見出し画像

「何か」を考える――よのなか、まち、ひと #2

はじめに

 10月にスタートした本連載も無事に2回目を迎えることができました。飽きっぽい性格の私なので、3日坊主(3回坊主?)にならないように頑張っていきたいと思います。
 さて、前回の記事では「社会学」の定義について考えてみましたが、結局は「仮の結論」という何とも歯切れの悪いまとめで閉じました。今回の記事では、「社会学」という言葉の「社会」という部分についてすこしばかり考えてみたいと思います。

*****
 なお、本連載記事はNPO法人みやっこベースのnoteに掲載されておりますが、団体の総意ではなく筆者自身の個人的な見解ですので、ご了承の上お読みください。
*****

1文字違いの「社会科」と「社会学」

 前回の記事で、社会学とは「社会を研究する」学問であると簡単にまとめました。では、そもそも「社会」とはなんでしょうか?(社会学を学ぶ人たちは、この「そもそも」が気になってしまう変わった人たちだといっても過言ではないと思います。)
 「社会」というキーワードで、身近なものというと小学校中学校の「社会科」、高校の「地歴公民」を思い浮かべる人もおおいと思います。わたしも大学進学の際に、「社会科」が得意だったから「社会学部」を選んだという浅はかさです(苦笑)
この「社会科」のことを示す「社会」という言葉をWikipediaで調べてみました。

社会は、児童生徒に対して、科学的な社会認識を形成し、それを通して公民(国民、市民)として生活するための資質を育てることを目的とする教科である。科学的な社会認識の形成とは、幅広い社会諸科学(地理学、歴史学、政治学、経済学、社会学、倫理学)を手段として、人間社会の在り様を理解することを指す。こうした社会認識を子どもたちの内面に形成することによって、現代の社会に主体的に参加する態度や、より平和で、より民主的な社会を創造する力(市民的資質(公民的資質))を育成することが、本質的な教科目標である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A_(%E6%95%99%E7%A7%91)

 つまり「社会科」とは、社会を理解する見方や社会のなかで生活する力を身に着ける勉強をする科目だといえます。成績の良し悪しは別として、小中高で「社会科」の授業を通り抜けてきたみなさんは、この「社会科」のイメージはわかってくれるのかなと思います。
 でも、「社会科」と「社会学」では、想定としている「社会」というキーワードはかなり異なっているようです。そこで、あらためて社会学が対象としている「社会」という言葉をWikipediaで調べてみました。べつにWikipediaじゃなくても、GoogleでもYahooでも、紙の辞書でも、みなさんの調べやすい方法でOKです。

社会(しゃかい、英: Society)は、ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。また、仲間意識をもって、みずからを他と区別する人々の集まり。社会の範囲は非常に幅広く、単一の組織や結社などの部分社会から国民を包括する全体社会まで様々である。社会の複雑で多様な行為や構造を研究する社会科学では人口、政治、経済、軍事、文化、技術、思想などの観点から社会を観察する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A

この説明をもっと簡潔に要約すると、社会とは「人々の集まり」ということになります。つまり、社会は「2人以上の人間がいる」ことが前提で、2人以上の人間がお互いに「関係」(相互作用)しあっている状態のことです。
たとえばあなたが、なにかのハプニングで無人島にひとりで漂着してしまったとします。しかし、じつはその無人島にはほかの人も漂流していて、おたがいが島をさまようなかでふたりが出会いました。出会ったふたりは、おたがいに協力して生き延びようと一緒に生活するかもしれません。逆に相手の持っている食料を奪うことを選ぶかもしれません。はたまた、無人島だと思っていたその島には、あなたとは違う文化やルーツをもつ人びとが生活していて、その人たちから歓迎されたり、拒絶されたりするかもしれません。
このように、ふたりが無人島で出会ったり、あなたから見た先住民に発見されることで、相手との関係性(社会学がよく使う言葉だと「相互作用」)が生じて、そこに「社会」がうまれたと捉えることができます。
ここまで来ると、遠回りもしましたが、「社会学」というのは「社会」=「相手(人間)との関係性」について考える学問ということが、なんとなくイメージできるようになったのではないでしょうか?ここで前回の連載で登場した社会学者の見田宗介さんの「社会学は〈関係としての人間の学〉」(見田 2006:5)という伏線が回収されます!

