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デビュー1周年
2024年11月18日。冬にしてはあたたかい日が続き、数々の服装迷い人たちが街を彷徨う中、私藤都子はデビュー1周年を迎えた。
せっかくなのでエッセイもといブログの体で今を文章にも残しておこうと、いま筆を執っている。
ゆめみた加入がきまってから、私を取り巻く環境はあっという間に変わった。それまでひとり家で絵を描き、寝室にファブリーズをふりまき除霊をし、ときおり庭のハイビスカスのはっぱをつつく生活をしていたのだから当然の変化だ。
デビューした1年前の時点では、実際に己の生活がどうなるのかはっきり理解できていなかった。まさか毎月ライブがあってちゃおプラスで連載ができるなんて。こんなありがたいスケジュールになるとはまったく想像もしていなかった。
あれよあれよといろんなことが始まり、洗濯機に放り込まれたメダカのような目まぐるしい日々。
頭では状況を理解できている分、立ち止まって自分の心をしみじみあじわう余裕がなかったのである。
未経験でピアノなんて弾けるのか!?
YouTube配信なんぞしたことないけど大丈夫か!?
諸々並行して活動する中で〆切を守っていけるのか!?
よろこびよりもあせりやプレッシャーが先行して、私の脳は自動で対仕事戦闘モードへ突入した。びしっとスーツを身にまとった中間管理職の人格が心に常駐するようになった結果、こなした仕事をふりかえって評価するタイミングもなく次!はい次!次の作業!いっけ~!と勢いで進むことがルーティンとなっていった。
そんな中、1stLIVEを経て今後のゆめみたと己の活動の展望を現実的に考えられるようになり、地に足が付き始めたのだろうか。
ここ1カ月ぐらいで急に「あ、自分って夢限大みゅーたいぷのメンバーになったんだ」と、「現実」が「現実味」を帯び始め「実感」がすこし沸いてきたのだ。
おそ!!!!!
以前配信で少しお話したことがあるかもしれない。私は絵を描く仕事だけでなく、しゃべったりステージに立つ仕事もしたいという夢を昔から抱いていた。一方でそれを実現させるのは現実的にむずかしいということも、もちろん理解していた。
仕事というのは自分がやりたいことではなく、他者から求められてはじめて仕事として成立する。「やってほしい」とお願いされなければ、いくら自分でやりたいと言っても仕事にはできない。
特に就職や資格で仕事を得られるわけではない、芸を生業にするには努力や能力以上に運やタイミングの要素がかなり強く必要になる、と私は思っている。
幸運なことに、私は昔から運だけは良い。私がいまここににいることがその証明だ。だからこそ表舞台に立つという己の夢が突然叶っても、自分がその肩書に相応した実力を持っていると思うことができなかった。
肩書に見合うプロになれるよう、これまで私は口だけの言葉でなく仕事に責任をもって行動で示してきたつもりだ。これは一般社会では必要なことだと思う。しかし残念ながら、タレントとしてその姿勢は努力に入らない意味のないことなのだと、この一年間で思い知った。単純な話、自分が実際にどうであるかではなく、自分をどう演出してどう他者に評価されるかによって「社会的な私」は定義されるという話だ。
だが私の魂はそれを拒んでいる。小賢しい真似をせず実力で戦えとこころが叫んでいる。私はずっと自分の殻に篭って絵を描いていた時の気質から全く変われていない。
なのに私がゆめみたに加入できたのは、運良くゆめみたの「イラスト周り担当のスタッフ」になれたからだろう。この確信めいた感覚がずっと脳の片隅に張り付き続けている。
しかしなぜだかここにきて、自分は「メンバーの一員」だったのだという事実が、錠剤が胸で少しずつとけるように胸の中に広がって、ようやく感じることができるようになったのだ。
LIVEでステージに立つ機会やMV撮影など、リアルでの活動が増えたからかもしれない。
運だろうとなんだろうと、私がやりたかったことがいまこの場所で全部できていることは事実で、これは誇張ではなく奇跡的なことだ。
(自分では全く思っていないが一般的にはおそらく)クセが強い私を好きになってくれて、応援してくれて、ともにたのしい時間をつくってくれる人がひとりでもいることがどんなにありがたいことか。
この奇跡に感謝しながら自分にできることをベストを尽くして取り組み、実力が足りないと思う部分があるのなら磨く努力をすることが、いまの私にできることだろう。「社会的な私」の創造を拒否するのであればこのまま地味に日々できることを積み重ねるしかない。
デビュー1周年、スタートラインからすこし進んだところ。昔の私が抱いていたゆめは叶った。しかし叶う前には見えなかったものごとが見えるようになって、かつて輝いていたもののきらめきが幻想であったと知った。いままでの私が理想郷在住の潔癖すぎたのだろう。いま私の目の前に光は見えない。
けれど私は今まで、ゆめという未来への希望を胸に走り続ける生き方しかしてこなかったがゆえに、ゆめがないと生きていけない。
まだ光があるかもしれない場所を探して、またゆめみたい。
ピアノも絵も、もっと技術をつけてもっとうまくなりたい。もっと表現できることを増やしたい。デビュー前から一貫してぶれたことがないこのきもちと、ファンのみなさんからの応援を動力に2年目のスタートをきろうと思う。いつかまた自分にとっての光が見えるようになると信じて。
デビュー当時の自分では考えられなかった状況にいまなっているということは、来年の2周年ではもっともっと活動の幅が広がってたくさんのひとに愛されるゆめみたになっているかもしれない。
いや、「そうする」。
みんなのゆめをかたちにすることが私たちの仕事だろう。