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映画『どうすればよかったか?』を観て

『どうすればよかったか?』の映画を観にいきました。
ドキュメンタリーは、興味があるテーマは積極的に見るし、本作品もすごく関心があったので、公開直後に話題になったあたりからいきたいなと思っていました (地方部は順次公開だったのでその時はまだ上映されておらず)。

観たいと思ったのは、決して物珍しさからでも怖いもの見たさでも同情でもなく(と自分では思っているけど)。

その家庭で何がどのように起こっていたのかをただ知りたくて。

本作品は、前置きにしても、感想にしても、言葉をすごく選ぶようなセンシティブな内容で、どう言い表せばよいか悩むところですが・・・。

面倒見がよく、絵がうまくて優秀な8歳ちがいの姉。両親の影響から医師を志し、医学部に進学した彼女がある日突然、事実とは思えないことを叫び出した。統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母はそれを認めず、精神科の受診から姉を遠ざけた。その判断に疑問を感じた弟の藤野知明(監督)は、両親に説得を試みるも解決には至らず、わだかまりを抱えながら実家を離れた。

このままでは何も残らない一 姉が発症したと思われる日から18年後、映像制作を学んだ藤野は帰省ごとに家族の姿を記録しはじめる。一家そろっての外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親の話に耳を傾け、姉に声をかけつづけるが、状況はますます悪化。両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになり・・・。

20年にわたってカメラを通して家族との対話を重ね、社会から隔たれた家の中と姉の姿を記録した本作。“どうすればよかったか?”正解のない問いはスクリーンを越え、私たちの奥底に容赦なく響きつづける。

公式サイトより

また、他のウェブサイト(CINRA)では以下のような説明もありましたa(抜粋して要約)。

   ◇     ◇

監督より8歳年上の姉は、両親に「まこちゃん」と呼ばれている。様相が一変したのは1983年、彼女が24歳の時。お姉さんの発症から9年後の1992年、藤野氏が大学4年生の頃に音声機能のあるウォークマンで音声を初めて録音したのだという。その後、日本映画学校で映画を学んだ藤野氏。家の様子を取り始めたのは2001年。映画化を目的というより、純粋に記録、もしくは病院に診察する際の説明用として。家族には「ホームビデオとして撮影している」と説明していた。2008年に統合失調症と診断され、治療を経てお姉さんが少し落ち着いてきて希望が見えてきたことで映画化を考え始めたとのこと。

 ◇     ◇

映画館には平日に行きましたが、観客は予想していたより多かったような。

感想です。

・衝撃を感じた。
・カメラに向ける「まこちゃん」=お姉さんの表情と目が印象的で脳裏に焼き付けられた。
・時間の経過とともに変わっていくもの (状態の悪化、老い)と、時間が経過しても変わらないもの(両親のかたくなな思想)があり、それらの溝が深くなっていくことにやるせなさを感じた。
・ まさに映画のタイトル通り「どうすればよかったか?」 ――その一言につきると思った。

ドキュメンタリー(記録映像)なので、意図的に作られたストーリーではなく、「事実」が映像と音声とナレーションとテロップによって淡々と流れるだけなのだけど、事実だからこそ胸が締め付けられる、そんな作品に思えました。

誰もが同じ人間であり、こっち側とあっち側という境界もあるようでないと考える。ただ病気だったり、その病気の症状が原因によって違っていたり、病気ではなくても特性の違いや程度によるものが大きかったり。自分も、家族もその要因は内在している。
今までと違う状況に、いつ誰が陥るか分からない。

この作品で、監督でもある藤野氏が両親と対話する場面と姉に話しかける場面が度々出てきますが、藤野氏の「どうにかしたい」という思いともどかしさがカメラ越しに伝わってきました。

自分が病気になったら⋯
家族が病気になったら⋯
自分では状況が異常だと思っていないのに家族から異常だと言われたら⋯

この映画が観る人へ強く投げかけている問いは何なのか。しっかり受け止めて、答えを模索していくこと。

大きな宿題をもらったような気がしました。



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