第二回怪獣小説大賞講評&総評
第二回怪獣小説大賞、講評と結果発表です!
個人的な理由で講評発表が遅れてしまったこと、誠に申し訳ない。
今回も上限4万字のおかげもあり、重厚な怪獣小説作品が多数集まりました。どれもこれも怪獣を描いた作品として面白く、これだけ読みたい作品を読めたのは主催者冥利に尽きます。幸せ。
そういうわけなので第3回怪獣小説大賞も性懲りもなく開催する予定だったりするのでよろしくお願いいたします!
それでは大賞発表!!
【大賞】
フェンリルの子供たち/志村麦
続いて金銀銅賞の発表です。
【金賞】
・怪獣の腕の中/朝霞肇
【銀賞】
・托卵/押田桧凪
・その絶望を我と名付けよ/登美川ステファニイ
【銅賞】
・春と修羅と怪獣と私/紫陽_凛
・ロックンロール・オールナイト/南沼
・目/藤田桜
前述の通り、今回一作1万字~4万字のかなり重厚な作品が揃いました。
他の自主企画でもあまり見ない文字数上限なので、余すところなく表現したいものを作品に書いてくださった方が多い印象。それだけに講評の遅れが余計に申し訳ない……。個人的な反省で恐縮ですが、次回は締め切り日をあらかじめ設けて、そこまでに意地でも終わらせることにすることをちかいました……。
各賞選考理由
まずは金賞の『怪獣は腕の中』(朝霞肇)。こちらは最後の最後まで大賞作品にするか悩んでいたくらいに心に刺さった作品でした。怪獣の「カミ」の命名シーンも印象的で良かった。大賞でなかった理由としては大賞作品の方が「怪獣の呼称」というテーマをうまく料理したと思ったから。元々全然料理しなくても構わないつもりで設定したテーマではあったのですが、タッチの差で「怪獣小説大賞」としては評価を分けた形でした。
銀賞の『托卵』(押田桧凪)と『その絶望を我と名付けよ』(登美川ステファニイ)はそれぞれが文学的、エンタメ的に優れており、怪獣を題材にした小説として独特の境地を見せてくれたと判断したため。
銅賞の三作も同じ銀賞と評価が大きく分かれるようなものではないのですが、前回同様に「怪獣小説」としてはもう一つ何かが欲しい、と感じた作品です。特に藤田桜さんの『目』は着眼点がだいぶ面白かったのは確かなのですが「怪獣小説か?」と言われると首を傾げる部分が大きかった(そもそも怪獣という単語や、それに類する言葉が全く出てこない)。
大賞の『フェンリルの子供たち』は第一回大賞作品を書いてくださった志村麦さんの投稿作品。2回続けての大賞受賞で本当に良いか? と悩んだりもしましたが、こればっかりはマジで主催者のヘキに刺さった主催者特攻が過ぎた作品でしたので、己の心の命じた声には逆らえなかった……。本当に面白いので皆に読んでもらいたい。
受賞とならなかった他作品も全て楽しませていただきました。今回も第一回と同様、全体的にレベルの高い作品が集まり、どの作品を取ってみても好きな人はいるはず。今回、全作読もうとすると20万字以上あるので全作読め! とは言えませんが、この講評を目にしている方には、気になったタイトルのものだけでも一作新たに読んでもらいたいなー。
全作講評
というわけで、これより以下全作品の講評です。
1.手乗り怪獣「みにた」と私(辰井圭斗)
該当作品削除のため講評割愛。
2.レイラ~名前の無い怪獣~(紫静馬)
自分の名前を呼ばれるのが嫌いな少女、澪羅の目から描かれる、怪獣を巡る物語。
物語前半は澪羅の目線で、澪羅と澪羅にしか見えない怪獣の描写が続きますが、実際のところは次元を超えたウイルスのパンデミックであり、澪羅という少女はたまたま最初にウイルスに感染してしまったに過ぎない。この、本当は世界を巻き込む出来事だけど、作品自体はあくまで澪羅の物語という塩梅が魅力の作品でした。
本編ではその辺りの裏設定を上手に明かす機会を入れるのが難しいのは確かですが、しっかりとその設定を仄めかす要素を本編に散りばめている手腕は素晴らしいので、本編ラストにあったようなニュース等の描写をもう少しうまく使うことができればもっとわかりやすくなったかもしれません。
また、文章が少し冗長であり、ご自身でも後書きで反省していましたが、まだまだカットできる部分もところどころありました。
たとえば
『少女のSNSは、誰でも閲覧できるようになっており、制限の一つもついていない。
だというのに、彼女の掲載している絵には感想の一つどころか、ハートマークすら付けられたことはなかった。
当然である。何の発言もせずに、ただの一人も関係を繋げようとせず、ただおぞましい怪獣の絵だけ載せているアカウントなど誰が目に止めるだろうか?
