尾々間くみ子のご馳走❸ 〜センパイとぐちゃぐちゃ様〜
某県某市の山中にある某村。
その民家の一室で、二人の男女がもてなされていた。
男の方はピッシリとした、遠目からでも目立つ真っ赤なスーツを着ている。
女の方は長身の男と比べて頭二つ分ほど背丈が小さく、髪をお団子にまとめていて、パッと見では中学生くらいにも見えた。
二人は村人に「この村の祭りに外からお人が来るとは珍しい」と、豪華な日本料理を振る舞われていた。
「ヤバいっすね。凄いっす。こんな美味しいお味噌汁食べたの初めてかもしれません」
と、野菜たっぷりの味噌汁を一気に飲み干し、遠慮がちにおかわりを要求する、お団子ヘアーが尾々間くみ子。
「こんな丁寧にありがとうございます。私も神に奉納する酒を持参したのですが」
「なんと、こちらこそわざわざありがとうございます。うちの若い連中にも見習わせたいです」
などと、鞄の中から瓶酒を取り出して、村の人と頭を下げ合いながらやり取りをしているのは赤木ジョイ。
二人は大学の先輩後輩で、怪異や都市伝説、怪談などを蒐集するサークルである百目鬼倶楽部の一員だ。
くみ子はその小さな体からよく中学生と間違えられるのだが、村の人にもはじめ、ジョイと兄妹だと間違われた。
ジョイが以前から行ってみたかったという、とある村の祭りに参加する為に、嫌がるくみ子を連れてきたのだが、くみ子の方はそんなことなど忘れ、目を輝かせて目の前にある料理に舌鼓を打っていた。
「うまいか」
ジョイは村民とのやり取りを終えて、自分の食膳の前に戻って、くみ子に尋ねた。
「めっちゃうまいっす。センパイ、マジ感謝っす」
「そうか、なら一つ貸しだな」
ジョイの言葉を聞いて、くみ子はあからさまに嫌な顔をジョイに向けた。
「いや、それはおかしいっす。この村に一緒に来るので、借りを返したはずでしょ」
くみ子が嫌々ながらもジョイについていったのは、くみ子が以前、サークルの課題でジョイに助けを請うた時にジョイに助けてもらった借りがあったからだ。
「だが、村に来なければ、お前はうまい飯にありつけなかった。となると、おまえがうまい飯を食えるのは俺のおかげだ」
「いずれ友達ひとりもいなくなるっすよ、センパイ……」
くみ子はため息をつき、ジョイの顔をチラと見た。
母親がカナダ人で目鼻立ちの整ったジョイは、黙っていればかなりのイケメンだ。しかし、くみ子は彼の自分本意な性格をどうも好きになれない。そういう性格もまた、大学でのファンを増やす要因となっているのも鼻につく。本人は他人の評価など意にも介していない様子なのが、更に腹立たしいところだ。
くみ子は改めて目の前の料理を口にする。
「あー、やっぱり美味しい」
「だろう」
ジョイも自分の食事を食べる。
「そもそも村の祭りも、美味しい食べ物が取れたことに対する神への感謝の為だ」
「ぐちゃぐちゃ様、でしたっけ」
「そうだ。この村独自の民間信仰で、一番古い記録は明治時代に遡る。呼び名の由来は定かではないが、近代民俗学の研究者である枯桐郷次郎は農作物を収穫する際に村人が口にする“嬉しや嬉しや”の声が訛ったものだとも考察している。祭りの詳細は村の人間以外には不明で、だから俺は準備に準備を重ね、この村に来る機会を伺っていたわけだ。時にくみ子、何か感じるものはないか?」
「そうっすねえ」
くみ子はきょろきょろと辺りを見回す。
「何かがいる気配自体はするんすけど、それだけっすね。そもそも山なんて基本は霊だらけなんす」
「ほう、それは興味深い」
ジョイがくみ子を村に連れてきた理由がこれだ。
