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社内ツイート再開
私のnote、スタートはCanadaでの社内ツイートの共有でした。
昨年帰任、帰国、退職後、ここ最近は自分事の発信をしてきました。
独立もした後、今年3月に再就職して、再び新しい組織での活動が始まりました。
組織に属することは窮屈な面もありますが、大きなメリットの一つは、日々インプットがあること。日々の出来事に対して自分の考えが出ること。
日常活動の中で感じたことは、組織のメンバーにも参考になるはず。
これを社内ツイートとして発信。
社内に加え、似た局面の方々の参考にも、とnoteで同時発信を再開します。
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私たちが日々の活動をする中、
問題や課題の大きさと自分のできる事のギャップを感じたり、過去の取り組みでの失敗を理由に諦めてしまう事もあります。
だからと言って、それらの活動は無駄なことなのでしょうか?
意味がないとして行動を起こさない言い訳を耳にします。
本当にそうなのでしょうか?
わたしはそうは思いません。
以下は、社会学者の橋爪大三郎の日経新聞への投稿です。
「星を投げる人」の話をしよう。
この話を最初に聞いたのは、アメリカのある教会の説教でのこと。もう何年も前である。牧 師はこんなふうに話した。
《朝、いつものように海岸を散歩していると、ひとりの少年が何やら、海に向かって投げて いる。「何してるんだい?」「ヒトデを投げているのさ」。見ると、見渡す限り無数のヒトデが 打ち上げられている。やがて死んでしまうだろう。「こんなにたくさんいるのに、何の足しに もならないよ」。少年は、ヒトデをもうひとつ拾いあげた。「でもこのヒトデには、大きな違い だと思うよ」。そう言って、そのヒトデを海に向かって投げたのである。》
この話は耳に残った。足しにならない、は no difference。違いがある、は make a difference。 「違い」とはなんだろう。
調べてみるとこの話は、ローレン・アイズリーという作家の『星を投げる人』が元になって いる。それをいろいろな人が語り直し、子ども向けもでき、いくつものヴァージョンがある。 でも話の急所は、少年が言う「違い」とは何かということだ。
ヒトデはこんなにたくさんで、全部は助けられない。徒労に思える。でも少年は言う、「こ の」ヒトデは確実に助かるよ。そして、ひとつずつヒトデを投げ続ける。それならできるから。
=== (以下略) ===
私たちが日常的に行なっている活動、努力をどう捉えていますか?
結果 がついてこないと、何の足しにもならない、と思いがちです。
しかし、「何の足しにもならない」と考えるのではなく、
「違いを生み出している」と捉えると、行動の意味が大きく違ってきます。
自分が主体的にできる小さな行動を、
“no difference”ではなく、“make a difference”と捉えてみませんか?
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最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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