だが、彼女はそれで満足していた。』
の部分などは
『少女のSNSに特に制限はなく、誰でも閲覧できる。しかし、ただおぞましい怪獣の絵を載せるだけのそのアカウントに、感想やハートマークなどの反応は一つもなかった。だが、彼女はそれで満足だった。』
くらいには簡潔にできます。ただ、これは好みの問題であって、むしろ文を詳細に修飾していくのもありです。
そうした文章に対する批評を抜きにすれば、全体の設定や澪羅の性格は私好みでもあり、楽しく読ませていただきました。怪獣にある種の憧れを持っていた彼女自身が怪獣となるお話自体がすごく好きな類いのそれなのでそこでも加点。
ゴジラが戦争や災害のメタファーになるように、怪獣という存在は現実に存在するものの何かしらの暗喩になることも少なくありませんが、本作に描かれている怪獣は思春期の少女の付き合う世間の暗喩とも読み取れるように思います。特に、「もし、お気に召したのなら、「美味しかった」と思ってくれないかしら?」という澪羅の独白は、異性に承認欲求を求める時のものとも似ている、と読み取るのは下世話過ぎるでしょうか。
ただ、怪獣とは別次元の存在で、宇宙からもたらされたウイルスに感染したことで怪獣を認識できるようになった、などの設定を本編でははっきり開示しないバランスが、そうした深読みをする余地を用意していました。
最後には怪獣に喰われ、自身も怪獣となった彼女は果たして、手にしたいものを手にしたのか。
文章で描写される怪獣の造形も結構お気に入り。ラストの呼称シーンもお見事でした。
3.怪獣のマーチ(秋乃晃)
ギャオーと鳴くからギャオスだよ!
──ではなく、怪獣ギャオーと超能力たちの戦いを描くSF活劇でした。作者様の他作品のスピンオフでもあるようですが、こちらだけでも楽しめる作り。秋乃さんは他にも自作のスピンオフ作品を短編で描いている創作者なのですが、一本だけで面白い、というよりも自作と繋がる設定の開示を物語の邪魔にならない程度に配置して、自作への誘導をするのが巧み。本作も例に漏れず、そうした方法論で描かれている作品です。
怪獣の体内に呑み込まれてなお楽しんでいる恵美子が豪胆で素敵。というか、どうも怪獣自体が彼女の想いに呼応して現れた存在のようだ。
怪獣が実際には自重で潰されるとか、たとえ歩くにしても俊敏には動けないはずだとか、過去栄華を極めた怪獣物も、現代においては数々のツッコミを受けることもありますが、本作では作者様の作品を通して登場する超能力者の存在が念頭にあるので「細かいことはいいんだよ!」とばかりに怪獣退治を巡る物語を堪能できる。いわばリアリティラインのコントロールが巧みなのですが、本作のみを切り取れば、荒唐無稽な世界観は賛否がわかれる作風ではあるでしょう。
キャラクター文芸として面白いけれど、怪獣が舞台装置であり、怪獣そのものに大きな意味がないのは個人的には少し物足りなさを感じたのも確かです。
──が、冒頭の怪獣の登場シーンからの名付けや作品全体を流れるSFのワクワク感などはエンタメとして大いに見習いたい部分。
怪獣に直接対峙する実質の主役といってもいいキャラである“双子”の超能力者、日比谷忠治/忠信のキャラが濃くて良い。実は双子ではなくて元々同一人物の彼らだけれど、その設定が本編で開示されるのは怪獣ギャオーとのバトル(と言っても体内に潜入するのみですが)が本格的に描かれるタイミングだし、お互いに特に方針が被ったりすることとなく、むしろ見た目全然違う性格として振る舞っているなど、読み手を飽きさせない。
明らかに世界で最も有名な怪獣研究者の名前をモジッている芹山や、怪獣と一体化した恵美子のなど、特に背景を大きく描くことがなくともキャラが立っているのは流石ですが、一本の作品として魅せようとするならば、彼らのバックボーンをもう少し本編で開示しても良かった。特に恵美子は怪獣に密接に関わる登場人物なので、たとえスピンオフだとしても本編に関係する部分の、彼女自身の心理描写をもう少し足すことができれば読み味がだいぶ良い方に変わってきそう。
心躍るSFドタバタ活劇を、楽しく読ませていただきました。
4.幻影怪獣クライアス(ぎざぎざ)
怪獣の名付け/呼称そのものをテーマとした小説。まず真っ向から今回の「怪獣の呼称」というテーマに挑んできたのは潔く、好感が持てるポイントでした。
