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東京旅行記、あるいはダンスパーティーにまつわる三日間

朝焼けの中の、風見鶏の時計のシルエットに足を止める。
11月23日早朝、羽田行きの飛行機に乗るために、わたしはポートライナー三宮駅への階段をのぼっていた。
スマホで、写真を一枚撮る。
もうしばらく、立ち止まっていたい気分だった。

24日には、すべてが終わってしまうと思っていた。

これは、何も終わりじゃなかった、という、少しまぬけなお話だ。

1 羽田から夜泣きそばまで

羽田空港でハッシュドポテトを頬張りながら、東京で行きたい場所リストを脳裏に浮かべていた。
飛行機も数年ぶりだったが、朝マックもそれなりぶりだ。夜勤で働いていた頃を思い出す。仕事帰りのチキンクリスプマフィンは、特別気に入っていた。
レタスのある方とそうでない方、どちらが上だったろうか。
まあいいか。食べ終えた包み紙をぐしゃりと丸める。ファストフードの作法だと信じている。

適当に電車に乗り、このへんだろうとあたりをつけて適当に降りる。歩いていようと思った。
歩くことはアイデンティティのひとつだ。
去年の秋に買ったマーチンは、すっかり相棒として活躍している。
万年筆を一本、組み立てるつもりでいる。
たくさんの色のパーツから好きな色を選んで、自分だけの万年筆を作る、ということができるお店が少し前にできたのだと聞いていた。
開店まで、まだ少し時間がある。
歩きながら、何色がいいか考えている。
東京は広くて、平らだった。
どこにも山も海も見えないことが、少し不安だ。


ポイントカードを断ることはいつも心苦しい。
旅行なので、と伝えると、どちらから、と尋ねられる。神戸からです。ああ、神戸、親戚がいて、子供の頃行ったことあります。
コーヒーが淹れられるのを待つ間、店員さんと軽く言葉を交わす。
東京、コーヒー、浅煎り、のワードで検索すると、見つかる店舗がいくつかある。その中でも、特に言及されていたカフェだ。
ずらりと並んださまざまなコーヒー豆、たくさんの抽出器具。
わくわくと、期待とともに、カップの載ったトレーを受け取る。良い雰囲気の店内、道路に面したカウンターに腰掛けた。
写真を一枚、コーヒーの表面に映った青空がきれいだ。
青空が溶け込んだコーヒーは、熱い海を吹き抜ける、さわやかな風の風味がした。

コーヒーが半分ぐらいになったときに、店内に流れている音楽がわたし好みのものだと気づく。ギターがぎゃりぎゃりと鳴っている。何の曲なのかまではわからない。
音楽に詳しいひとなら、いま流れている曲のことも知っているのだろうか。
4人がここにいたら、似合うだろうな。泡のように浮かんだ想像を投影する。
笑っているといいな。
コーヒーを飲み干せば、幻は消えた。

路線図をしばらく凝視する。たくさんの駅名の漢字とローマ字の表記がつるつるとすべっていく。
こんなに知らない名前の駅がたくさんある、と思うと、どこか適当に降りた駅が違う時空であったとしても、何も驚くべきことではないようにさえ思えた。
自動改札にICOCAをかざす。居座っていた7円の端数が、ずっとすわりが悪かった。

魅力的な色がたくさん並んだ店頭、さて、どんな万年筆にしようかとわたしは思案をする。
胴軸とキャップは同じ色の方が好みだ。開けたときに、ぱっと目を惹くような意外性があると、きっと楽しい。
せっかくだから、彼らの楽曲にちなんだものにしようと思っていた。
ZERO TAKESのジャケットを思い浮かべる。
あの白の中に、何色が見えたっていい。
胴軸とキャップを白に、尾栓と首軸はクリアパーツ。金具は金色にした。
白い軸の万年筆からは、どんなインクが出てきても楽しいのだ。

ばらばらのそれらを店員さんに渡す。組み立ててもらう間、ショーケースを眺めていた。
60年ほど昔の万年筆が、当時の広告と一緒に展示されている。レトロ、という乱暴な分類をするにはもったいないほど、生々しい実物だ。
黒と銀色が都会的な印象。跳ねあがったようなペン先。ペン芯の櫛溝が現代のものより粗い。キャップのクリップの美しさ。プラスチックと思しき、軸の劣化が見てとれる。胴軸に付いている金属パーツは何のためのものだろうか?
手に取ってもっと眺めていたい。実際にインクを入れて、筆記具として使ってみたい。好奇心が鎌首をもたげている。
ショーケースの中で眠っている彼に、触れることはできない。彼の生きた時代を想像する。匂いがする。セーラーのインク特有の、灰色の絵の具の匂い。
白い万年筆を組み立て終えた店員さんが声をかけてくれる。写真、撮ってもいいですか。訊ねると、笑顔で、ぜひ、と頷く。
彼女も万年筆が好きなのだな、きっと。
数枚写真におさめて、スマホをしまう。黒い万年筆を、馥郁とした余韻にも似た心地でもう一度眺める。
隣のショーケースには、新製品発売予定、と、カラフルな万年筆が並んでいた。

