《ひと》OB/地域おこし協力隊 吉浜知輝
こんにちは!みやっこベース広報チームの清水です。
みやっこベースに携わる方々をご紹介する連載企画《ひと》。
第12回となる今回ご紹介するのは、みやっこベースOB 吉浜知輝さんです。
現在、地域おこし協力隊として宮古で働く吉浜さん。「熱中できることがなかった」という高校時代からみやっこベースとの出会い、さらに海外での生活も経験した吉浜さんは、これからの宮古への想いを力強く語ってくださいました。
まずはプロフィールから!
岩手県宮古市出身。宮古高校を2年半で休学し、アメリカ・ウィスコンシン州 Youth Initiative High School を卒業。
東京で1年間の社会人生活を経て、宮古へUターンし、地域おこし協力隊として活動中。また、株式会社菱屋酒造店 企画担当や、個人事業主としてのビジネスなど、幅広く活躍している。
みやっこベースとの出会い
ーーまずは、みやっこベースと関わり始めた高校時代のお話から伺います。吉浜さんはどんな高校生活を過ごしていましたか?
小さい頃からずっと空手を習っていて、市外の強豪校への進学も検討していたのですが、通いやすさを重視して宮古高校への進学を決めました。ところが入部した空手部は、周りと自分の間にモチベーションの差があって……。この環境では、空手で上を目指すことはできないと思いました。
今まで続けてきた空手に打ち込めず、かといって勉強をがんばるという方向にもシフトできず、無気力な日々を過ごしていました。その姿を見かねた母親から、高校1年の冬に、兄が関わっていたみやっこベースの活動に参加してみてはどうかと提案されたんです。
初めて参加したのは、みやっこベースと他のボランティア団体とのごはん会でした。そこで偶然、別団体のメンバーとして参加していた幼なじみと再会して、イベント終了後にみやっこハウスの展示を見ながら雑談していると、漠然と「何かやってみたいよね」という話になりました。
高校生団体SYMの立ち上げの経緯
ーー打ち込めるものがなかった生活の中で、「何かやってみたい」という気持ちを叶える場に出会ったことは大きな出来事だったと思います。
地域のために、という想いは以前からあったのでしょうか?
僕は宮古市の花輪地区(市街地からやや山間部へ入った地域)の出身で、東日本大震災で直接的な被害を受けなかった立場です。震災当時は小学生だったので自分の意思だけで動くことは簡単ではありませんでした。
中学生、高校生になって地域のために行動を起こしたいと思うようになりましたが、自分は直接被災していないという事実にどこか後ろめたい気持ちがありました。
一方で、被災していないということが宮古のために活動しない理由にはならない、という想いもありました。宮古のこれからを具体的に想像したときに、「支援してもらう」「誰かに頼る」形ではなく、自分たちで未来を創っていかなければならないと思ったんです。
そんな想いを持った仲間で結成したのが、高校生団体『SYM』です。SYMはみやっこベースを拠点に、「フェス」「農業」「商店街」「世代間交流」「防災」という5つの大きなテーマに分かれて活動していました。
SYMのメンバーは僕と同様に、直接の被災経験がない、それでも地元のために何かしたいという気持ちを抱えた人がほとんどでした。
設立してから1年間、設立した僕も想像していなかったくらい活動の輪が広がっていきました。約1年で団体としての活動を終了しましたが、その後もSYMで得た地域おこしのノウハウを後輩や他の市町村の高校生に伝えました。
活動する中で、次々に湧いてくるアイデアをやってみよう、実現させようとアクションを起こせたのは、早川さんをはじめ、みやっこベースの方々の後押しやサポートがあったからだと思っています。
アメリカの高校へ進学
ーーSYMの活動は1年ほどで終了したとのことですが、その後はどのような活動、学校生活をしていましたか?
それと並行して、高校2年でNPO法人アショカジャパンのユースベンチャラーになり、高校3年の夏にはTOMODACHIプロジェクトでアメリカに行ったことで、段々と自分の中で海外での生活にも興味を持つようになりました。
大学受験を意識する時期を迎え、日本の大学への進学も考えましたが、アショカジャパンの方からの後押しを受けてアメリカの提携高校への編入を決めました。
担任の先生にはかなり驚かれましたし、一緒に卒業したいと寂しがっていた友達もいましたが、高校3年の9月で宮古高校を休学しました。体育祭や文化祭といったイベントごとがひと通り終わったタイミングだったので、いいとこ取りだ!と羨んでいた同級生もいましたね(笑)
高校卒業後の進路
ーーなかなかのタイミングですね(笑) とはいえ、日本国外に飛び出す決意をしたのは素晴らしいですね!