ある日どこからともなく現れた、人々の幻影としてのみ存在する怪獣。その怪獣の名付け親となった主人公の心の動きを追い、その心情描写がそのまま怪獣クライアスの動きとリンクする物語は怪獣という存在を描く舞台として強くマッチしていました。
クライアスが何者なのか、そしてどうして現れてどうして消えたのか、その考察や推論は本編中で幾度となく語られます。しかし、それ自体も幻影であり、掴みどころのあるものではありません。作中の最有力仮説を唱え、その仮説を元に主人公も動くことになる“自称言語学者のセリザワ”も姿を現すことなどはしない。その描き方が実に心地よく、哀愁をも感じさせていたのは見事の一言。
短編小説としても引き締まっていて、冗長なところも特にないため、スラスラと読み進めることができました。多分これ以上作品をスリムにするのも中々難しいくらいには必要部分だけを残してカットしているんじゃないかな。
名前をつけるというのは実態を与えるということであり、それは「何だかよくわからかいもの」を「わかった気にさせる」効能がある。徹頭徹尾「何だかよくわからないもの」である“怪獣”が、そうした“理解”に弱い、または拒んでいたというのは深く頷けました。怪獣とは何かを改めて定義づけようとした時、私自身も「怪獣とは非日常の象徴である」という考えを支持するのですが、本作もその考えを下敷きに作られています。
非日常であり、かつ幻影(フィクション)であったとしてもその影響が確かに存在し、主人公の心に何かを残すというクライアスの在り方、私は大好きです。その影響がポジティブにとネガティブにも寄っているわけではないのが余計良い。だというのに何故か爽やかな終わり方をするので読後感も良い、というのは素晴らしいバランスでした。
強いて言うならば、最後に主人公がクライアスに向ける感情は少し熱すぎるようにも見えるか。ただそれも、主人公は怪獣の“おっかけ”であり、怪獣に対して複雑な想いを抱いていたところに、クライアスが消えたのとそれに対する推察を曲がりなりにも与えられたからこそのものであると考えると否定する部分でもないです。これ以上カットするのは難しいですが、その辺りの主人公の心情の移り変わりんもう少し足すことはできるかも。
幻影怪獣クライアスの明日に幸あれ。
5.怪獣の呼称(米太郎)
粗暴な女子高生である主人公が、怪獣に好きな男の子を殺されてその復讐のために生きながらも、多くの人々に出会い、正義とは何かを学びながら進んでいく──。
つまり最高のストーリーラインということですね。素晴らしい。怪獣の呼称のテーマが怪獣そのものにかかっているのではなく、最後に結ばれる二人の名前にかかっているのは変化球で挑戦的なものを感じられて良いです。
ただ、ストーリーラインが王道で最高であるからかそ見えてくる粗やポイントというところもいくつかあります。
まず主人公の後白さくら。その体型や粗暴さからゴジラと渾名される、までは良いのですが、この世界ではすでに10年前に怪獣の襲来があったというのが少しだけノイズになりました。10年も経てば災害の記憶も風化していると言えなくもないですが、実際に身近なところで怪獣が多くの犠牲者を出しているというのに怪獣の名前を渾名にするというのは作中世界でもだいぶ配慮に欠けているように思えます。また、怪獣に相対するのが普通の人間である理由付けもない。物語を読み進めていければ、怪獣に対抗するためにゴジラこと後白自身も怪獣になる熱くも悲しい展開になるので、ここも理由付けできなくはないですが、先程の「10年前に怪獣の襲来があった」の件にしても、設定開示の順番が物語への没入感を削いでいる部分があることは否めません。絶対にダメ、というわけではないですし、設定自体も王道で、展開も手に汗握るものであるのは間違いありません。方向性は間違っていないからこそ、細かい部分が気になってしまったのがもったいない作品でした。
けれど逆に言えばその辺りの演出にさえ気を配れば大きく化ける物語であると観ました! 後白と桃州の関係性も良いし、物語が進むにつれて次々に現れる怪獣たちの名前をもじった登場人物たちも魅力的でした。ただ、こちらもわざわざ東宝怪獣たちの名前を借りるのであれば、それだけの理由が欲しかったというのが正直なところ。贅沢な要求ですが、そういう部分ってやっぱり気になってきますからね! 特に今回は「怪獣の呼称」がテーマですから、その名前を使っただけの理由を求めてしまうのは仕方のないところ。
後白が不器用ながらも復讐を胸に抱き、正義を希求する姿に楽しませてもらいました!