予約の日付を1カ月間違えていたことが判明したのは、ホテルのフロントでのことだった。
幸い予約したのと同じタイプの部屋に空きがあるとのことで、無事宿泊はできたのだが、わたしはしっかりと反省をした。
ベンチで反省しながら待っていると、お部屋の用意ができました、と鍵を渡される。きちんとお礼を言って、部屋に向かった。
繰り返し地下鉄に乗るうちに、ホテルの予約の日付だけ、時空の隙間に落としてきたのかもしれない。益体もない空想をしている。

荷物を部屋に置き、ベッドの寝心地を確認して、館内着に着替え、大浴場へ向かう。
16時、人はいない。のんびりと湯に浸かり、スカイツリーが虹色にかがやくのを眺めていた。
東京スカイツリーを、露天風呂から眺める日がある。想像もしないことが起こるものだ。
お風呂上がりにおひとつどうぞ、と置かれていたアイスを食べる。そういえば、ちゃんとしたご飯を食べていない気がする。持参したブロック状の栄養補助食品を腹に入れる。
予約の取り直しにはなったが、朝食付きのプランだ。時間を確認しておかねば、と、フロントで渡された案内の紙を見やる。
夜泣きそば、の文字に目が止まる。
小ぶりで簡素なラーメンを、夜間に提供しているらしい。

前日の夜は、ろくに眠っていなかった。
帰宅し、荷造りを終え、2時間ほどの仮眠ならとれると横になって、結局まどろみすらせずアラームの音を聞いた。
宿の予約をしていたのも、風呂を早めに済ませたのも、睡眠をとるためだ。
睡眠導入剤を飲み下し、スマホと充電器を持って布団に潜り込む。アラームは朝食の時間に合わせて設定した。
もし目が覚めて、夜だったら。
感情という子供に言い聞かせ、眠りに就く。

睡眠リズムの急激な変化のせいか、感情が駄々をこねたせいか、22時ごろに目が覚めた。
半玉ほどの醤油ラーメンがなぜこんなにおいしく感じられるのか考えている。
食べたい、と望んでいたからだろうか。

2 氷の海をゆく船の記憶

コーヒーを注文すると、関西のほうからですか、と訊ねられた。
昨日と同じカフェの、昨日とは違う店員さんだ。訛っていた自覚はなかったので少し驚く。
ライブ見に来たんです、今日。武道館ですか。いえ、ゼップで。
世界中で、毎日、数えきれないほどのライブがある。解散だって活動休止だって、きっとたくさんある。寂しかったり悲しかったりする人も、同じようにたくさんいるのだろう。
だからといって、何が変わるわけでもない。
今日のわたしの気持ちは、今日のわたしだけのものだ。
昨日と同じ産地の、品種の違うコーヒー。フルーツのような甘い風味だった。

ゆりかもめはぐるりと地上を旋回し、螺旋状に高度を上げて海の上を飛んでいく。
車窓の外を眺め、渡り鳥の視界を思う。快晴。窓の隙間から風が通っていく。海のにおいがする。わたしはユリカモメになっていた。
砲台が据えられていたから、台場、と呼ぶのだと聞いたことがある。ダイバーシティ、という施設の名前は、言葉で遊んでいるようでおもしろい。
会場を確認し、海のほうへ歩いていく。

初代南極観測船、宗谷。
戦争を乗り越えて、改装を施され、幾度も氷の海を渡った船。この大きさで、という驚きには、少しの憐憫が入り混じっている。
当時のままの船室を、ガラス張りに変えられた扉から覗いている。
古い本棚、おさめられているのも当時の本。背表紙の書体が雄弁に時代を物語る。
部屋の中に立っている人形がなにか会話をしている。声はわたしには聞こえてこない。
どこか遠い世界のようだった。疎外感とともに、船の中を歩いている。
解説のパネルに印刷された写真と、再現するようないくつかの人形。人々の生活の痕跡。食堂、治療室、居室……
暗室。撮影した写真を現像するための部屋。彼らの日々と自分の立っている船が、ばちりと音を立てて、線で繋がれる。
どうして、わたしがこの船の当時の様子を知れるのか。記録を残した人がいる。
ーーなに撮ってるんだ。記録だよ。こんなに暑いのに。赤道下を通るときは暑かったんだって、おまえがそんな格好をしている写真があれば、一目でわかるじゃないか。
ーータケシの写真を撮るのか。たしかにオスの三毛猫だって記録を残しておきたいだろう。じゃあおれが持ち上げるから、おとなしくしてるうちに撮れよ。
古い写真の奥から、たくさんの声が聞こえる。
船に賑やかな笑い声が満ちる。今日の食事は何だ、と言葉を交わしながら、人々が廊下を行き交う。暗室で黙々と作業をする人がいる。
60年後のわたしは、写真越しにその人を見ている。

