ヨコの関係性
こうした個人と個人を結ぶ関係をタテだとすれば、ヨコというのは大きなベルトのように層をなしているもの。タテの場合、個が重要になるが、ヨコの場合は、個人一人一人がヨコに結ばれているわけではない。同質のもの全体が大きな階層という同じ枠の中に収まっている状態をヨコと呼ぶ。たとえばイギリスやインドでは階級やカーストが組織結合をする上で重要な役割を果たしている。ヨコの層に組織結合の論理を見出しているのに対して、日本は親分・子分関係のようにタテの関係に組織結合の論理を見出している。階層が全くないわけではないが、日本の組織集団に共通する特色として、タテの重視が挙げられる。
タテというのは上から下への権力関係を表したものではなく、上と下が組み合っている関係を表現したもの。うまく組み合っていれば、下位の者が上位の者に遠慮なく発言できるし、上位の者も、下位の者から自分の弱点を指摘されても甘受できる。上下ともに強い依存が見られる関係があり、それを可能にしているのが「場」である。逆に言えば、うまく組み合っていなければ、勝手なことをしているととられてしまう。
どの社会においても資格による社会集団、場による社会集団がある。資格と場のいずれの機能を優先するかは社会によって異なる。日本んは極端なほど場を優先し、その結果、先輩後輩の関係を重んじるために、チームワークを重んじる人が大事にされる。
この場を共有するタテの関係で核心といえるのが「小集団」である。この小集団の日本社会における特性は、第一に、日本の社会構造は小集団が数珠つなぎになっていること、第二にしかもその小集団が封鎖的になっていること。タテのシステムは小集団でないと効果的にならない。
小集団とは、いわゆるフェイス・トゥ・フェイスの集団をいい、派閥などが古くからの典型例。個人が緊張を感じずにコミュニケションを密に取れる五から七人程度のグループ。日本社会においては、個々人が合流して、一体となって不可分の単位を形成している。集団といっても無限定ではない。
この小集団を基盤として、上位のレベルでいくつかにグルーピングされ、その単位がさらにより上位のレベルでいくつかにグルーピングされる。大集団は小集団の連続によって構成されており、いわば数珠つなぎになっている。それぞれ個々に枠を持つ集団が上から下まで連なって集合して大集団ができる。
タテのシステムにおいて下位の組織に命令が伝わるためには、チップから、まず直属の幹部へ、そこから、下の者へ、と数珠つなぎに下に降りて行かなくてはならない。システム上、トップが独裁的な強さを発揮しにくい仕組みが出来上がっている。基本的に、個人は小集団を通して、大集団に属することになる。一般論で言えば、小集団なしの個人は成り立ちにくく、小集団の中でタテの尻尾にしがみ付いていかないといけない。このように、小集団の機能が極めて強く、逆に大集団としての機能は強くないのが日本の組織の特色だ。
ある社員が上の人にいじめられた。上の人をA、社員をBとすると、英米ではBはAを飛ばしてAの上司に直接文句を言うことに抵抗がない。しかし日本でそういう事態が生じたら、Aは非常に起こると考えるのが一般的だ。というのは日本の場合は、小集団と小集団が一対一で繋がっている関係が基本になっているから。
トップの命令が末端までダイレクトに届きにくく、一方で、上司を飛ばしてその上に文句を言うのが難しい。末端からすれば、トップよりも同じ小集団内の課長の命令の方が強く響くのだ。
小集団の封鎖性について。小集団の例として「家」を想起します。ある地域でどれほど長い間お互いに同一のコミュニティを形成していたとしても、隣人、親類に対しては、家族とは違って、礼儀正しさと用心深さを持って接するもの。つまりそれだけ家の枠は固く閉ざされ、他の家とは切り離されている。
この枠の存在が、小集団の中に対しては「同じグループ成員」という意識を抱かせ、外に対しては、同じような小集団に対する対抗意識を持たせることになる。
日本の小集団には、欧米でいう個人と同じような性質があります。日本では、個人の尊厳の侵害には欧米ほどには抵抗を示さない。抵抗を示すのはむしろ小集団の独立性が上位集団、隣接集団によって侵害されそうになるとき。個々人の小集団への帰属意識がとても強いため、仲間意識を持った集団になる。