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2023.3.28 ヒト・コト・トーク#6@Kendama Shop Yume.(広電廿日市)レポート

宮島線の沿線で活躍する方々をゲストにお招きするトークイベント「ヒト・コト・トーク」。
前回は、草津のかき養殖業やかき小屋のこと、地域の観光地化についてお話いただきました。(第5回レポートはコチラ
6回目(2023年3月28日)となる今回は、広島電鉄から電車運転士の金行英爾さんとバス路線組長の髙根茂雄さんと一緒にKendama Shop Yume.にて開催しました。
電車やバスの垣根を越えて、宮島線沿線の街や人の変化について語っていただきました。


-ゲスト紹介-

金行 英爾 さん
1983年に広島電鉄へ入社。約1年半車掌業務に就き、晴れて軌道線(市内線)の運転士となる。その後、高床電車(当時宮島線を運行していた床の高い車両)の運転に魅力を感じ、鉄道線(宮島線)の免許を取得。約40年、安全第一に市民の足として運転業務に従事している。

髙根 茂雄 さん
1990年に広島電鉄へ入社。佐伯営業所(旧佐伯町津田)に配属になり、以来30年間、宮島線沿線の路線に乗務している。当時は、宮島線電車と並走する機会も多く、バスの運転を通じて宮島線の電車や駅の移り変わりを感じてきた。

ーお二人の広島電鉄に入社したきっかけやこれまでのキャリアについて教えてください。

(金行)私は、1983年に中途採用で広島電鉄の車掌として入社しました。広島電鉄に入社を決めたのは、当時走っていた3500形電車を見て、「この電車を運転したい」と思ったことがきっかけです。
入社後、車掌経験を積むなかで、高床電車(1060形など、当時宮島線内のみで運行していた電車)にも魅力を感じ、免許を取得したいと思うようになりました。鉄道線(宮島線)は甲種電気車、軌道線(市内線)は乙種電気車の免許を取得すると、それぞれ運転できるようになります。私は車掌業務を1年間経験した後、電車の養成所に入り免許を取得して以来、約40年間に渡って現在は2号線(広島駅―広電宮島口間を運行する路線)の電車を運転しています。

(高根)私は1990年に広島電鉄に入社しました。当時、バスの運転手になるためには、大型二種免許と1年間の大型種の運転経験が必要でした。広電に入りたいと思った時から免許の取得と実務経験を積み、運よく最短で入社することができました。
入社直後は、佐伯町(現:廿日市市)の佐伯営業所の玖島に配属されましたが、その後、広島南営業所の藤の木団地へ異動となり大きいバスは広島バスセンターへ、小さいバスは町内をめぐる運行をしていました。現在は、内勤と乗務(主に山田団地線)の仕事を半々でしています。内勤では、電話対応がメインでお客様から忘れものや運行時刻のお問い合わせが非常に多いです。また、乗務員の欠員が出た場合は、応援として西は湯来町の方から東はクレアラインまで、広島南営業所が担当する路線をどこでも運行します。

ーー仕事のやりがいを感じるのはどんなときですか?

(金行)芸予地震の際に、電車が1時間ほど止まったことがあります。当時は広電西広島駅の移設工事をしており、屋根もない仮の駅のホーム内にベニヤ板を敷いてお客様に渡って頂くような状態だったのですが、私が電車を走らせて西広島に到着すると、その駅にお客様が待っていたんですね。その際に、おばあちゃんから「電車が動いてよかった」と言ってもらえた時はやりがいを感じた瞬間でした。

(高根)やりがいはいくつかありまして、利用者の少ない路線を運行中、顔見知りになったお客様から野菜などのおすそわけをいただいたり、バスの新車を運転できたりすることですかね。なかなか自分の車は新車にできないですからね(笑)。

ー宮島線について、どのようなイメージを持っていますか?

(金行)子どもの頃の宮島線のイメージは「楽々園遊園地」ですかね。幼少期は白島に住んでいたため、楽々園や宮島は「遠いところ」という認識を持っていました。運転士として宮島線に乗務し始めてからは、沿線のお客様にとって、宮島線は電車が走っていないといけないところだと感じるようになり、「生命線」だと思っています。
お気に入りは、地御前の海が見えるあたりですかね。終点に近づいてきたなと思います。昔は、海や遊園地があったので、車窓の景色がガラッと変わるとお客様の反応も良かったんです。

(高根)井口の線路すぐ横は海でしたし、廿日市の木材港ができたりと宮島線沿線は大きく変化したなという印象です。

ー長年従事していることで、お客様やまちの変化について感じることはありますか?

