【エッセイ】優しき呪縛の言葉
人間、誰しもきっと一生に一度は、他人から言われた「呪縛の言葉」に苛まされることがあるのではないかと思う。
他人から投げつけられた言葉は、自分の思惟する言葉より深く胸に突き刺さり、時と場合によっては一生抜けない棘になる。
私もそんな「呪縛の言葉」をいくつか持っているけれど、その中でも特に、この時期になると毎夜のように思い出す言葉がある。
「あったかくして寝るんだよ」
一言一句同じ内容だったかは思い出せないけれど、たしかそんな感じの言葉。
思い出せないというより、たぶんあんまり思い出したくないんだと思う。
というのもこの言葉は、秋が深まってくる頃、当時付き合っていた人に振られるときに言われたもので、その時私はぎゃんぎゃん泣いていて。
当時はつらくてつらくて、今でも追体験のように思い出すのは、やろうとすればできるんだろうけど、脳が拒否する感じがする。
それでも寒くなってきた今日この頃、オイルヒーターと加湿器をつけ、たっぷりと湯を張った風呂にゆっくり入ったあと、あたたかい毛布と羊毛布団にくるまり、大きくてふかふかな枕に顔を埋めて、心地よい気持ちになっていざ眠ろうとする時、別れを告げられた電話を切る間際の「あったかくして寝るんだよ」という言葉だけは、毎夜のようにリフレインするのだ。
本当に体調を気遣って出てきたのか、申し訳なさからの気遣いだったのか、恨まれないようにするための保身だったのか、言葉の真意は私にはわからない。けれども、少なくとも当時の私にとっては、とても柔らかく優しい口調に感じられた。
だから私は最後にくれた優しさを言葉を、ばかみたいに大事に抱えこんだ。
しばらく食べ物が喉を通らなくても、あたたかいほうじ茶だけは淹れてべしょべしょ泣きながら飲んでいたし、ばかみたいに長い時間風呂に入って、またそこでとわんわん泣いていた。
別れ際の相手にかける言葉としては、なんて優しい言葉だろう、なんて酷い言葉だろう。
古今東西、別れ際に優しくすることの是非は問われているけれども、彼がくれた言葉は是も非もつけられず、優しき呪縛の言葉となってしまった。
あたたかくして眠ろうとするたびに、愛しさと悲しさが溢れ出す。
是であり非であり、愛しく悲しく、あたたかくて痛い。
優しき呪縛の言葉は、私を癒やしながら傷つけ続ける。
ただ、そういう感情を割り切らないまま抱えているのは完全に自分のせいで、自分がしたくてやっていることでもある。
愛しく悲しいのも、あたたかくて痛いのも、手放したくない私だけの感情だから。せっかく生まれた気持ちを無理に変えるのは、もったいない。
それにいつか呪縛の言葉から開放される日がくるのか、それは自然に起こるのか要因があるのか、それとも一生抱えて生きていくのか。
なりゆきを見つめるのも面白いんじゃないかなって。
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