くみ子にはこの世ならざる者を見る霊感がある。また、それらを退治する力すらもあることをジョイは知っていた。
だから、記録の乏しい村の祭りで、何かあった時にはくみ子の力を当てにしているのだ。
「死んだ人間の幽霊とか、山ほどいますよ」
「山だけにか。確かに山で死ぬ人間は多いからな。俺は幽霊というのは決して人間の死んだ霊魂がこの世に残ったものではなく、電磁波などの物理的な波長がそれらしきものを再現したものだと思っているが──」
「はいはい」
くどくどと自説を語り始めるジョイを、くみ子は適当に流す。
もう一杯味噌汁をもらおうと、お椀を掲げようとして、くみ子はその場にぱたりと倒れた。
「──おい、どうしたくみ子」
自説を語り続けていたジョイも異変に気付き、くみ子のもとへ駆け寄ろうとして、周りの景色がぐわんと揺れる感覚に襲われた。
「……くみ子が何も感じなかったということは怪異ではなく、料理の方に何か?」
ジョイは考えをまとめようと口を動かし続けたが、その抵抗も虚しく、くみ子と同じようにふっと意識を失った。
🌚
「おい、起きろ」
聞き覚えのある、それでいて何か違和感のある声に、くみ子は起こされた。
「……どうしたんすか」
と、くみ子は眠気眼を擦ろうとして、急に意識がなくなった先程の出来事を思い出す。
「センパイ!」
くみ子は急いで体を起こす。自分がついていながら、危険に気づけなかったことを悔やむ。
「起きたか。ふむ、やはりくみ子だな?」
「……おお?」
起き上がり、くみ子は混乱した。
目の前にいるのは、見慣れた女の子だ。いや、見慣れたどころではない。
「え、あたし?」
くみ子は自分の見ているものが信じられず、目を擦った。
そこにいたのはくみ子だった。
さっきまで食事を食べていた時のような格好ではなく、浴衣を着ているが、間違いなくそこにあるのは自分自身の顔と体だ。
「え? 鏡? 違うよね」
「寝ぼけるな。今のお前の顔はこれだ」
くみ子の目の前にいるくみ子がスマホの内カメラ画面を見せた。
「うえ、うえええ!?」
そこに映るのは、赤木ジョイの顔だった。
「え、もしかしてこれ、あたし達──」
「そうだ、入れ替わっている」
衝撃の事実を当然のことのように言う、今くみ子の意識のある自分の目の前に立つくみ子顔は、つまり──。
「え!? センパイ!?」
「だからそうだと言っている」
くみ子の顔をしたジョイは、呆れたようにため息をついた。
「どうやら、これがこの村の祭りのようだな」
「うええ!?」
くみ子は驚いて立ち上がる。いつもよりも目線の高い景色。そこで(くみ子の顔をした)ジョイを見ようと下を向いて、思わずひっくり返りそうになった。
「うおおお! 裸!?」
「うるさい。俺も起きたらそうだった。お前の方の浴衣は寝かされていた布団の横だ」
「へ? は!? じゃあセンパイ、あたしの裸見たの!? え、変態! 慰謝料!」
「すぐに服を着たんだから文句を言うな馬鹿め」
「いや、なんでそんなに冷静なんすか!」
「お前も不思議な出来事には慣れっこだろう」
「そうかもですけど! 流石に大学の先輩と体が入れ替わって、しかも起きたら裸なんて出来事は初めてっす!」
「全く、ぐちぐちと……」
くみ子が混乱してぎゃあぎゃあ言っていると、部屋の襖が開いた。
「お二人ともお目覚めになりましたか」
襖の奥にいたのは、先程ジョイともやり取りをしていた村民の男だが、様子が異なる。
「なるほど、君も入れ替わっているのか」
「左様でございます。この体、吉蔵の持ち主の妻で、裕子と申します」
