2023.4.25 ヒト・コト・トーク#7@cafe bar NICO( 広電廿日市)レポート
宮島線の沿線で活躍する方々をゲストにお招きするトークイベント「ヒト・コト・トーク」。
前回は、広電の電車、バスの運転士から見た沿線の変化についてお話いただきました。(第6回レポートはコチラ)
7回目(2023年4月25日)となる今回は、cafe bar NICOのオーナーである二反田和典さんと、はつかいち応援大使もつとめるシンガーソングライターの香川裕光さんと一緒に、広島のビリヤードとカフェのお店 cafe bar NICOにて開催しました。
-ゲスト紹介-
二反田 和典 さん
沢山の本に囲まれたビリヤードテーブルのあるカフェバーを廿日市駅前の商店街で経営。店ではビブリオバトルやボードゲームの会、フラワーアレンジメント教室等、ジャンル豊かなワークショップや音楽ライブも開催。廿日市市在住で、旅と本、山と海とミステリー好きな50歳。
https://cafebarnico.shopinfo.jp/
香川 裕光 さん
廿日市市出身のシンガーソングライター。はつかいち応援大使。歌オーディション番組『歌王2016』にてグランプリを獲得する。2019年には、嚴島神社で奉納コンサートを開催。映画主題歌やCMソングも手掛けている。
http://www.hiromitsukagawa.com/
ーまずは自己紹介をお願いします。
(二反田)NICOと言います。13年前に今とは別の場所にpool cafe NICOというお店をオープンし、3年前に今の場所へ、名前をcafe bar NICOに変えて移転してきました。
(香川)シンガーソングライターの香川です。はつかいち応援大使もつとめています。廿日市生まれ、廿日市育ちとして歌を歌っています。
ーcafe bar NICOといえば、日々、いろいろなイベントが開催されている印象があります。
(二反田)お店では様々なイベントを開催していて、例えばこれはバードコール(鳥の鳴き声がする)という楽器を作るワークショップ中の写真です。今日のお客さんの中にも写真に写っている方がいますね。
毎月第一火曜日にはビブリオバトルを開催しています。おすすめの本と映画と漫画を語る会を毎月ローテーションしながら、この9月でイベントを始めてから10年になります。みんなでそれぞれおすすめの本を5分間語り、投票して、その月のチャンピオンを決めます。初めは香川くんも来てくれてね。
(香川)ぼく優勝したことありますよ。
(二反田)2回くらい優勝したよね。
ーお店の中にもたくさん本がありますが、これはどういうセレクトですか?
(二反田)僕の好きな本も並べていますし、お客さんからオススメされて気になったものを集めたり、頂いたものもあります。香川くんからもお店に寄贈してくれた本があったりします。そういうものが集まって、だんだん本の量が増えていったという感じがしますね。お客さんの年齢層も幅広くて、学生から年配の方まで来てくださるのでそれぞれの世代の気になる本が集まっています。
他にも、月に1回、サンドイッチの会というイベントをやっています。これも始めてから7、8年くらいになるんじゃないですかね。毎月テーマを決めて、斬新なサンドイッチを作る、それを皆さんにただ食べて頂くっていう不思議なイベントです(笑)。僕の中ではチャレンジで、同じものは作らないようにしていて、ハンバーガーとか、クラブハウスサンドみたいに派生していったり、毎月新しいものを作りたくてやってます。自家製パンや具材もこだわって準備しているので、どの月も美味しいですよ。
(香川)そんなに長い年月やってたらものすごいバリエーションがありますね!
(二反田)初めの頃はお客さんに作ってもらっていたんです。でもある時、ピザを作る回で、生地をのばして、具材を置いて、焼く、という行程のためにみんな次から次にキッチンに入ってくるから収拾がつかなくなって。その次の回からは僕が作るからみんな食べてね、という形式に変えました(笑)。
他には、香川くんがお店でライブをしてくれたこともあります。
ーこれまでこのお店で何回ほど香川さんのライブは開催されたのでしょうか?