*****

 でも、この「社会」という言葉は、もうすこし厄介な側面もあります。社会人類学者の竹沢尚一郎さんは「社会」にはふたつの捉え方があると言っています。

ひとつは、……家族や友人、職場や地域社会などの枠のなかで、共同の生活を営んでいるという意味での社会である。これは社交や人間関係ということばに近い。社会のもうひとつの意味は、日本社会やフランス社会というときのように、国家と広がりを同じくする枠組みとしての社会である。(竹沢 2010:ⅳ)

中学校や高校の全校集会での「学校生活は、みなさんにいちばん身近な社会です!」という校長先生のあいさつと、「日本社会を活性化させます!!」と政治家が演説するのでは、「社会」の意味合いがなんとなく違う気がしますね。校長先生のお話の「社会」は竹沢さんのひとつめに近いし、政治家の演説の「社会」はふたつめに近いですね。

*****

みやっこベースでは、地域の社会人から自身の仕事や宮古での暮らし方について高校生向けに語ってもらう「大人の話を聞く会」や小学生を対象とした「みやっこタウン」では職業体験やまちの運営を通じて子供たちの社会に参画するイメージを育む活動に取り組んできました。
また、高校生のマイプロジェクトのサポートにも取り組んでいます。マイプロジェクトとは、「主体性」をもって、つくりたい未来に向けて「アクション」を行っていく、学びのプロセスです。マイプロジェクトでは、自分の進路やキャリアデザインに関することから、地域の活性化、防災、ダイバーシティなど、さまざまなプロジェクトにチャレンジしてきました。(※マイプロジェクトについてはこちら https://myprojects.jp/project/

プロジェクトが進むなかでこれまでに接点のなかった「他者との出会い」や社会の仕組みや現状への「気付き」が、高校生たちのなかで生まれています。
わたしもスタッフの一人として、宮古市の高校生のマイプロジェクトのサポートに参加していますが、「防災」や「環境問題」「ボランティア」といったそれぞれのテーマに真剣に向き合う姿を見ていると、「すこしでも彼ら彼女らの力になりたい」とこちらも刺激を受けています。

画像2

▲みやっこハウスでマイプロジェクトに取り組んでいます

 みやっこベースでは、団体設立以来「ひと」に軸においた活動を展開してきました。その活動のなかでは、「社会に触れる」ことも力を入れています。「子どもたちを育てること」から「未来を創る」。「ひと」へのアプローチを通じて社会を変えるということに、今後も取り組んでいきたいと思います。

*****
 さて、今回は「社会」という言葉について考え、そこからみやっこベースの活動においての「社会」位置づけについてまとめてみました。前回の締めでは、「次回は『地元』について考えます」と言っていたことを、半分以上筆が進んでから気がつきました、、、。「地元」については、3回目の連載でちゃんと書こうと思います!(今度こそ頑張ります!)
 今年のわたしの担当は今回が最後となります。みなさんお読みいただきありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします!

【今回登場した本】
竹沢尚一郎(2010)『社会とは何か――システムからプロセスへ』中公新書


【筆者プロフィール】

画像1

1991年、現在30歳。
宮古市立山口小学校、宮古市立第一中学校を経て、岩手県立宮古高校を平成22年3月卒業。青森大学社会学部、筑波大学大学院人文社会科学研究科(修士課程)で社会学を学ぶ。地域社会学やライフコース研究、生活史研究の視点から、宮古市の消防団と東日本大震災をテーマにした研究をおこなう。平成28年4月に岩手県農業共済組合宮古地域センターに就職。
みやっこベースには、平成30年より理事として参画し、令和元年より副理事長となる。
そのほか、宮古市消防団第9分団、青森大学付属総合研究所客員研究員としても活動中。