6.フェンリルの子供たち(志村麦)
前回の怪獣小説大賞の大賞受賞者である志村麦さんの作品。
それだけに贔屓目なしに読むぞ、なんて気持ちも最初は一応あったのですが、今回の『フェンリルの子供たち』も読み始めると瞬時に優勝候補に躍り出ました。それくらい自分の好みにしっかり合致しました。本当に面白い。
本作は、現実世界に怪獣が現れる怪獣現象を追ったモキュメンタリーSFになっています。作中世界に怪獣が現れた時のことと、その前後の出来事を記した年表の書かれた、とある組織の内部文書から本作はスタートします。本作は、こうした関係者の記録や調査資料、文字起こしされた映像記録などの断片的な情報を作者の提示する順番で読み進めていくことで、物語全体が少しずつ見えてくるという作品。
怪獣を題材にしたモキュメンタリー小説というと虚淵玄が原案をつとめたアニメ『GODZILLA』のスピンオフ小説である『怪獣黙示録』などもあり、個人的には最近読んだ『ダリア・ミッチェル博士の発見と異変 世界から数十億人が消えた日』などが同じように断片的な資料から物語を提示しているSF小説でそれだけでもかなり好きな部類。性癖にくる。
断片的な情報を与えながらも、設定開示のタイミングが計算されていることで、作中世界で怪獣現象を追っている人間と同じような思考を辿れるようになっています。たとえば特殊兵士グレイプニルはASLAという組織の発案した各種計画からうみだされた対怪獣兵士と文書を頭に入れた後に、実はそれは偽りを含む情報であるということを後ほど(ある程度、文書を読んでこの世界の内情をわかってきてから)明かされる。こういう情報提示の調整がうまい。
また、今回のテーマである『怪獣の呼称』を真っ向から物語の謎・重要シークエンスとして描いているのも脱帽。締めも、壮大ながら物語としてしっかりと収束しており、読後感にもモヤモヤしたものは特に残らないバランス。SFとは頭でっかち選手権って誰かが言ってた記憶がありますが、怪獣に対する考察もそういう部分はたぶんに大きく、本作においての怪獣の定義をしっかりと決め打ちしているのも良い。
強いて言うならば、断片的な情報が作り出す物語であり、物語世界が向かう未来も明るいものとは言い難いので、そこに大きなカタルシスはないため、幾つもの文書を読んだ結末に肩透かしを食らったような気持ちになる読者は少なくなさそうだ、といった側面はあるかもしれません。
それでも私自身はかなり好きな作品であることは変わりません。前回の大賞作品である『みんな壊してくれる』と共に、多くの人に読んでほしい傑作です。
7.托卵(押田桧凪)
とある姉妹の交流を、姉妹の妹目線で描いた小説。
今回、講評で何度か「作中世界の設定開示の順序とかバランスは大事」の話をしているのですが、本作もまたお手本になりうる素晴らしい作品です。
怪獣がいる世界というのはファンタジーですから、そのファンタジーな世界を描くためには、その世界特有のリアリティを読者にいかに感じさせるかが肝になります。それも基本的には特大のファンタジーですからね。人間大の怪獣とか、一定の人間にしか見えない怪獣とかのアプローチもあるけれど、怪獣という存在はその存在感ゆえに隠すのが難しく、世界全てを吞み込んでいくことが多い。怪獣小説とはそうした非日常の象徴であるからこそ尊いのだ、というのは今適当にでっちあげただけですが。
本作は、最初は障害を持ってしまった姉とその世話をしなくてはならない妹の心のすれ違いを描く現代ドラマかのように進みますが、途中から怪獣は人間から変身することが認知されていて当たり前になっている世界だというのがわかります。
>それに、理科で習ったことでいうと怪獣が胎生だとは今まで聞いたことがなかった。
この一文が見事です。本作は姉妹の妹の目線で描かれるのですが、この世界では怪獣という存在が当たり前で、学校でも習うということ。そして続く文章で、怪獣図鑑が世の中には発行されていること、また怪獣の存在が当たり前であり新時代の代用食としても注目されていること、そうした「現実」とは違う事実が矢継ぎ早に明かされていきます。一見、よくある姉妹のお話のように見せて、実のところは私たちの常識とは全く違う世界で、それでも特殊な家庭環境下にあるのが本作の主人公であることがだんだんと分かっていく。それ故に情緒への訴えかけがすごい。世界が違う、常識が違う、考え方が違う彼女の気持ちの微細は、それを外から見るしかない読者には全てわかりようはないのだけれど、それでもこの物語が家族の話であり、愛の話であることはわかる。そこに共感も覚える。
