実父の一周忌でした

先日、実父の一周忌でした。
Facebookに軽く書こうと思ったら、そんなに簡単に書ける内容じゃ
なくなってしまい。
もう一度、丁寧に書いてみよう。
と思いました。

いつもは、湧き上がって、書きたい!!!
ってなってから衝動的に書いています。

昨日から家族の事でいろいろあってメンタルがアップダウンして、
先ほど受けた講座でまた感情が高ぶってしまい。

気持ちを落ち着けたくてnoteに向かっています。
書けるかな?書きたいな。

去年の10月30日が父の命日です。
母は令和3年の12月17日が命日。
義父がその半年後の6月20日。

めまぐるしくたくさんな事が動きました。

四柱推命でいうと、年の運気は絶好調。
母が亡くなった年は、私の日柱の辛丑と年運が同じ、
辛丑の年。
自分の日柱と年運が重なるのは60年に一度なので。
なかなか貴重な年だったのです。
そこから一番いい運気の三年間が、
母の葬儀、父の見守り介護、
義父の病院の付き添いと実父義父のダブル介護、
義父の看取り、父の入所、父の看取り。

これまでの人生で一番めまぐるしく大変な時だった。
これだけいろいろ動き回れたのは、エネルギー値がマックスだった
絶好調の時期だったからだ、と、感謝しかありません。

感謝しかないし、貴重な学びだったし、
後悔はないけれど(母を看取れなかった後悔はあります)
でも、別の人生もあったはず。
とも思えます。

こんなハズじゃなかった、
と悲観してはいないけど、
別の道を選ぶ事も出来たハズ。とも思えます。

それを、いま、丁寧に学んでいるところです。

後悔なんてしてはダメ!
とか、
前向きになるべきだ!
とか。
そういう言葉もあるけれど、

過ぎ去った出来事を、思い切り後悔して悲観して、
自分の気持ちを丁寧に感じきる事も必要だと思うのです。
それをせずに前向きな思いで突き進んでいくと
いつかその思いに、また直面するタイミングが来るかもしれないから。

私はいままでずっと、気持ちを無理やり前向きに変換して、
駆け足で、先ばっかり考えて、自分をかえりみる事をしてこなかった。

だから、いまはたくさん自分の気持ちと向き合って、
辛かったよね、悲しかったよね、頑張ったよね、
褒めてほしかったんだよね。

と自分をヨシヨシしています。

実母を亡くした悲しみは随分癒えました。
だけど、まだ、実父との別れは寂しくて、
父が使っていた歯磨きコップを、見るのが悲しいから捨てました。

きっと、来年の今頃には随分癒えていると思います。

気持ちは、こうやって少しずつ変化していくんだな、
と、しんみり思う。
人間て弱いけど強いね。

両親は優しくて尊敬出来て、いつも私の事を心配してくれました。
だから別れは悲しくて仕方なかった。
義父とは、仲良く出来た思い出もあるけれど、
たくさんぶつかり、怒鳴られ、納得いかない怒りをたくさん貯めました。
私にたくさん感謝をしてくれたけど、同じくらいかそれ以上、
私に対する恨み辛みも日記に書いてた。

亡くなったら、寂しさも少しはありますが、
とっても楽になりました。
だから、寂しさよりも断然、感謝しかないんですよね。
いまでは、楽しかったり、面白かった思い出ばかりが出てきます。

自分が居なくなるとき、
相手に悲しくて仕方ないって思わせないような生き方をするのも
もしかしたら、アリなのかもしれないとすら思えたり…笑

自分の後始末は、
出来る限りは自分でしたいと、心から思います。

実父の最期を決めたのは、私だったので、
(延命治療を望む長男の意見を押し切って、私が自宅での看取りを
決めました)
それが、何より一番辛かった思い出なので。

私がその思いに至る参考にさせて貰った
「どうせ死ぬんだから」
という本の、画像に載せておきます。
とってもいい本です。
自分の最期は自分で決めたいです。


いいなと思ったら応援しよう!