物販での買い物を終えたわたしは、宗谷のそばでぼうっと時間を過ごした。
記録を、記憶を、残しておこうと手を尽くした人々のことを考えている。
日の沈みかかる空に星がひとつふたつ見える。写真を撮ろうとスマホを向けると、レンズが汚れているのか、星がふたつほど増えた。
実物こそ本質であると言い切ってしまうのは簡単だ。ただレンズを拭いてしまえばいい。
でも、ただの偶然の重なりに、なにかしらの意味を見いだそうと思索を巡らせることは、楽しい。
星のふたつ増えた宇宙にある船を、写真におさめる。
今日の記憶だ。

両脇からの照明が、二点透視図法の奥行きを持ってゆらぐ。やわらかな襞が、光の筋に影を描く。
ぎっしりと本の収められた本棚があった。
紗幕に投影された、ただの光だと分かっている。けれど、わたしが本だと信じれば、それは本であった。
一冊、背表紙に指をかけ、すい、と表紙の擦れる音を聞く。落ちるように、白い本は手の中に収まった。表紙を撫でる。白紙。
ゼロ。Go Back to Zero。
ゼロという概念は、歴史上では遅れて発見されたものと言われている。
彼らは、15年をかけて見つけたのだろうか。
THE PINBALLS 15TH ANNIVERSARY。
15、という数字が、0の形に丸く整えられたロゴを見ている。
座っていると、いろいろなことを考えてしまう。

スクリーンに記憶の文字が流れていく(どうして、いつものようにはじめてくれない)。
忘却の音が流れていく(椅子があるのだって、ほんとうは息苦しい)。
エンドロールのようだった(頼むから、終わりだなんて、思わせないでくれ)。
この夜で、終わりなのだ(この夜が終わるまででいいから)。
泣きだしてしまうかもしれなかった(絶対に、泣いたりなんてしたくない)。

流れていた時が止まった。2021年11月24日。影が映る。ギターの音。
ウィリー。
立ち上がる。紗幕が落ちる。
わたしの目の前に、躍り出る雷があった。
そうだ、その音は、何度だって心臓を掴んでいく。
流星の尾が残していくたくさんの星屑が、きらきらとかがやいている。
目の前にある、それだけでよかった。
立ち上がった拍子に肩から落ちたタオルのことは、忘れてしまった。

わたしは踊った。腕を振り上げて、体を揺らした。
彼らの音に、ロックンロールに。
その表情を覚えている。音を覚えている。声を覚えている。光を覚えている。言葉を覚えている。
いつか忘れるまでは、覚えている。

中指と薬指ではさんだタバコに火をつける。
ふうと吐いた煙は、夜の風が連れ去っていった。
今日の宿がないことを考えている。全部終わってしまうのなら、眠る場所なんて、なくてもいいと思っていた。
明日も、同じカフェに行こう。スマホを取り出し、最寄りの駅に近いカプセルホテルを探す。
なにも終わりなんかじゃなかった。彼らが、笑っていたから。
帰ったら、来年の手帳を買おう。

3 竜のしあわせに関して

来し方を振り返るニッポニテス、という文字列が手帳に走り書きされていて、おまえは何を見たのだ、と万年筆に訊ねる。返事はない。
閉館時刻になった国立科学博物館からはき出され、電車に乗って池袋に向かっている。

国立科学博物館はとてもすてきな場所だった。
展示のひとつひとつに命が宿っているよう、ただ今は眠っているだけの彼らが、時が来て一斉に目覚めるさまを思う。
草木が土壌を覆い尽くすほどに蔓延り、鳥や虫が飛び交い、時計はでたらめに鐘を鳴らす。跋扈するのは獣と竜。吹き抜けの空間を悠々と泳いでゆく首長竜、アンモナイトは好き好きに漂い、鉱物は眠っていた幾億年の成長を謳歌している。隕石たちは窓を開いて、各々の故郷まで飛び去っていった。
時間切れで、展示のすべてを見られなかったことが惜しい。
また来よう、と手帳にペンを走らせる。
今度はもしかしたらヤードセールの元老にお目にかかれるかもしれないし、白亜紀のラジオを見つけられるかもしれない。