どんな境遇の登場人物の話であっても、そこに普遍的なものを込めることはできるのだという、フィクションの力強さを感じさせてもらえました。
みぃちゃんかわいい。妹のるりちゃんにしてみたら、本当にたまったもんじゃないでしょうけれども。
8.大怪獣日本列島現る。(森本 有樹)
KUSO小説枠。この場合のKUSOというのは「くだらねえんだけど、ハチャメチャで面白い最高の小説」という意味です。念のため。
雌日本ってなんだよ、馬鹿。
古事記にも書かれる通り、日本列島は神々の産んだ子どもであり、そういう面ではもしかすると日本最古の怪獣こそ日本列島だと言えるのかもしれないですからね。んなわけあるか馬鹿。
怪獣の「怪獣」とか馬鹿な言い回ししているせいでオチがすぐにわからなかったのは加点対象か? 逆に減点か? なんて本気で悩んでしまった。馬鹿。
言ってしまえば出オチのショートショートです。日本列島が実は生物であり、その日本列島という怪獣が自身の生殖器という「怪獣」を突き立てて発情し、番を求めたことで宇宙からもう一つの「日本」が飛来するが、その怪獣にも「怪獣」が! 何言ってんだお前、馬鹿か。楽しい。
おかしくも楽しい作品ですが、それだけにこの題材ならば勢いの大事な小説でもあります。数万字の熱量の籠った作品がひしめく本企画において、3,700字と比較的少ない文字数で投稿してくれたわけですが、私から見ればまだ長い!
本作の本題は「日本列島が怪獣であること」「日本列島が発情期を迎え、生殖器が海上に現れたこと」「それによって宇宙から雌日本が飛来したこと」「雌日本は雌日本じゃなかった!?(オチ)」なので、それ以外の装飾は基本、邪魔です。超生物学専攻の田沢と総理大臣のやり取りとか、怪獣の「怪獣」を見てそれが生殖器であることも知らず沸き立つギャラリーとかの描写も面白いんでそれはあっていいんですが、あまり細かく描写しすぎても作品全体としては邪魔になってしまっています。
たとえば
>「つまり、交尾相手を探しているということでいいかな?」
総理の出した結論に「恐らくは。」と田沢は言った。
「分かった。防衛大臣、電波を受けた遠い宇宙から雌の日本列島が現れる可能性がある。各メーカーと連携して衛星軌道上での迎撃兵器の設計に努めてくれ。」
「判りました。しかしメーカーがいまいち最近防衛産業に乗り気でないような気が……。」
「尻を叩いてでもやるんだ。」総理は絶叫した。「天変地異が起こるんだ!!」
その時、総理大臣の専用電話がジリリリ、と突然なりだした。嫌な予感がした。まるで新入社員のように電話に出るのを拒んだが総理は意を決して受話器を取った。
「首相、国立天文台の吉田と申します。先ほど、重力場検知衛星が一斉に月軌道での重力のゆがみを確認しました。その歪みから巨大な隕石が出現しました。」
「まさか……。」
「やってきてしまった……やって来たのです。雌日本が……。」
のくだり。長い。削って
「つまり、交尾相手を探しているということでいいかな?」
総理の出した結論に「恐らくは。」と田沢は言った。
その時、総理大臣の専用電話がジリリリ、と突然なりだした。
「首相、国立天文台の吉田と申します。先ほど、重力場検知衛星が一斉に月軌道での重力のゆがみを確認しました。その歪みから巨大な隕石が出現しました。」
「まさか……。」
「やってきてしまった……やって来たのです。雌日本が……。」
くらい短くていい。メーカーが乗り気じゃないみたいな小ボケとかも好きなんでバッサリ切らなくてもいいかもしれませんが、こういう細かいところで詰めて詰めていくともっと面白く読みやすい作品になるのではないでしょうか。
っていうか、だいぶ長めに講評しちまった……。馬鹿。
大怪獣日本列島、楽しく笑わせてもらいました!
9.緊急(?)対策会議(わたくし)
巨大怪獣が現れた!
