10代の時に満たされなかったことって引きずるんだね

父親と揉めた。

死んで後悔させてやろうと色々調べたけど結局勇気が出ず。

10代20代のころ、父は単身赴任をしていて会議で月に1.2回帰ってくるぐらいだった。
ずっと同じ場所に単身赴任だったわけじゃないし、近くに勤めていた時期もあったけど、思春期はあまり一緒にいなかった。
だから、お父さんの下着と一緒に洗濯しないで!みたいな反抗期とかもなかったけど
お互いに関わり方が分からないまま、大人になってしまった。

母はほぼワンオペ育児で更に働いていたから、家事を頼まれていたけれど
小学生、中学生の時は周りは甘やかされてる子ばかりでなんで私だけが家事をやらなきゃいけないんだろう、とそこまでやる気になれず、こなしきれてないことが多かった。
4個中3個終わっていても、母は終わらなかった1個をヒステリックに責めた。

今思えば旦那が単身赴任で共働きで子供2人いて、夕方から暇なはずの子どもが家事ぐらいしてほしいって気持ちもわかるけど、あのころはすごく嫌だった。
親がいない時間が多くて、授業参観もきたりこなかったりだった。

中学に入るときに入学前に見学をしましょう、みたいな会があって保護者同伴必須だったけど
母は兄が通っていて見たことがあるから、と休みだったけど来てくれなかった。
私は親が仕事だと嘘をついて友人親子にひっついて参加した。みじめだった。
仕事で来れないのはしょうがないと言い聞かせてきたけど、家にいても来てくれないのは本当に愛がないんだなと思った。

いじめってほどじゃないけど、理不尽にハブられて病んでた小学時代に引きこもってやる!と思って部屋にいたけど
親が家にいる時間が少なすぎて、お腹がすいてもご飯など出てくるわけもなく、自分でどうにかせざるを得ないし、そもそも夜部屋にいる子、としか思われなかった。
なるほど、引きこもりは愛ある専業主婦の下でしか成り立たないんだな、と学んだ。

アトピーがひどくて皮膚科に通っていた時も無関心な親がお金を出してくれるはずもなく、自分で保険証をもって出かけて、おこづかいか高校からはバイト代からだったので通い続けられなくて皮膚科の先生には継続しないと意味がないと怒られた。

兄と両親が3人で笑っているリビングに私がいくと
父が見たいドラマでもあるのか?と聞き、そわそわとして笑うのをやめる。
今思えば思春期の娘への接し方が分からなかったのだろうけど、既に愛が足りずひねくれていた私は
「私だけは用事がないとリビングに行ってはいけないのだ、団欒に参加できないんだ」と思い、さらにこじらせた。

親の気を引きたくて家出めいたことや、深夜抜けだしたりもしたけど
仕事で疲れて寝てたりで微塵も気づかれなかった。
深夜に散歩してたら、痴漢に話しかけられて逃げたりもしたけど、ちょっとだけ今何かあったら親が無関心だったことを後悔してくれるのかなと思ったりもした。

大雨や台風や雪の日も、車で迎えにきてもらうわーと言う友達を尻目にただただ自力で帰るしかなかった。
一回、大雨の日に必死で帰り着いて玄関先でわちゃわちゃしていたら、仕事で疲れて寝てるのにうるさい!と母に声をあげられたこともある。
迎えに来ないのはともかく、心配もしてないんだなぁと改めて思った。

極めつけは振袖だった。
成人式前に友人がどんどん振袖の準備を終えて、大体皆高いのを買ってもらってる中
何度か話題を出してもスルーされ、なるほど、これは私は用意してもらえないやつか、と気づいて
そのまま成人式に参加しなきゃ良かったのに、友人への見栄もあって自分でローンを組んで振袖をレンタルした。
罪悪感はあったのか、母は写真代と小物、美容院代は出してくれた。
振袖の中では安い方だったけど、ローンがあるからとバイトをかなり長時間に変えたら疲れ果ててしまい、
大学に行かなくなった。
単位がなくて奨学金を切られたとき、奨学金分は自分で払えと言われてより一層バイトをしないと立ち行かなくなり、結局中退した。
別に振袖代がないんだったら、事情を話してくれたらこんなに引きずらなかったし、
娘が産まれたら親は七五三や成人式や結婚式に張り切るってイメージがあったので10代で積み上げた親への不信感が崩壊したのがこの時だったと思う。

実際、裕福ではなかったけど、嗜好品を買いまくってるのも見ていたし、貧乏ってほどではなかったはずだった。

ここ10年ぐらいの記憶は大してないのに、若いころの親への恨みつらみがあまりにも出てきて自分でもビックリした。

あとで知ったけれど、父は単身赴任先で不倫していたらしい。でも聞いたとき、まぁそうだろうなと思ったし、察していたから母はヒステリックな時期があったのだろうと思う。

父は単身赴任を終えて帰ってきて、母も歳をとったせいか丸くなり、
一人暮らしから実家に戻ったら甘やかしが始まった。

別に虐待されてたわけじゃなかったから
親の無関心に傷ついた話をあまり友達にはしてなかった。
だから、私が自分と同じように愛されて育ったと信じきって親の話をしてくる。
今気持ちが負に傾いているから、恨みつらみばかりだけど大学には入れてくれたし、もちろん感謝してる部分もある。
亡くなったら、もっと親孝行していたらって悔やむだろうと思う。

だけど、10代に満たされなかった私が
なんで今更⁈って叫ぶ。

経済力もついてタクシーに乗れるようになってから、迎えにいこうかって言われても
今更アトピーの心配されて部屋のリフォーム代だすよって言われても、
もうあの頃の自分は満たされなくて。

社会に出てからの自分を親のせいにする気もないのに、
10代にして欲しかったことばかり
贖罪とばかりにしてこようとするから、それはそれですでに満たされず育ってひねくれたわたしには
素直に受け取れない。

だから今まで通り無関心でいてほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?