池袋西口で少しぼうっとした後、夜行バスまで時間をどうやってつぶそうか、と考えながら、ケンタッキーに入る。
スマホの充電ができるコンセントとフリーワイファイがあったので、ありがたく接続する。
チキンとビスケットを食べ終え、レモネードをすすりながら、イヤホンを差し込んだスマホで、配信アーカイブの画面を開いた。
本当は、少し恐れていた。アーカイブを見られるかどうか、わからなかった。感情が泣いてしまうなら、やめようと思っていた。
ぽっかりと空いた時間と、池袋のケンタッキーというロケーションは誰かがあつらえたようで、指は滞りなく再生ボタンをタップした。

スクリーンに文字が流れていくところをスクロールする。そのあたりは、少し寂しい気持ちになるから。少し行きすぎて、何度か調整、影が見えたところ。
古川さんの表情、曲ごとにがらっと変わっててすごい。重さのない虹のとき、こんなに楽しそうにしてたんだ。中屋さん見えなくなったなと思ってたとき座ってたのか。way of 春風、何度でも見よう。下手側遠かったから森下さん見られるのうれしいな。やっぱりアダムの肋骨いいな。石原さん、泣いてないよって、泣いてるよ。アンコールのテンベア、指で1、2、3、4、5、ってやるの、楽しかったな。
どの曲も、かっこいいな。感情も、わたしと一緒に踊っていた。ダンスパーティーの夜が良かった、と言う。CDだとピアノだったところ、ギター、かっこよかった。
そういえば、終わりのような曲は、やらなかったのだな。

15年、という歳月に思いを馳せる。
人間なら、高校に進学するような年齢だ。4人、それぞれ別の高校に行くようなものだろうか。

気づけばバスの時刻が迫っていて、あわてて荷物を片付けて店を出る。
東口側って、こんなに遠回りなのか、とグーグルマップを見ながら西口公園を通りすがる。
一人の女性が弾き語りをしている。立ち止まって聞き入っている人が、一人。
救いだといいな、と思った。

博物館の展示のように、眠りにつくわけではない。
彼らのことを考えている。ずっと、笑っていてほしいと願っている。
彼らがしあわせでない宇宙なんて、世界中の博物館に眠る獣や竜がこわしてしまってもいい。

夜行バスの座席は上手側最前列だった。
そういえば、飛行機も上手側だった、とひそかに笑った。

チキンクリスプマフィンを4個、早朝の神戸で買って帰る。
阪神電車の自動改札に表示されたICOCAの残額は、375円になっていた。
またいつか、ゼロになるときもあるだろう。
しばらくは、5円の端数を抱えていようと思う。

後日談 夜の海の鯨

常とひとつずれたバス停は真っ暗だった。去っていくバスに乗客のいないことに気づく。降車ボタンを押す人がいないのも道理だ。
知らない土地でもないし、バス停ひとつ分ぐらいなら問題なく歩いていけるだろう、と思っていたら、側溝に足を滑らせて転ぶ。荷物を確認する。インク瓶は……割れていない。
エイハブという名前の万年筆と、飛行機のラベルのインク、それから来年の手帳。お気に入りの文具屋さんの紙袋をもう一度確かめる。よし、と立ち上がり、ポケットに手を突っ込むと、スマホの感触に違和感がある。左下のあたりが少し割れていた。
まあ、動けばいいか。画面をスライドして、音楽をかける。風の音は、イヤホンをつけると聞こえなくなった。
明日は、祖父の四十九日の法事だ。
わたしの本を、勝手に持っていって読む人だった。

そこそこに車通りのある、海沿いの道をしばらく行けば、砂浜に出る。
よく夜の散歩に来ていた場所だ。
風がどうとコートを打つ。黒い波が押し寄せている。
好奇心の蛇が感情を唆している。今日はきっと一段とおそろしいから、海のそばまで行こう。右上からウォルナット製の鳥がやってきて、危ないからやめなさい、と言う。感情はおとなしく鳥の言うことを聞いた。

冬の間、強い西風が砂を巻き上げて、舗道にうずたかくつもらせる。革靴に砂が入り、ごめん、とマーチンに謝る。
星がよく見える。ああ、街灯が減っているのか。
岬の灯台の赤色はまだ灯っている。
時間は確実に流れている。島も、変わってきている。
それでもまだ、夜の海岸を歩いている。

見上げた空中に、一頭の大きな鯨が漂っていた。
ディテールは曖昧で、ただ、鯨だ、というような鯨だった。目も口も閉じたまま、ぺたりと塗られた青色の巨体を宙に浮かべている。
ずっと、鯨を描いていたのだと、感情が叫んだ。
本物の鯨なんて、見たことないのに。それでも、鯨でしかない、と感情は笑う。
名前は、あい、というのだと、教えてくれた。
鯨はゆったりと宙をたゆたう。
この世のすべてを知っている顔だ。

わたしは目を閉じる。
波の打ち寄せる海岸で、ひとり、イヤホンから流れる音楽を聞いている。

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