首相たちは慌てて緊急対策会議を開くが、そこで議題になるのは怪獣の命名をどうするかといったもので……という、既存の怪獣映画や円谷作品のパロディ満載のコメディ。
オチでブラックコメディにもなっている。昨今、多くの事件が起きながらも自分で実見することはあまりしない現代に向けた中々に風刺の効いた作品である。アニメ『星のカービィ』でも似たような話ありましたね。もしかしたらそれも踏まえておられるのかもしれない。
緊急対策会議に届く怪獣やUFO、巨人の情報はどれもどこかで聞いたことあるような特徴で、会議の出席者たちもどこかで聞いたことのあるような名前を怪獣たちにつけていく。それ自体がコメディめいた悪ふざけ感のある設定ですが、それもまたオチに向けた助走になっていてベネ。
ただ、そのオチが少し読みづらい。それまで会議録の形で作品が進み、最終話も同じ形式にも関わらず、急に地の文で事態の解説になっているのが原因。これが漫画だったりすると、急な文体の変更や長文の解説もギャグになりやすいのですが、小説の場合、最後の部分だけ文体が変わってしまうと目がすべりやすい傾向があるように思います。
じゃあどうしたら良かったのかというと、普通に最終話も会議録としてだけ進めば良かったのでは? と。ギミックが凝っているタイプの小説は勢いと演出がモノを言うので、変に理屈っぽくするよりも、もっと勢いに全振りした方が読みやすかったのではないかと思います。私自身は小難しかったり理屈っぽいのも好きだけど、それが効果的な時とそうでもない時はやっぱり分かれるので。
パロディはそこまで込み入ったものではなく、何となく聞いたことある人でもニヤリとしやいものだったので、ちょうど良かったですね。
いやー、しかし怖い怖い。緊急対策会議を笑うだけでなく、私もディスプレイやスマホの情報ばかりを本物だと思わないようにしなくては。いや、それとももう──?
10.アポカリプス・クロック(仮名)
該当作品削除のため、講評割愛。
11.その絶望を我と名付けよ(登美川ステファニイ)
言獣と呼ばれる生物が地球に現れ、暴走した言獣である怪謬との闘いを描くヒロイックなSF小説。言獣同士の戦いから物語は始まり、冒頭からいきなり「意味還流波」とか「意味インフレーション」「デカルト級思索飛行艦」といった仰々しい用語が並び、ハッタリ充分。これだけでグッと引き込まれるモノがあります。
戦記物かと思いきや、本作の主人公は言獣を操り怪謬と戦う言獣接続者となった救衆秋生という中学生。言獣接続者でありながらも己の言獣を巨大化させることができず、戦う意味や人生の在り方に悩む少年の物語であり、だいぶエンタメ度が高い。弱気な主人公の秋生だけでなく、彼のパートナー言獣であるウェル、正義に燃える熱血漢の大岩戸、どこか陰のある大企業の令嬢の帝山と、魅力満載の登場人物たちが物語を賑やかします。
これだけ一種の王道的アプローチで来るのであれば、冒頭の戦闘シークエンスは少し長すぎたのではないか、という気もします。いや、でもあれは書きたいもんなー! 私自身、プロローグにあたるお話を壮大にしがちな癖があるのでああした入りにしたくなるのはすごく共感します。実際面白かったですし、絶対に削らなければいけない部分というわけではないのですが、この物語の本題にあたる秋生の心の葛藤に行くまでが40,000字スケールの作品だと少し長かったのは確か。これが長編だとまた話は変わってくると思います。
言獣接続者が言獣と戦うためには戦うための信念が必要であり、同じ接続者の大岩戸は正義感、帝山は使命感、といった信念で戦うけれど、まだ若い秋生は自分の信念を中々見つけられない。大方の中学生がそうであるように、人生に大きな不満を抱いている風も見せず、流されるように生きている――。けれど、それは彼にとってはある種の防衛本能。実際には、学校ではイジめられているし、家庭でも母親が病んでいてそれを気にしている。でも、そうした事実を「大したことじゃない」と嘯き、日々を生きていた彼は、物語の佳境で自身の心に蓋をしていたことに気付き、自分はそうした人生の中で感じた「絶望」の力で戦うのだ、と奮起する物語が本作です。この流れ、とても好き。ただ絶望から乗り越えるわけではなく、正義や使命など誰かから与えられた何かを目指すためでもなく、自分の人生の中に確かに存在する「絶望」を認めることで、初めてパートナーのウェルを戦わせることができた、というのは確かに地味かもしれないけれど、それこそが本作独特の魅力として輝きます。彼の「絶望」が人生から取り除かれることは難しいだろうし、だからと言って、彼がずっとそうしてきたように自己防衛からそれをないもののように過ごすのではなく「そこにあって、付き合っていかなきゃいけないもの」と決めたのは、それはやっぱり成長と呼んで良いものだ思います。