(高根)子どもが減ったと感じます。これまでバスで移動していた方も電動自転車が普及したことにより、長距離の移動が容易になりましたからね。定期券を利用されるお客様も減ったなと思います。
また、車いす利用者がバスを利用される機会がこれまでより増えたなと思います。広島電鉄では車いす対応のノンステップバスが半分以上ですので、ハード面も進化していますね。しかし、ノンステップバスでも転倒されるお客様もいらっしゃるため、そういった事故が起きないように常に気を引き締めています。
景色は、ナタリーがマンションに変わったり、1985年ごろから運行している団地内では空き家や建て替えの家が目立つようになったなと思います。特に、団地では世代の移り変わりが早いですね。

(金行)コロナ禍になるよりも少し前くらいから学生が減ったなという印象です。かつては、鈴峯女子大(現: 広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校)の学生限定で広電五日市駅での折り返しの電車を走らせていたんです。また、低床電車が増えたことにより高齢者の乗車が増えたなと思います。低床のため安心して乗車していただけるので、誰でも乗りやすい車両になりましたね。
埋立地が増え、そこにマンションが建ったため人が増えたなと思います。しかし、かつて畑だったところがマンションとなったことによって、緑が減ったなとも思います。最近では、広電西広島駅にKOI PLACEができたことが1番の変化だなと思います。今後、アストラムラインが西広島まで開通したらお客様の流れが変化すると思うので、どのようになるか楽しみです。
逆に、変わらないことは「輸送力」だと思っています。現在でも超満員になる電車もあり、お客様を乗せられないことが時々あり、なんとかならないかなと思います。お客様を積み残さないためにも電車がもっと大きくなればいいなと思うこともありますよ。

―コロナ禍による変化はありましたか?

(金行)コロナ禍では車掌が車内巡回をしなくなったため、お客様との会話が少なくなりましたね。車内でワイワイ楽しくという時代ではなかったですし、コロナ禍の初めの頃はお客様も警戒されていたので、どこまでこちらからお声がけをすれば良いか、判断が難しかったです。

(高根)バスは乗客も減りましたし、交通量もかなり減ったなと感じました。人の動きが制限されていることが目に見えて分かりました。

ー広電で働いていて、広電らしさって何だと思いますか。

(金行)色んなことにチャレンジできることだと思います。昔、路面電車は世界的にみると20年遅れていると言われていましたが、広電は当時1億円もした低床車両を購入したんですよ。初めて低床車両を見たときには、これは路面電車なのかと疑問に思いましたが…(笑)。冒険して様々なことを取り入れていることが素晴らしいと思います。

(高根)バスで言うと広電オリジナルのシートではないでしょうか。座席や二人席などを追加したり、降車ボタンも標準仕様から増やしているので、お金をかけてこだわっている部分だと思いますよ。

ーいままで起きたハプニングや面白エピソードがあれば教えてください。

(金行)1991年に起きた台風19号の際は、強風の中、なんとか路面電車の運行を続けていたのですが鈴峯女子大前駅(現:修大協創中高前駅)で停車してすぐ停電になりました。復旧するまでとりあえず待ってみましたが、復旧の見込みがないとのことで、お客様には青バス(広電バスの通称)への乗り換えをお願いしました。このバスが終便だったので、なんとかお客様の足を確保できホッとしました。
翌日、止まってしまった電車にバッテリーを積んで復旧させて、その電車を走らせて、さらにその前で止まっている電車にバッテリーを届けに行くというバケツリレー式の作業を行い、順次、電車の運行を再開しました。
また、今はないですが昔は鈴峯女子大の学生さんからバレンタインデーにお菓子をもらうこともあったんですよ。学生さんの中には、どの乗務員がどの電車に乗っているかリストを作っている方もいました。なかには、そのときに出会った方と結婚まで至った運転士もいましたよ。

(高根)金行さんと同じく1991年の台風19号の時に、強風で木が倒れてバスが通れないことがありました。当時は、無線や携帯電話がなく管理者から何も指示が来ない状態であったため、その日はバスを置いて歩いて帰りました。現在は、バスロケーションが導入され営業所やお客様からバスがどこを走っているか分かるため画期的だなと思います。また、団地路線を乗務することが多かったので常連のお客様がいらっしゃいました。たまに、他のお客様とお話ししていると後からやきもちの電話が営業所へ入っていることもありましたよ。

ー仕事とプライベートの区別はどのようにしていますか?職業病はありますか?