(香川)もう数えきれないですね。
(二反田)コロナ禍に入る前は月に1回くらいの頻度でした。僕がランチを作って、香川くんが歌うというランチライブを開催したこともあります。
(香川)一時期、月に2回くらいやってた時期もありますよね(笑)。
(香川)ライブと言えば、2019年に厳島神社の高舞台で奉納コンサートをさせて頂いたことがあります。この後すぐに大鳥居が改修工事に入り、コロナ禍になってきたので、ギリギリ間に合った、という時期ですね。厳島神社の高舞台って、そもそもコンサートする場所ではないんです。文化財であり、世界遺産ですからね。この高舞台自体がとても貴重な場所なので、たくさんの方々に協力して頂いて成し遂げられたコンサートでした。
―そのコンサートは広電の車内でも宣伝されたそうで。
(香川)宮島線全線に僕のポスターを貼って頂きました。その時期に電車にも乗ってみたんですが、すごい恥ずかしかったですね。自分の顔がずらっと並んでいるので、とにかくばれたくないなと思って静かに座ってました(笑)でも嬉しかったですね。小さいときから乗ってきた電車に、自分のポスターが貼ってあるというのは貴重な経験だなと思いました。
ーはつかいち応援大使としてはどんなことをされているのですか?
(香川)例えば、毎年、廿日市をPRするCMの撮影が真夏にあります。僕は刑事役で、ずっと泉君を追いかけるという設定で4年くらい撮影しています。ちなみに言うと、厳島神社の公演のときにオーダーで作って頂いたスーツを着ています。真夏なのですごく暑いんですよ!
(香川)実は島根県の芳賀町というところのふるさと応援大使でもあるんです。芳賀町は出身でも何でもないのですが、歌を歌っている中で縁が繋がって、なんと応援大使に就任しました。
ーcafe bar NICOをオープンしたきっかけについて教えてください。
(二反田)中学2年生の時に友達に誘われてビリヤードに出会いました。初めて台を見た時に、これは何だろう、何をしたらいいんだろう、と思ったのを覚えています。でも同級生に教えてもらいながら初めて球を着いた瞬間に、これはすごく好きだと思って、気づいたら今でした。
(香川)出会いから今までが一瞬すぎる!(笑)でも、世界中を旅したりもしたんですよね?
(二反田)若いころは世界中を旅していましたね。アジアを中心に、1か月くらいの時間を取りながら気になる街に行ってみる、という旅をしました。旅のゴールだけ決めるんです。それを達成したら帰る、っていう。ベトナムを縦断するとか、大きな遺跡を見に行くとか。さすらってましたね(笑)。今じゃもう考えられないです。今こうやってお店をやっているのが信じられないくらい。だって何もなかったですから。旅に行くときはまとまった時間が欲しいので、仕事もやめていくんですが、夢はあったのかもしれないけど、仕事がないから先も見えなくて、お金も限界があって、カバンひとつで海外に行くんですけど、空港着いた瞬間に絶望しかなくて(笑)。「こんなとこ来て俺大丈夫!?」っていう。海外に行ったら毎回そう思うんですよ。でも日本に帰ってきたら不思議とまた行きたくなるんですよね。気になる街があったらそこに行って、まずは宿を決めて、旅の汚れを落とすためにシャワーを浴びて、ビリヤードできるところを探して、現地の人や他の旅人と会話しながら球を突いて。みんなもう終わりのない旅をしてるんですけど、クレイジーな旅している人ばかりなんです。ロンドンから香港に自転車で行くとか。僕はそんなに何年も時間が取れないし、僕の旅なんて彼らと比較するとすごく短いんですよ。でもやっぱり見知らぬ街を見てみたくて、次の街、次の街と旅を続けていきました。でもどの町に行っても探していたのはビリヤードテーブルで、そこで出会った人たちといろんなことをしゃべりながら、先の見えない未来を考えていた。そういう20代を過ごしました。ビリヤードがあったから、言葉は通じなくてもルールは同じなので、香川くんだったら歌を歌うのかもしれないけれど、僕はビリヤードをしてコミュニケーションを取っていたのかもしれません。
ーそういった20代を経て、お店を始めるに至った経緯を教えてください。
(二反田)これまでいろんな仕事をしてきたので、どうして今に繋がっているのかよくわからないんです。20代のころは本当に毎日ビリヤードをしていたようなものですが、30代からは仕事もしていましたし、ビリヤードは週に1回、2回やるくらいだったんですが、昔からずっと通っていたビリヤードのお店がなくなるらしいよと聞いたときに、自然と僕がやる、という流れになって今に続いています。当時お店を始めて1年後くらいに香川くんと出逢いました。お店にギターも置いていたし、自分自身も音楽が好きだったのもあって、友達から「歌が上手な子がいるらしいよ」とか言われて、「いつでも呼んでいいよ」なんて返していたら、ある日お店に来てくれて今に至ります。当時のお店にはビリヤードテーブルが5台あったのですが、お店を移転するときに店内が狭くなってしまったので、手放さざるを得なくて。でも、正直ビリヤードがなければお店を続ける意味がないとも思っていたので、1台は残しています。
(香川)これまでずっと旅をしてきた人が、このNICOというお店で、同じ場所でずっととどまっているのって退屈じゃないんですかって聞いたことがあるんですよ。そしたらNICOさんが、「これまで自分は旅をしてたくさんの人に出会ってきたけど、今は自分がお店にいていろんな人が訪ねて来てくれて、いろんな出会いがあるからこれも一つの旅みたいだし、なんだか船に乗って漂流しているみたいな感じなんだ」って言ってて、めっちゃ素敵やん!と思ったのにその話してくれないんですね、と思ったので僕が補足しておきます(笑)。あと、NICOのオープン日がこのNICOのママであり、NICOさんの奥さんでもある知子さんの誕生日なんですよ!これ毎年素敵だなって思ってます。
ー世界を回った中で、廿日市を選んだ理由はありますか?
