「遠回りすることが1番の近道」
入院中に周りの友達とかがキラキラして見えていたのは、言うまでもない。
だって自分は入院で、副作用に苦しみ、1日を過ごしている一方で
友達は仕事を頑張り、金曜の夜になれば翌日のことを気にせずお酒を飲み、
連休が来れば旅行に行ったりと自分とは正反対の生活を送っている。
貴重な20代という時間を僕は犠牲にして、何年後、何十年後生きるための治療を苦しみながら乗り越えている自分が嫌になったこともあった。
でもとある人の言葉に救われた。
それがタイトルにもあるように、
「遠回りすることが1番の近道」
一見矛盾しているような深い言葉だ。
無駄なことって結局無駄じゃない
「遠回りすることが1番の近道」
それは、誰もが知っている野球選手のイチロー選手だ。
白血病になる5,6年前に撮影された対談の内容。
夜の報道ステーションで流れていたのだ。
弱冠20歳くらいの僕は当時、イチロー選手の言っていることが正直わからなかった。
成功まで最短で行けた方がいいに決まっている
なるべく失敗しない方がいい
深みのある人間ってどういうことだろうか
なんならイチロー選手の意見に同意すらできなかった。
でも今じゃその言葉が本当にわかる。
なんなら、その言葉に救われた。
治療はうまくいかないことの方が多かった。
辛いことの方が多かった。
その度に僕はこのように考えていたのだ。
「自分が元気になった時に誰かにとっての希望となるのはこの苦難や困難を乗り越えた時からだ」
もし、近道(治療に近道はないが)して、全てが思うがまま言って
苦しい体験も全くしなくて、病気が治ったのなら、
それは誰かにとっての希望になりづらい・なり得ないと思う。
イチロー選手の言葉を借りて言うなら
"深みがないから"だ。
ただ、運のいいやつになってしまう。
まぁでも本音はうまくいって欲しいって思うよ、そりゃ。
命がかかっているからね。
「最終的に絶対に元気になってやる!」
という前提で、多少の辛い治療も僕という人間性の深みやコクを出すための過程だと思うようにしていた。
全てがネタ精神で生きればいいじゃんか
正直に言う。
僕は「自分の失敗を笑い話に変えることができない」コンプレックスだ。
幼少期から失敗をあまりした経験もなければ、
失敗した時に笑い話にする勇気がなかった。
僕みたいな人間のことを”つまらない人間”と思っている人がいても仕方がない。
失敗しないことを誇りに思っていた僕が初めてそのコンプレックスに気づいたのは、大学2年生の頃だ。
バイト仲間と宅飲みしていた時に、とある先輩にいきなり
「みやっちのこれまでの大きな失敗を話してよ」
話のネタがなかった。
そして周りはもちろんしらけていた。
逆に他の人は自分の失敗をすべらない話のネタとして
堂々と話している。
気づけば、就職活動の時にも何社からか
「あなたの失敗談とそれを乗り越えるために何をしたか」
という質問にも答えられず、しらけさせた経験は何度もある。
失敗した時は確かに恥ずかしい。でもそれは一瞬。
今の僕は、
「失敗しても全てはネタ精神」
で生きている。
自分の失敗を笑い話で話せた方が、初対面の人からの反応も良ければ
覚えてもらえる可能性だってきっと高いはずだ。知らないけど笑
でも、話のネタをたくさん持っていた方が、
深みもあって面白い人間になるんじゃないのかな。
白血病は失敗ではない。
でも話のネタとしては誰もが経験できないようなことだから
”おいしい”に決まっている。
それに白血病で一度死にかけた僕にとって、
失敗はもう失敗じゃない。話のネタ集めだ。
もしあなたが、今何かに苦しんでいるとするならば、
深みのある人間になるための過程
自分の話のネタを作っている過程
と思って過ごせば、少しは肩が軽くなるんじゃないかな?
でも辛い時は辛いと言って吐き出していこ。
あとがき
大人になると、失敗することすら少なくなってくる。。
面倒を見ている小学1年生の甥っ子がどうも「間違えること」を恐れてしまっている。
失敗も間違いも大事だよ!
と伝えてはいるものの、やはり間違えると恥ずかしいのはわかる。
深みのある甥っ子に育てるためにも、少々遠くから彼を見守っていきたいけど、何かいい方法があれば是非教えて欲しい。
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