月組の読書会『グレート・ギャツビー
思わせぶりなタイトルになってしまったので、はじめに説明を。これは、「もしも宝塚歌劇月組の演者さんたちが催す『グレート・ギャツビー』の読書会があったなら、オブザーバーとして参加してみたいものだ」という話です。
宝塚歌劇をよくご覧になる方はご存じだと思うけれど、月組は本当にお芝居がいい。
特に月城かなとさんがトップに就任してからというもの、『ダル・レークの恋』『川霧の橋』『今夜、ロマンス劇場で』『Rain on Neptune』『グレート・ギャツビー』と、見事なまでに芝居にハズレがない。
正直、ほかの組にもこの作品クオリティを分けてあげてと思ったりもするけれど、実際に月組の舞台を見ると、「これがベスト。月組でよかった」と思える仕上がりになっているので、そうなると「分かりました」と引き下がるほかはない。
最近の宝塚は、組の特色を打ち出そうとしているし、月組は「芝居」で行くのだという劇団の強い意志を感じる。
いま東京宝塚劇場で公演中(2022年10月9日まで)の『グレート・ギャツビー』も素晴らしかった。
ギャツビーにとってデイジーとはどんな存在であるのか。デイジーにとってのギャツビーは? ニックをどう描いているのか? ギャツビーが求めたものはなんだったのか? それは手に入れることができたのか?
原作小説が好きなので、つい、そんなことを考えながら観てしまうのだけれど、月城ギャツビーの行動、セリフ、表情の一つ一つが無理なく入ってくる。風間柚乃さんのニックをはじめ、ほかの出演者もすばらしかった。
多くの人が絶賛しているように、月城かなとさんの役の読み込みが緻密で、表情やしぐさの一つ一つに感心してしまう。
『歌劇』誌の座談会はまだ読んでいないけれど、「タカラヅカニュース」の公演前インタビューか何かで、「小池先生の描くギャツビーはロマンチスト」と言っていて、神の視点で見ているの? と、小さくない衝撃があったのだけど、『LOCK ON!-スター徹底検証』では、「どうしても作品全体が気になってしまう。共演者のお芝居が変わったら、拾わなければと思う」みたいなことを話していて、さらなる衝撃を受けた。
いや、それ、ほとんどの場合、逆じゃない? 主役の芝居に周りが合わせるんじゃない?
でも、そこに月組の芝居がいいといわれる理由があるんだろうな。
月城さんだけじゃない。月組の舞台は、どんな作品でも、演者たちがみんな役を生きている。舞台上にいるすべての人に人生がある感じ。
作品の成り立ちによってアプローチの仕方は違うだろうけれど、この『グレート・ギャツビー』なら、フィッツジェラルドの原作小説はもちろん、関連書もしっかり読み込み、映画なんかも観たりして、時代考察もそれぞれ進めているだろうことが、舞台から伝わってくる。
脚本の読み込みも深いんだろうなあ。月城さんが話していたような「作品全体をつかもうとする心構え」みたいなものが、自然にできあがっているんじゃないかと想像する。「読書会」とか「ホン読み会」とか改まってしているわけではなくても、そういうようなことが稽古場で行われているのではないかと想像する。
これは真剣に思っていることだけど、宝塚歌劇月組の演者さんたちで「読書会」を開催したらいいのにと思う。司会はもちろん光月るうさん。『100分de名著』の伊集院光さんみたいなポジションで、読み込み巧者の演者さんたちに出席してもらう。スカイステージさんで番組にできると思うんだけどなあ。ぜひとも。
そんなことまで考えてしまったくらい、月組の『グレート・ギャツビー』は原作小説の世界を大切にしていたと思う。
舞台を観たあと、無性に『グレート・ギャツビー』を読み返したくなった。実際に読んでみたら、改めてフィッツジェラルドの書いた『グレート・ギャツビー』のすばらしさに気づかされた。これほど色彩にこだわっていたなんて、宝塚版の『グレート・ギャツビー』を観なければ気づかなかった。
さらに、宝塚版の『グレート・ギャツビー』の舞台の記憶も、より色彩的に、立体的になっていった。
ギャツビーが立つ入江の明けていく空の色。デイジーの住む邸に灯る緑色の灯火。ギャツビーがでデイジーに出会ったパーティーでの娘たちの色とりどりのドレス。デイジーの白いドレス。赤い一輪のバラ。ギャツビーが誂えた色とりどりのシャツ。デイジーがギャツビーを閉じ込めたいと言ったピンク色の雲。ギャツビーのピンク色のスーツ。灰色の町。灰色の自動車工場。青い車と黄色の車。白い一輪のバラ。
ギャツビーが偉大なのは、どんなことが起ころうとも自分を蔑むことをしなかったからだと思う。そして、自分の信ずる光に手をのばし続けた。それが永遠に手の届かないものであっても。
そうした人としての美しさを、月城さんのギャツビーは表現していたと思う。
宝塚版の『グレート・ギャツビー』は本当にいい舞台でした。タイトルと関連付けるつもりはないけれど、いってみれば、この『グレート・ギャツビー』という舞台が「月組の読書会」のようだったといえなくもない、かもしれません。
個人的に残念だったのは、デイジーのいくつかの場面とニックの扱いだ。
デイジーは、初演の鮎ゆうきさんの印象がいまだ鮮やかに残っていて、そこにとらわれてしまっているのかもしれないけれど、「女の子はバカな方がいい」のくだりには、美しさや富を持って生まれてきた者の悲しみがもっと感じられたほうがいいと思う。マートルとの対比が出るように。
ニックについては、小説は、ニックが幼い頃に父に聞かされた言葉から始まる。この言葉と、最後にニック自身が語る二つの言葉があってこそ、ニックの視点があってこその『グレート・ギャツビー』だと思うから。
でも、ニックを演じた風間柚乃さんがすばらしい演技で、ニックの視点を十分に感じさせてくれた。風間さんは、フィッツジェラルドを題材にした『THE LAST PARTY ~S.Fitzgerald's last day~』(2018年 作・演出/植田景子)でも、フィッツジェラルドの研究本を読む学生の役で出演し、村上春樹の本からの引用を読み上げていた。思えばあれもニックの視点だった?
とするならば、風間さんでいつか、ニック版の『グレート・ギャツビー』をと、願わずにはいられません。
あくまでも自分の中でのことだけど、あの入江のように小説と舞台を行き来するのはとても楽しく、少しだけど、ギャツビーという人に近づけたような気がしている。新人公演を入れて、あと2回観劇の予定があるので、前回追えなかったところを見るのを楽しみにして…。
配信で見た大劇場の千穐楽で、月城さんがグランパレードで左耳に付けていた緑色の耳飾りがとてもきれいでした。ギャツビーの希望の色。この間の観劇では見るのを忘れてしまったので、ここもちゃんと見なくちゃね。
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