続編も考えている、とのことなので興味津々です。心に染み入る、素晴らしい物語でした。
12.春と修羅と怪獣と私(紫陽_凛)
朝起きると、怪獣になっていた。
ザムザの『変身』めいた、人間が怪獣に変貌する話は、一種の性癖としてある気がします。自分はマタンゴ的とよく言っている。元が人間の悲しい特撮作品も枚挙にいとまがない。
本作はある日目覚めると怪獣になってしまっていた女性、奈々菜を主役とする短編小説で、意識はあるけれど意思疎通もできない存在となり人々に恐れられる。こういう話を書く際、怪獣って究極の怪物として最適な部分があります。まず怪獣はデカい。人間よりも大きな、街を破壊してしまうほどの大きさの怪獣はそれだけで脅威だし、言葉が通じないために意思疎通も難しい(少年が怪獣になってしまったカネゴンとかは人間サイズだったり喋れたりもするけどそれはそれ)。作中の文章にもあるように「存在するだけで罪」である特徴が、確かに怪獣にはある。決して、そうであるばかりではないはずなのだけれど。
周囲と隔絶される奈々菜だけど、そんな彼女のことを唯一、親友の結由夏だけが彼女を彼女だと認識する。大学時代、結由夏と一緒に『シン・ゴジラ』を観に行ったことがきっかけで宮沢賢治(作中では正字で宮澤賢治)を研究した奈々菜が結由夏に向ける感情は、そのエピソードひとつ取るだけでも一言では表しきれないもので、彼女たちの間にだけ確かに存在する絆が宮澤賢治の『春と修羅』そして怪獣で結ばれている。奈々菜がどうして怪獣になってしまったのか、その理由も原因も何も語られないけれど、怪獣になってもなお大きな感情を抱いていた奈々菜と彼女の存在に気付く結由夏の感情の交流は尊く、感じ入るものがありました。
本作を一言で表すなら「親友が遠くに行ってしまってもなお、その存在を忘れない話」なのでしょう。それを怪獣という存在を通して描いている。怪獣になり、遠くに行ってしまった彼女を想うことは、ある種信仰じみています。実際に、結由夏の中にも彼女だけでなく彼女と過ごした日々など、彼女の周辺にある全てに対する、神への信仰のような感情が垣間見えるような気もします。少なくとも私はそう読み取りました。怪獣の正体が何も描かれない分、他にも色々な解釈のしようはありますし、文学の味わいを強めていました。
淡い雰囲気の中に確かに濃い二人の絆を感じる怪獣文学作品でした。
13.ロックンロール・オールナイト(南沼)
クラムズと呼ばれる怪獣と戦車乗り達との闘いを描く戦争小説。
同じ戦車に搭乗し、怪獣との戦争にのぞむ部隊を描いており、映画『フューリー』のような趣きのある作品です。彼らが乗るのはAI搭載型多脚戦車通称エレク。エレクは小粋なジョークも飛ばせるくらいプログラミングされた人工知能であり、本作は戦車乗り達のやり取りだけでなく、人とAIとの交流までもこの一本で描いてしまっている贅沢な一遍になっているのが良い。
AIのエレクをポンコツと呼ぶ乗組員の一人タイラーに向けて『貴方をくろんぼとお呼びすれば?』などと同じく無骨で無遠慮な返しをするエレクのやり取りとか、こんなんいくらあっても良いですからね。
カツとカレーがちゃんと調和している。おかわりをくれ。
本作で描かれるのはあくまで人と怪獣の闘いのほんの一つでしかなく、彼ら以外のところでも敵である怪獣との戦争は繰り広げられ、そして終わらない。そんな諦観を感じさせる格好いい小洒落たラストも含めて、重厚な戦争小説として確立しており、読み応え抜群。
怪獣は彗星から現れた珪素生物であり、自分たちと違う炭素生物を食べるでもなく襲うなどといった、戦車と怪獣との闘いを充分に堪能するための設定もしっかりしており、設定が物語に振り回されていません。これ、実はすごい難しい。今回の企画でも色々な怪獣の設定を見させてもらいましたが、その中でも本作は戦車VS怪獣を描く物語のために全てが用意されていて、最も地に足がついた作品の一つでした。
戦闘描写も詳細に、マニアックに描きながらも冗長さはないちょうどいいリーダビリティの上、文章が構成されていて、手を止めることなく読み進めることができました。
怪獣達との闘いを続ける三人の戦車乗り一体の人工知能に、敬礼!