そう言って、吉蔵の体を持つ裕子は深々と頭を下げた。
「お着替えが済みましたら、こちらをどうぞ。粗茶でございます」
裕子は横に置いていたお盆を取って、二人の前に置いた。
「ふむ、これはどうだ。くみ子」
「え、あ」
浴衣を何とか着終わり、くみ子はクンクンと裕子の持ってきたお茶の匂いを嗅いだ。
「美味しそう……じゃなくて、飲んじゃダメです、センパイ。これ、怪異の匂いがする」
「やはりそうか。くみ子の体を借りているせいか、俺にも少し匂う。裕子さん、申し訳ないですが、少し外を見せてもらいますよ」
「え? ……あ、お待ちください!」
(くみ子の体で)ジョイは裕子に構わず、部屋の外に出た。
「ちょ、センパイ!?」
(ジョイの体で)くみ子も慌てて後を追う。
建物自体は、さっき食事もいただいたのと同じところだ。
──だが。
「ふうむ、なるほどな」
「え、何すか。何やってるんすか、この人たち!?」
廊下や襖の開いた部屋の中、そして窓から見える庭、至るところで浴衣のはだけた男女が抱き合っている。
「ぐちゃぐちゃ様への、捧げ物、でございます」
二人の後を走って追いかけてきた裕子が、息を切らしながら、そう言った。
「何年かに一度、村に豊かさをくださるぐちゃぐちゃ様へ感謝の気持ちを、こうしてお捧げするのです」
「性に纏わる儀式は古今東西、珍しくはないな。性交は生命を新たに生み出し、労働力をうむ神聖なる行為。故に神の領域である、とする考えだな。そしてこの立ち込める匂い、麻薬の一種か? なるほど、さっきの茶だな。ぐちゃぐちゃ様の為に選り分けた薬を飲み、男も女も老いも若きもぐちゃぐちゃと己も他者も垣根をこえて、一つとなることで感謝を捧げるわけだ。なるほど、祭りだ」
一人ぶつぶつと納得したように言葉を紡ぐジョイは、くるりとくみ子の方を振り向く。
「どうする、くみ子。郷に行っては郷に従えというし、俺たちもまぐわうか?」
「ななななななな!? はあああ!? ぜーったいお断りなんですけどおおお!!?」
「そうだな」
ジョイは顔を赤らめてぎゃあぎゃあと抗議するするくみ子を無視し、うんうんと頷いた。
「なるほど。確かに神聖な祭り、儀式であるのだろう。だが伝統も大事とは言え、令和の時代に若者二人を眠らせて、無理矢理に乱交パーティに参加させるとは、いささかコンプライアンス違反が過ぎるというものだろう。そこが気に入らん。くみ子、ぐちゃぐちゃ様とやらを喰らってさっさとこの村から出るぞ」
「え、だからセンパイとこんな風にとかヤダ! ……じゃなくて、そ、そうっすね! こんな、人のことをおちょくりまくるような悪神はさっさと食べてしまうっす!」
──怪異を食べる。
くみ子には霊感がある。それだけではない。彼女自身が怪異となり、怪異を喰らう力を、くみ子は持っていた。
その力ゆえに、彼女はジョイとくみ子の所属する大学サークル、百目鬼倶楽部では怪異喰いと呼ばれている。
──のだが。
「……あ!」
「どうした」
「ダメです! できない! だって今、あたしはあたしじゃない!」
ぐちゃぐちゃ様の権能か何か知らないが、ジョイとくみ子の体は今、入れ替わっている。
ということは、くみ子も怪異喰いの力を使えない。
「なんだ、そんなことか」
「いや、センパイ! そんなことって」
「それはつまり、俺なら使えるってことだな?」
「ん? えええ??」
くみ子の体をしたジョイは、大きく口をあけて空気を吸い込む。すると、みるみるうちにその体が風船のように膨れ上がり、ついにはぱあんと、風船のように破裂した。
──そして現れる。