(二反田)僕は地元に帰ってくると本当に落ち着くんですよね。今までの緊張感とかから解放されます。世界は危険で、理不尽で不平等な中で、こんなにも落ち着きある世界が保たれている場所はほかにはないと思いました。走っているのが不思議なくらいボロボロの車で旅をしていると、道路をきれいに保ってくれる人がいて生活を守っている人がいるということ。線路もそうですよね。保守整備してくれる人がいるから目的地に着くことができる。見えない誰かがいるから自分が成り立つことができる。それが日本という国の誇るべきところでもあるし、僕は自分の街大好きですよ。生まれは五日市ですが廿日市に住んで、子供たちも3人成長して本当に愛おしいなと感じます。
ー香川さんがシンガーソングライターを目指したきっかけについて教えてください。
(香川)僕、小学校低学年の時から日本一歌が上手いなと思っていたんですよ。僕の地元では、地域対抗歌合戦というものがあって、その時流行している歌を舞台で歌うというイベントがあって、今思えばかわいらしかったからだろうなと思いますが、小学校1年生のときに優勝したんですよ。そのときに、「やっぱり自分は日本一歌が上手いんだな」と確信して、歌手になろうと思いました。そこから小中高と変わらず、歌手を目指して育ってきたんですが、高校を卒業して、そう簡単にプロにはなれないんだなという現実の壁にぶつかって悩んだ時期もあって、20代になってからは一生懸命バイトをしながら歌っていました。でもどこかで、プロはやっぱり厳しいから、音楽は趣味でいいやと思い、介護士として働いていた時期があります。介護の仕事には、歌を歌ったりするレクリエーションがたくさんあるんです。僕は重度の障害を持った方が多くおられる施設で働いていたのですが、一切言葉のコミュニケーションが取れない方の前で歌ったときに、その方がボロボロ泣き出したということがあって、あ、やっぱり音楽ってそういう、言葉だけではない伝える力があるんだなっていうのを身に染みて実感しました。そうして、音楽を自分の仕事にしたいな、という気持ちが改めて浮かびました。仕事をやめて、厳密にはそれまで毎日働いていた職場に、たまに歌いに来る人みたいになって、他の日にはCDをいっぱい詰めたトランクとギターを持って、公民館のお祭りなど各地を転々としていました。お金もなかったので、青春18きっぷで東京まで行っていた時期もあります。そうやってだんだんと応援してくれる人が増えていった頃、7年くらい前に大事件が起きるんです。全国何千人の中から歌のチャンピオンを決める「歌王」という番組に出演して、なんとそこで優勝して日本一になったんですよ。小学校のころの思いが叶いました。それからはメジャーデビューもさせてもらいましたし、本当の意味で、プロとしての音楽活動が始まりました。ちなみにその歌王はテレビで放送されていたんですが、NICOさんではパブリックビューイングみたいな感じでみんなで応援してくれていたんです。優勝した時のことは、超緊張してあんまり記憶にないんですけど、スタジオで「優勝!」の言葉とともにキラキラ紙吹雪が舞っているときに、「これNICOめっちゃ盛り上がっとんなー」って思ったのを明確に覚えています。でもプロになってからもずっと大変で、なんとか転がりながらもシンガーソングライターとして頑張っているな、って感じです。
(二反田)もうテレビの前でみんなで祈って、「最後までいけ!」とか「間違えるな!」とかみんなもうそんな感じでした。優勝が決まったときは感極まった瞬間でした。絶叫って感じでしたね(笑)。歌王が終わって、後日香川くんがお店に来てくれた時にはもう100人くらいのお客さんがお店に集まりました。最大で50人くらいの店舗だったので、グラスも足りなくなって、氷もなくなったりして、すごく大変でした。
ー二反田さんはビリヤード、香川さんは歌を通して人と繋がっているように思いました。お二人がコミュニケーションをとるうえで大切にしていることはありますか?
