見出し画像

「炎の中にまた飛び込んでは蘇るの」

少しまえにひとりでカラオケに行ったときに気がついたのは、韓国語の曲は英語の曲よりぶっつけ本番で歌える、ということだった。英語は省略する音がわかりづらいし、どの単語のどこを略したら不自然でないのかも語学が出来ないわたしには判別不能であるため、曲ごとに丸暗記する必要がある。そうしないと満足に歌えないからだ。
韓国語の、と括るとやはり語弊があるかもしれないので限定するが、LE SSERAFIMやIZ*ONEの韓国語の曲は丸暗記の必要がなく、振られたルビどおり歌えば、それらしく聴こえることを発見したのだ。たぶん韓国の人からしたらひどい発音ではあるだろうが、ひとまず自分の「満足に歌いたい欲」は満たされる。

まつエクを着けたら、下まぶたの下に位置する柔い皮膚がなんとなく痒い。おおかた、瞼を閉じているときに当たるからだろうが、掻きむしると皺になりそうで、さわらず放置している。痒い箇所を(気が狂いそうに痒い場合は別です、無論)掻きむしらずに置いておけるようになると、大人になったように感じる。忍耐力。久しく耐える力。幼児のわたし、がまん知らずの獣のようだったわたしが、ついぞ持ち得なかった能力。

家計簿を見ると、実家を出てから、1ヶ月のうち4分の3くらいは日々何か買っている。自分の物のこともあるし、家の物のこともある。家から一番近い薬局に至っては、日参しているかのようないきおいである。よくクーポンを出しているので、それがある日はなんとなく寄って、すぐに要るわけではないがあっても困らない物を買うことが多い。

さいきん夫がわたしのことをちゃん付けで呼ぶ。かずは(仮名)と呼び捨てしていたのが、かずちゃん(仮名)、となるような感じだ。義母がわたしをそう呼ぶので、おそらく無意識に感化されたのだろうと思う。義母に限らず、夫は近しい関係にある人間の言動に影響されやすいところがある。
わたしは家族からも名前の全てを呼び捨てで呼ばれたことがほとんどなく、たいてい「かずちゃん(仮名)」か「かず(仮名)」と呼ばれていたので、いまのほうが馴染みがある。「かずは(仮名)」と、名前を全部呼ばれるときは、大抵真面目なシチュエーションだった。もしかすると、わたしは夫とつきあいだしてからずっとかすかに緊張していたのかもしれない。呼び方が変わったとき殊の外嬉しかったのは、そういうことだったのかもしれない。緊張と緩和。

今週もあと2日。こういうカウントダウンを延々と続けながら、このさきも会社員生活を送っていくのだろう。

(タイトル引用)
LE SSERAFIM「ANTIFRAGILE」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?