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生きるという活動=生活
最近は寒いのでサボり気味のウォーキング。
ウォーキングといえば多少やっているような響きはするけど、単なる散歩とでも言ったほうが合っているかも。
土日の夕方か朝に歩くのだけど、やっぱり夕方の時間帯のほうが五感を刺激するものが多い。
一戸建て、借家、アパート、近所の人が常連で訪れるような小さな理容店、道端に設置された自動販売機、砂利の駐車場、郵便局、大きな家のガレージ、庭に置いてある幼児用のコンビカー、住宅の間に突然現れる小さな畑、こじんまりとした公園、などなど。
夕暮れ時の太陽の光と影のコントラスト、オレンジ色の空に浮かぶ夕やけ雲。
すれ違う人はどこに行くのか、はたまた帰っているのか。
通り過ぎる車の音、自転車、バイクの音。
子供の声。生活する音。
どんな人がどのような暮らしをしているのか。
真面目に考えるほどじゃないけど、景色を流すように見ながら、思いも頭の中を流れるように通り過ぎる。
就活や婚活という言葉はあとから出てきたけど、「生活」は以前から当たり前に存在してきた言葉。
生きるための活動、ってことかな。改めて考えてみると。
生活(せいかつ)とは、「生存して活動すること、生きながらえること」「世の中で暮らしてゆくこと」である(広辞苑第五版)
いろんな人の生活がその人を軸にまわっているのね。案外おもしろい。
ここは世界のどこか片隅、生活進行形なんだな。
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