(二反田)シンプルなんですけど、ゲームを真剣にやるってことですかね。一回ビリヤードテーブルに着いたら、たとえ相手が初心者でも慣れた人でも、一切手を抜かないという感じでしょうか。自分自身にも嘘をつかない、って感じですかね。もちろん、ゲームが上手くいかない日もあるんですが、お互いを高め合うようなゲームがしたいというのが基本なので、単純に勝ち負けではなく、ゲームの過程なんかも分け合いながら楽しめたらいいなと思っています。みんなの等しい時間を、このゲームを通して分かち合っているから、その瞬間っていうのは大切にしたいなと思ってやっています。
(香川)僕も人と人をつなげるツールとして音楽をやっているのかなと思ったりはしています。音楽以前に、僕は人と関わることが好きなので、音楽を通じて人と繋がれたり、仲良くなれたり、仲間が増えていく感覚が楽しいですね。その中で一番大切なのは、自分自身がその人をどれだけ大切にできるかだなと思います。新しい人と出会ったときに相手のことを好きになると、相手も心を開きやすくなるのかなと思っていて。だから僕はどんどんいろんな人を好きになっていますね。
ーこれから目指すこと、やりたいことはありますか?
(二反田)僕は今年50歳になりました。これは自分にとってすごく大きな変化で、50歳になるまでに成し遂げたかったことは、できたこともできなかったこともあります。自分のなかで描いている夢を、皆さんに分かち合ってほしい気持ちもありますが、今はまだ発表する段階ではないので、いつか僕がこんなふうになりたいという姿を発表して、みんなが夢を分かち合ってくれたらうれしいなと思います。また準備ができたら発表したいです。
(香川)僕はやっぱり、歌を歌うからには武道館でコンサートをしたいのと、紅白歌合戦に出たいという夢があります。口に出さないと叶わない夢だと思うので、まだまだあきらめずに夢を追いかけていきたいですね。広電さんに絡めて言うと、廿日市の駅で僕の曲のメロディが流れてくれないかなと思っています。手塚治虫の出身地だったらアトムの曲が流れる、みたいなやつですね。
ーところで、お二人から見た宮島線って、どのような印象ですか?
(二反田)今は自宅と職場の距離が近いので、あまり電車に乗っていないですが、小さい頃はよく乗っていました。最近だと市内に行くときに使いましたね。乗り換えなくても市内に着くので便利だなと思います。海越しに宮島が見えるところも好きですし、これから宮島に行くぞ、という高揚感を感じられる宮島口もいいですよね。
(香川)今、電車に乗るのはお酒を飲むときくらいですが、子供の頃にはよくお世話になりました。中学生の頃にはアルパークやフジに行ったり、市内に行ったり、思い出の1ページという印象です。広島の路面電車自体は観光のひとつになると思うので、県外の友人が広島に来た時に、あえて広電に乗ってみて、と紹介してゆっくり来てもらったりもします。広電に乗って広島駅から廿日市まで来てもらうと、時間はかかりますが、その時間は貴重な体験をしたという感じで、すごく楽しかった!と喜んでくれるんです。
(二反田)昔は楽々園の屋上に遊園地があったんですよね。観覧車とかあって。当時は海水浴場も近くにあったんですが、海がきれいだとよく言われていました。
(お客さん)楽々園ってすごく楽しそうな名前じゃないですか。小さなころは電車に乗って、年に何回か楽しそうなところに行っていた、という思い出が記憶に残っています。子供が生まれてからは、楽々園のショッピングセンターに家族みんなで行き、お姉ちゃんが屋上の遊園地で遊んでいる間に、電車が好きな息子はお父さんと一緒に楽々園から西広島まで電車に乗って帰ってくるというような楽しみ方をしていました。
宮島線についてヒトコト
最後にお二人から宮島線についてヒトコト。
二反田 和典さんからは「100年ありがとう。これからも共に!!」
香川 裕光さんからは「愉しい電車で在り続けて」
というヒトコトをいただきました!
会の終わりには、香川さんより「桜日向」を披露して頂きました。
この曲は、古き良き廿日市をテーマにされているそう。
今日にぴったりなご選曲!素敵な歌声をありがとうございました!
ヒト・コト・トークは、宮島線の沿線で場所を変えながら毎月開催していく予定です。
次回は2023年5月23日(火)、会場は井口駅近くの「Wood Egg お好み焼館」です!
詳しくは、コチラをご覧ください!