渡米後の生活はいかがでしたか?
翌年2017年の4月から、日本での高校の単位を変換して、高校生兼・大学の研究員という立場で丸1年、学生生活を過ごしました。
1年後には高校の卒業資格も取れたので、そのままアメリカの大学に進学しようと思っていたのですが、同級生にそのことを話すと「大学で何を学びたいの?」と質問されて、すぐに答えることができなかったんです。
そこで、高卒資格を取得してから一旦日本に帰国しました。その年に偶然ゲストハウス3710のクラウドファンディングが始まって、宮古の地域おこしが盛り上がりを見せていたので、「自分が帰る場所は宮古だ」と思ったからです。
2018年の6月に帰国し、その年の8月からはみやっこベースのスタッフとして働き始めました。ところが宮古に帰ってきて気づいたのは、既に社会人として働いていた周りの友人は会社や生活に対する不満を持っている人が多いことでした。自分のキャリアにも不安が出てきたので、同時に9月からソフトバンク本社で半年の有給インターンも始めて、宮古と東京のWワーク生活をしていました。
その後、1年ほどみやっこベースのスタッフを続けてからは、東京に拠点を移して個人事業主としての仕事と、日本酒バーでの仕事を続けました。この日本酒バーは飲食業を通じた地域おこしをしているユニークな職場で、ここですっかり日本酒にハマって、その後の働き先を酒蔵にしようか本気で悩みました。
宮古へUターン
ーーアメリカでの生活を経て、さらに国内でも社会経験を積んだ吉浜さんが、宮古に戻って働くきっかけは何だったのでしょうか?
東京で生活する中で、元々関わりのあった宮古市役所の方とお話する機会があったのですが、それがきっかけで地域おこし協力隊に就任し2020年の春に宮古にUターンしました。僕の担当は、宮古での複業を支援する「遠恋複業課」です。様々な業種で複業した経験のある自分にはもってこいの仕事だと思っています。
今は宮古市内のシェアハウスで暮らしながら地域おこし協力隊の仕事をしてしています。来年度からはそれに加えて、宮古に必要な雇用を生むためのアクションを起こしたいと思っています。
例えば、日本酒バーで培ったノウハウを活かして、飲食店が日替わりで出店できるスペースの開設を企画中です。
雇用を生むためには、行政やNPOの働きかけも大切ですが、僕はどちらかというとビジネスの観点から雇用創出できる方法を模索しています。
これからのみやっこベースについて期待すること
ーーそれでは最後に、吉浜さんが今後のみやっこベースに期待することを教えてください。
OBの立場から見ると、自分が現役メンバーだった当時は定期的に行っていた「高校生サミット」や、年間の恒例イベントだった「みやっこタウン」などの活動がコンスタントに開催できていない点が今後の課題だと思っています。特に教育の分野での強みを伸ばすことが重要だと思うので、ひとつひとつの施策を継続できる仕組みづくりに力を入れていくとより良い活動ができるのではないでしょうか。
それから、みやっこベースのOB・OGが一堂に会するイベントを企画したいなと思います。それぞれのフィールドでキャリアを積んだメンバーがもう一度集まって、改めて宮古の課題を見つめ直す機会を作りたいです。
みやっこベースの活動を経験して、社会人になってからも宮古に関わりたいという想いを持っている仲間はたくさんいます。しかしその機会がないのが現状なので、関わりしろを増やしていきたいですね。
コロナ禍の中、オンラインでのやり取りが一般的になっていますが、やはりオフラインの直接会話できる形で、なるべく多くのOB・OGが集まれる場を設けられたらと思っています。
ーーありがとうございました!
おわりに
インタビュアー清水は、実は吉浜さんとお話するのはインタビュー時が初めて。
お互いに緊張していたかと思いますが(笑)、スタッフ島越、理事加藤も参加し和やかな雰囲気でのインタビューとなりました。
吉浜さんのお話を通して感じたのは、自分の人生に対する芯の強さでした。「都会」とは異なる暮らし方が求められる宮古において、「自分の暮らしの質をいかに上げるかが重要だと思う」という吉浜さんの言葉に感銘を受けました。
まさに、宮古の若者世代のホープ!今後の吉浜さんの活躍にも期待です!
【初出:2022/02/26】
【加筆修正:2022/03/01】