(金行)趣味がバイク、カメラ、スキーと色々あります。あと、軍事マニアなので岩国にも行ったりしますね。仕事外の時間は電車の音が聞こえないところが良いなと思い、電車から少し離れたところに住んでいます。電車が鉄橋を渡る音は響くので結局聞こえますが…(笑)。
職業病は、右手が痛くなることですね。グリーンムーバーは右手だけで操作するので、両手を使う旧車とは運転の仕方が違うんです。また、旧車と違って、新しい車両はシートの質が良いので、座り慣れていないためか首を痛めたりもありますね。

(高根)仕事とプライベートの区別は特になく、よその町に行ってもバスはとても気になります。都営バスを乗り継いでみたり、よそのバスのいいところを探してみたりしています。
職業病といいますか、マニュアル車は左足でクラッチを踏むので左足の靴下ばかり穴が開きます(笑)。また、時間にはシビアですね。待ち合わせの時間には早く着いちゃいます。本日も、このヒト・コト・トークの会場に来るために、同乗者の方が設定した出発時間より早く出るよう変更してもらいました(笑)。

ー本日の会場が廿日市ということで、廿日市に関する思い出や印象などはありますか。

(金行)廿日市は、乗務員からすると駅舎があった場所なので「ひとやすみする場所」というイメージがあります。15分間隔で宮島口行きと廿日市行きが交互に発車していましたからね。
広島は平和というイメージが強いですが、廿日市はけん玉ワールドカップが開催されたり、ウッドワンの美術館など木の町のイメージがあります。また、廿日市は様々なことに取り組まれているイメージがあり凄いなと思います。今後は、子どもを惹きつける何かがないといけないなと思うので、「娯楽」の部分に注力したらいいのではないでしょうか。

(高根)物価が安い印象で、JRや広電、それにバイパスや南道路もあり、とにかく住みやすい街だと思います。

ー宮島線やご自身の今後について、想いがあればぜひ教えてください。

(金行)電車の車両が、低床車両ばかり普及するのではなく、ステップのある車両も残ってほしいなと思っています。低床車両での運転はコンピューターでの自動制御もあるため、自分自身が運転していないように思えてしまうことがあります。昔からある車両のように最初から最後まで自分の感覚での運転をしたいですね。
現在は、電車が遅れてダイヤが乱れてしまったりなどお客様へのサービス低下につながる課題もありますので、お客様最優先で分かりやすくサービスを提供できるようになればいいなと思います。
個人的には、運や努力のおかげで40年間無事故で乗務することができています。これは自慢です(笑)今後も無事故でこのまま有終の美を飾りたいですね。

(高根)技術が色々と進歩していますので、いつかは乗務員がいらなくなる日がくるのではないかと不安に思うこともありますが、乗務する際は「明日は我が身」と思い、無事故で何も傷つけることなく慎重にしていきたいです。特に人を傷つけたら取り返しがつかないですからね。

宮島線についてヒトコト

最後にお二人から宮島線についてヒトコト。
金行さんからは「楽しく、明るく、希望を!そんな宮島線でいてほしい!」
髙根さんからは「線路はつづくよどこまでも!」
というヒトコトをいただきました!

今回の会場であるKendama Shop Yume.は、前々回ゲストの岩田さんから快くご提供いただきました。ヒト・コト・トークの終了後には、岩田さんレクチャーのもと、みんなでけん玉体験を楽しむ夜となりました。

ヒト・コト・トークは、宮島線の沿線で場所を変えながら毎月開催していく予定です。
次回は2023年4月25日(火)、会場は広電廿日市駅@cafe bar NICOです!
詳しくは、コチラをご覧ください!


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