐してこっちに来たけれど、そういう、望んでいなかったものも含めたこれまでを全部集めたことで今の自分ができあがっているのなら、それもいいのでは。

というような言葉。
なんだったかな、と思い出し、ああ宇多田ヒカルの言葉を起こしたものだったはず、と思い出す。

検索すると、出てきた。

無許可でコピペさせていただきました。ありがとうございます。

じっくり何度もこれから読みたいと思っている。

経済的な豊かさと社会的ステータスは、やっぱりほしい。

順調にトントンと進んでいた私の学歴と最初の職歴(と、その先のあの会社での人生)という綺麗でスマートな人生を失ったと思っているということは、そういうものを与えられていたんだな、私は。

たしかに、勉強ができるっていうのは生まれ持ったものだった(もちろんそれをベースにある程度の努力はしたけれど)わけで。
ただ、与えられていただけのもの。

それに対して、その後に人生は綺麗でスマートなものじゃなかったけれど、そういう人生だからこそ感じたこと、出会えた人、味わった思いとかがあるんだよな、と。

ということで、なんというか、思想とか考え方の部分では、なんだか納得&すっきりした。

あとは、物質的なもの、つまり、経済的な豊かさと社会的ステータスだ。
ものすごく俗っぽいけれど、大勢の同い年の子たちとずーっと競争し続けてきた&比較的勝ち続けてきた私にとって、経済的な豊かさと社会的ステータスは、やはり、今もまだほしいもの。
これがないと、結局はすっきりしない。

だったら、取りに行こう、と思う。

経済的豊かさと社会的なステータスを手にするために。

収入と社会的なステータス。
ちょっとここには書かないけれど、これから1年くらいをかけて、大逆転していくぞーーーと思っている。
戦略を(ざっくりだけど)立てました。

よし、俺はやるぞ俺はやるぞ。
収入と社会的なステータスを手にするぞ。
そうすれば、全方位的に気持ちがすっきりとした人生を送ることができるから。




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