山田轟法律事務所が大好きだという話
よねさんも轟も大好きだ!
「虎に翼」を楽しく見てるけど、よねさんと轟、二人とも大好きで。
その大好きな二人の事務所が、ついに「山田轟法律事務所」になったという最高な展開に、この事務所名がいかに凄いかを整理して書きたくなりました。
ジャンケンで順番を決めた
もとは「轟法律事務所」だった事務所名を、よねの合格と弁護士登録を機に変えることになって。
・轟山田法律事務所
・山田轟法律事務所
このどちらの順で進めるか、二人はジャンケンで決めた。
この時点で十分に胸が熱くなるけど、背景情報を整理していくと、もっとすごい。
よねさんも轟もどちらも凄くてどちらも好きで、この二人がバディであることがとても嬉しい。
修習期の差があるのにフラットな轟
轟が司法試験(当時は高等試験)に合格したのは寅子と同じ年で、昭和13年(1937年)。
寅子の司法修習期間は昭和14年(1938年)から1年半だったというから轟も同様で、昭和15年(1939年)の途中で修習を終えて弁護士登録をしたと思われる。
一方でよねさんは、ドラマ第20週(昭和30年、1955年)に寅子が3年の転勤を終えて東京に戻るまでの間に弁護士登録をしていたので、2年間の司法修習を経ていることを考えると、昭和28年(1953年)か昭和29年(1954年)に合格した可能性が高い(修習期でいうと第7期か8期あたり)。
よねさんが弁護士登録した時期は、1954年(昭和29年)か1955年(昭和30年)と考えられる。
と、いうことは。
よねさんが弁護士登録した時期、轟は弁護士として既に15年~16年の経験を積んでいた計算になる。
いくら大学の同期とはいえ、その間に戦中戦後の混乱時期を経ているとはいえ、同じ事務所で仕事をしてきたとはいえ、
弁護士業務には、有資格者しかできない仕事がとても多い。
15年~16年の実務経験の差があるかどうかはとても大きい。
これで、よねさんの弁護士経験が6~7年になったらその差も埋まってくるけれど、当時のよねさんはどう考えても登録から1年くらいしか経っていない(寅子が新潟に赴任する前には受験していなくて、転勤していた3年の間に2年の司法修習を終えなければならないので、そういう計算になる)。
「実務家1年生」と「実務家15年~16年」の差はものすごく大きい。
いくらよねさんが事務所で働いてきたとしても、弁護士しかできない業務はかなり多い。しかも、この期間、轟は自分の名前で仕事を獲得し、不祥事を起こさないように業務を監督し、収益を上げて自分とよねさんが食べていける環境を維持してきた年月がある。
いくら轟が好人物だとしても、その状況で、事務所名を「ジャンケン」で決められるのは凄すぎる。
フラットな関係を築いて維持したよねさん
これは、轟も凄いけどよねさんも凄い。
よねさんはもともと勤務先のカフェーで勝手に法律家っぽい支援業務をやっていた(非弁でいつか捕まらないかひやひやした……)。
戦時中や、戦後まもなくの混乱期にはそれも仕方がないし社会や取り締まりの目も届かなかったかもしれない。
でも、戦後、世の中の秩序が戻ってくるにつれて、資格を持たずにできる(無資格でやっても目こぼしされる)ことは減っていったのではないか。
戦後、手を取り合った轟との協働関係も、世の中の変化とともに変わっていくのが自然ではないか。
業務が非常時対応から平常時のものに変わっていく中で、轟とよねの関係は難易度が上がっていくかもしれない。そう思った時期もありました。
例えば、「同級生でありながら一方だけが有資格者」という点。
よねさんが昔の感覚でよかれと思って手を出した業務が、轟から見れば「無資格者がそこ触っちゃだめだよ」というものであった場合。
その状況を二人はどうやって解決したんだろう。
轟ばかりが弁護士経験を積む中で、よねさんの悔しさや頑なさが二人のコミュニケーションをひずませることは無かっただろうか。
そんなことを考えてしまう。
でも、轟の高等試験合格から10年以上が経って、よね自身が司法試験に合格したときに、事務所名のジャンケンができるような信頼関係を彼女は築いてきたんだな。
血を吐くように悔しい不合格の後で、彼女が黙々と働いた年月を想像します。
「お気立てに難がある(by涼子様)」彼女には簡単なことではなかったはず。この関係性を作ったこと自体が偉業だと思う。
よねさんのスピード合格が凄すぎる
寅子が新潟を発つ前には司法試験に挑戦していなかったよねが、3年の赴任の間に弁護士バッジを付けていたこと。
司法修習が2年と考えると、ほぼ1発合格でなければ不可能だと思う。
もちろん、受験勉強の期間もかなり努力したと思うけど、その前に彼女が過ごした日々も凄かったんだなと思う。
年齢も重ねているし、たくさん悔しい思いをしただろうし、それでも法律への関心と、法律家としての当事者意識を持ち続けて「轟法律事務所」の仕事に向き合ってきたんだなぁ。
轟が、自分の名前の事務所でありながら「実際の大将はこいつだがな、ははは」と笑っていたのは、轟の人柄でもあるけど、よねさんの仕事に対する信頼もあったんだろうな。
よねさんと轟がこの稀有な関係性を継続してきたことの背後には、よねさんの真摯で優秀な知識と仕事ぶりがあったんだろうなと想像します。
スピード合格の結果もその想像を裏打ちしてくれて、感動します。
ライアンさんになんて呼ばれかけたのか気になる
そういえばライアンさんがよねさんを褒めて「僕にあだ名をつけられることを断った」と言っていたけど、ライアンがなんと名付けようとしたのかが気になる。
アメリカナイズされた呼び方だろうけど、「山田」も「よね」も、ザ・日本な名前だからライアン的センスでのアレンジは難しそう。
「事務所名決めジャンケン」のシーンから広がる背景がとても最高でした。
やっぱりスピンオフ「轟法律事務所の一日」が見たい。