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【劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師】を観たので好きなシーン3つ挙げる

映画を観るのが好きだ。そして、その映画に対する感想を読むのも好きだ。Xもいい、動画も嫌いじゃない。でもいちばんは、ブログの長文感想!!!!
……ということで自分でも書いてみることにしました。
残念ながら、そんなに長くはならないです。長いと時間がかかるし、ズボラな自分は心がくじけてしまうので。無理をしない範囲で書いていきます。でも映画面白かった~!!!という情熱はしっかり込めていくよ!!!!!
(今回はもうずっとこのテンションでいきます)

『忍たま乱太郎』との距離感

小学生の時に観たきりで、好きなキャラは土井先生でした。乱きりしん、土井先生と山田先生、学園長とヘムヘム、食堂のおばちゃん、あとはナメクジ好きな子がいたな、くノ一の方にも三人組がいたな……頭大きい人もいたな…………くらいの記憶。今回の予習で全員出動の段を観てから映画に臨みました。そしたらまあ、面白かった!!


好きなシーン3つ!!


①『私はお前の先生ではないよ』

天鬼~~~~~~!!!!!!!
 土井先生だった頃、ニコニコしながら(または胃痛を抱えながら)何度も根気強く教えてくれた姿との対比が……眩しい……。
しかも、この声色が意外にも優しいのよね。公式も「天鬼の中にも優しさはある」と言っていたし。でも、それだけじゃなくて、あの言葉には相手との間に一本の境界線を引くような、天鬼自身の心の内に閉じこもるような意思も感じられた。「これ以上は訊くな」みたいな。

これを言った時、天鬼は自分のことを考えていたように思う。命じられた役割が軍師ではなく先生だったならば、今の問いに答えていたのかもしれないとか。もしも自分が教師になったら…いや、まさかな……みたいな。
記憶を失っても土井先生としての経験は身体に染み込んでいたし、もともと教師適正バリ高マンだから、ああいう場面じゃなければ質問には進んで答えていたように思う。思い出した手当の段でも、抜け忍だった頃からもう優しい人だったし…(このときは天鬼の設定はなかったかもだけど)

何が言いたいかというと、この一言で天鬼と土井先生との距離を感じられて印象深かった。軍師と先生という両極端の可能性から、彼という人間の幅を知って、土井(天鬼)の人物全体にぐっと近づくことができた気がしたんだよね。

なによりこの声を聞いたとき、「ああ、天鬼って悪い奴じゃないんだな」と自分は腑に落ちた。もしかしたら私だけかもしれないけど、だってなんか、悪い人の声じゃなかったから。意味不明だったらごめん。いやでも、これだけの情報量を一言に詰めるって声優さんてほんと凄いな。
本編でバリバリ教師やってる人がIFの姿で「自分は教師ではないよ」と諦めを帯びたような横顔で言うのアツいよね。
いや、、、あなたは教師だよ…!!!


②『教えたはずだ!!(天鬼ver)』

そうやって記憶が戻るのか~~!!!!!うまい!!!!!
私は脚本萌えオタクであり構造萌えオタクでもあるので、この話が「忍たま」としてどう折り合いをつけるのか、観ながらずっと心の隅で気になっていました。シリアスすぎても違うし、かといってここまで引っ張っておいてギャグ一辺倒も物足りない。なにより、きり丸が背負ってきた寂しさに対して誠実じゃない。どういう着地をしたら「忍たま」として美しいんだろう……と、そんなことを映画を観ながらずっと考えてました(キモい)。
そしたら!!!!!まさかの、天才的な展開……!!!!!!!!
土井先生が記憶を失っても、は組のよい子たちと過ごした記憶は彼の心身に(とりわけ胃に)刻まれていた……
というと、ギャグ寄りの感想になってしまいますが…!

ただここは本当に感動しました。
個人的にウルっときたのが、きり丸がマジのマジだったことです。泣きながら過去の口上を繰り返す姿には、心にクるものがありました。
「こういう言葉をかけたら記憶が戻りそう!よし、ゆさぶれ!」だけじゃなくて、心の底から土井先生に思い出してほしい、そのために必死になっていた。
他の人の感想で、きり丸だけは土井先生を「取り戻す」じゃなくて「会いたい」と言うし、天鬼を一度も土井先生と呼ばない、と書いてありました。これは意図された描写だと思います。
多分だけどきり丸は一般の人よりも他者に期待するラインが低いんじゃないか。それはやっぱりあの出自だから、土井先生のこともまずは生きてるだけで嬉しいのだと思う。

でも、でもですよ。本当は自分のこと、忘れられていいはずないよね。しかも、そのまま斬られちゃったら、悔しいに決まってるよね。

このシーンのきり丸は、ここまで押し殺していた感情が涙になってあふれて、ようやく吐き出せたように感じました。それは「生きて会えただけで十分」じゃなくて、もっと先を求める気持ち。きり丸がそんな気持ちをぶつけられるほど、土井先生は特別な存在なんだなって思ったら……堪らなくなりました。
このシーンは、きり丸の思いが天鬼の刷り込みに勝てるのか…!!というせめぎ合いだった。だから見ていてハラハラしたし、勝った時は感動したのだと思いました…!


③『天鬼の正体を知ってお前がそんな風に冷静でいられるはずがない』

3つ目はめちゃくちゃ迷いました。雑渡さんの『いつです?』はいわずもがな、利吉の『お兄ちゃん』も最高だし、『恨むなら私だけを』も、『鼠が6匹…』からはじまるアクションシーンも捨てがたい。(台詞は全てうろ覚えです、すみません)
色々考えて最終的に、こちらを選びました。

このシーンには忍たまの大人達の魅力が詰まっています。
利吉はエリート忍者としての自負と、父親へのちょっとした対抗心から、背伸びして「対等に見てくれ」と言う。一方、伝蔵はそんな息子の意地はお見通しで、さらには土井半助への思慕も理解している。
この映画はこういう、「お互いに何をどこまで知っているのか/知ったうえでどこまで口に出すのか」という、台詞の奥の意図がしっかりと作りこまれていました。だからひとつのシーンを、それぞれのキャラクターの立場から何重にも噛み締められるんですよね。

心理学で「ジョハリの窓」という言葉があります。
人間の自己認識を窓に例えた有名なモデルです。

・開かれた窓:自分も他人もわかっている部分
・盲点の窓:自分は気がついていないものの、他人からは見られている自己
・隠された窓:自分は認識しているが、他人には知られていない部分
・未知の窓:自分も他人も気づいていない部分

※Wikipedia「ジョハリの窓」より

本作では、キャラクターごとにこの4種類の窓がしっかり描き分けられていると思いました。
山田や雑渡のような大人は己を深い領域まで理解している。土井や利吉のような青年はまだ知らない自分を持っている。その揺らぎや青臭さが、キャラクターの魅力でもある。(年長組は反対に、その安定感が別ベクトルですごい魅力でした。)
このシーンからは、そんな多角的なキャラクターの描かれ方を感じました。


まとめ

そんなところで映画の感想でした!
やってみて思ったけど、切り口を限定すると逆に話を広げることができて楽しかったな…?!?!!今後も短いなりになるべく奇想天外な(?!)感想を書き散らしたいと思います。
軍師、また観たくなってきた~~~……!!


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