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短編小説「公園の蛇口」
廃れた街角の公園は、まるで時間の狭間に取り残された記憶の断片。
誰も訪れることのない場所、そこにはもう子供たちの笑い声さえも届かない。
錆びついた遊具は、長い間、手つかずのまま放置され、その存在自体が忘れられた過去の亡霊のように立ち尽くしている。
公園の片隅には、三角屋根の小さな公衆便所がぽつんとある。
赤く塗られた屋根は、まるで積み木で作られたような人工的な色彩で、周囲の色褪せた景色の中で浮き上がっているが、その赤さも虚しさを強調するだけだ。
夏の午後、湿った空気が公園を覆い、重苦しい静寂が広がっていた。
空は曇り、厚い雲が低く垂れ込めている。
雨の予感がするその空の下、一人の女性が足早に公園に入ってきた。
ヒールの音が静寂を破るが、彼女の表情には、後悔と苛立ちが交錯していた。
年の頃は三十前後、派手な服装は夜の街の匂いを漂わせているが、彼女の顔立ちにはその装いがどこか不釣り合いだった。
その姿は、まるで他人の人生を纏っているかのように、どこかぎこちない。
女性は赤いネイルの指で蛇口を勢いよくひねり、公衆便所の静寂を破る水音が公園全体に響き渡る。
彼女はその赤い爪や指で何度も頬を強く擦り、何かを必死に落とそうとしていた。
その動作には、内に潜む何かを洗い流そうとする焦燥が垣間見える。
「汚いオヤジ、何なのよ…」
抑えきれない怒りと苦しみが混ざり合った言葉が、彼女の口から漏れる。
頬に浮かんだ涙はやがて洗面台に落ち、その一滴は蛇口から流れ落ちる水と共に消えていく。
この公園は、行き場のない感情を飲み込む場所。
訳ありの者たちが、何かを急場しのぎに洗い流そうと足を踏み入れる場所だ。
蛇口は無言の証人として、ただそこに存在している。
これまで何十年もの間、多くの人々の秘密と苦悩を見守ってきた。
誰にも見せない涙、その全てを知っている。
赤い屋根の公衆便所の一角で、蛇口は無機質な目で人々の姿を映し続ける。無防備なその姿を、ただ黙って見つめるだけだ。