人の背丈の倍はあろう、巨大な貘。
夢を食べる幻獣の姿。
怪異や霊を、その身にて喰らうモノ。
「匂う。匂うぞ」
貘の姿になったジョイは、くんくんと鼻を鳴らす。そして庭に向かう扉を無理矢理に壊した。
そこには祠があった。
祠の近くにいる何かが、今はジョイの姿であるくみ子の目にも、薄らと見える。
黒く、ぐちゃぐちゃとした肉塊のような怪物。桃色の体から、いくつもの目や鼻、男女問わず幾つもの性器までもが付き出ている。
ぐちゃぐちゃ様だった。
「いただきます」
貘は目の前で手を叩き、また口を大きく開ける。
「あ、センパイ待って」
巨大な貘の口に、ぐちゃぐちゃ様が吸い込まれていく。そしてその体の全てが貘の体の中に収まると、貘は小さくゲップした。
「ご馳走様。ふむ、不味いな」
その瞬間、くみ子の意識がぐわん、と揺れる。
「センパイ!」
次の瞬間にくみ子の口から出たのは、今度こそ耳馴染みのあるものだった。
「! 戻った! ……と、おおおう!?」
くみ子は慌ててその場にしゃがみ込む。
さっきぐちゃぐちゃ様を吸い込もうとするジョイを止めようとした時に思った通りだった。
くみ子はその身を巨大な貘の姿に変えることで怪異を喰らう。
それは良いのだが、そこから人間の姿に戻る時は、細心の注意を持ってして服を着たままになるように体を再構成するのだが、貘になれたのは良いが、ジョイにその辺りの細かい配慮はできない。
故にくみ子はまたも全裸だった。
「尾々間くみ子!」
「うわっぷ!?」
羞恥に脳をぐちゃぐちゃにされていたくみ子の頭に、何かが覆い被さる。
急いでそれを手に取ると、それはくみ子が村に来る時に着ていた茶色のトレンチコートだった。
くみ子にトレンチコートを投げたのはジョイだ。
彼も浴衣の上に、あの目立つ赤いスーツを羽織っていた。
「早く着ろ、村から出るぞ」
🌚
「ねえ、センパイ。今のあたし、だいぶ痴女っぽいと思うんすけど」
「仕方ないだろ、上着以外見つからなかったんだ」
あの後、くみ子は裸の上にそのままトレンチコートを着て、ジョイと急いで村から出て行った。
村の外に停めていた車に乗り込み、逃げるように(本当に逃げている)村を後にした。
ぐちゃぐちゃ様もいなくなった今、くみ子達同様に入れ替わっていただろう村人も元に戻り、混乱しているだろうが、今のくみ子にそんなことを考えている心の余裕はない。
「気になるならどこかで替えの服を調達するが?」
「いいっす。とりあえずウチ送ってください」
ムスッとした態度でくみ子はトレンチコートの上から自分の両腕をぎゅっと握る。
「センパイ、一つ貸しです」
「ん、何が?」
「二回もあたしの裸見た! しかもあんな無茶苦茶して!? それに今回怪異食べたのセンパイだから、あたし食べてない! なのにお腹だけ膨れてるの、なんかすっごい損した気分! 今回なんかうまくいったから良いものの、あのまま入れ替わったままだったりしたらどうする気だったんすか!?」
「その時はその時だ」
信じられない。そしてジョイはこれを本気で言っているというのも、くみ子にはわかった。
「まあそうだな。思ったよりも大変なことに付き合わせたのは確かだ。今度何か奢ろう」
「あ、言ったっすね! じゃあ、パフェ!! 東雲大学の近くにある喫茶店の奴! 約束! 約束っすよ!?」
「ああ」
くみ子は心をぐちゃぐちゃにしつつも、いつも通りのジョイとのやり取りに少し安堵し、にこりと口元を緩めた。
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