14.GAI/Gingerly Abominable Incendiary(きょうじゅ)
核すらも通じず、世界を終焉に導く怪獣GAI。
各国首脳もなすすべがない。そんな怪獣に我々はどう対処するべきなのか……。
一つ言わせてくれ。
――これ、前回と同じオチ!!
オチっていうか……いやオチだな。第三回で天丼喰らわせてきたら暫く笑いが止まらないかもしれない。いや、コメディとかではないんだけども。
いやね、怪獣という存在に収集つけようとすると、実際こうなるんだよね。
特に今、下手に怪獣を現代兵器が通じるような存在として描くと、うるさ方が「そんなのは怪獣ではない」とか言う(俺も言うけど)し、じゃあ破壊の限りを尽くす怪獣にどう収集をつけるかと言えば、人智を超えた、神の如き奇跡に降臨してもらう他ない。デウスエクスマキナは使いどころが悪ければ嫌われるし、雑に扱うべきではない概念なんですけど、こと怪獣に対しては結局これが一番良い対抗策なんですよね! これを避けようと皆頑張るわけだけど、実際には似たような存在に出張ってもらうことになる。ならそのものに来てもらうのは、物語の解決策としてはベスト。本当か? やっぱりこれ、やるだけで『大日本人』みたいになるシュールギャグでは?
賑やかしとしてちょうど良い長さの掌編だったと思います。これ以上長かったら下手すると笑いながらキレてた。
すぐ読める一遍ですので、レビュー読んで本編読んでない方がいれば、とりあえず是非ご一読あれ。
15.怪獣の腕の中(朝霞肇)
大好き。前述の通り、最後の最後まで大賞にするか悩んだほどです。
怪獣によって荒廃した(?)世界で、怪獣と少女の交流を描くポストアポカリプス作品。後に少女が「カミ」と呼ぶ怪獣と少女のやり取りが可愛らしい。可愛らしいのは途中までで、最後には一人と一体は血に塗れた選択をするわけですが。
カミ、勝手に猫顔の首長龍みたいなのを想像してたんですが、後から読み直すと文章では少女から見た「毛はなくて、うろこっぽい感じ」「手足は体に比べて短い」「頭には耳っぽいものがあるけど、ぺたんとたれている」で、それ以上の情報はありませんでしたね。これはもっと詳細に描いた方がいい、というわけではなくこれで良いです。具体的な外見を細部まで描写するのも一つのわざですが、怪獣という人によって想像するものが異なる存在を描くには、情報量がある程度絞られていた方が、読み手ごとに想像の余地が広がっていい。
途中までは、荒廃してしまった世界で何もわからずにいる少女と、幼児のようなやり取りしかできない怪獣との、ハートウォーミングなお話かと思いきや、ショッピングモールで両親と再会したところで、様子が変わってきます。実のところ、本作の語り部である少女は両親から虐待を受けており、それが日常であったこと。世界が荒廃したことで、その日常から脱したのだということが描かれる。そこで少女は怪獣と出会うわけで、ポストアポカリプスで日常など存在しないように見えた物語が実は、私の大好きな「怪獣とは非日常の象徴である」という部分を踏襲したものであったことがわかる。
少女が両親と訣別し、「カミ」に命じるシーンは悲しくも心を震わせる強さがあり、必見。
怪獣に命じて自身の望みを叶えている少女と怪獣の関係は、対等と言えるのかは微妙なところ。しかし、少女が両親との決別を経てから「カミ」の方から、自分が少女にそうしてもらったように、「カミ」は少女にも名前をつけたいと歩み寄る。このいつ崩れてもおかしくなさそうだけれど、確かに収まっている関係性が大好き。人間と人外的な存在の理想の関係の一つが描かれていました。
彼女たちの先にあるのは希望なのか、それとも別の何かなのか。そこまでは本作では語られないし、そこは読む人によって違った解釈があることでしょう。
大好きな物語をありがとうございました。
16.三つ葉の恋は人知れず(皆かしこ)
前エントリー作品の『怪獣は腕の中』に続いてポストアポカリプス作品。
ただしこちらは人類が滅んでから長い年月が経っており、人間はもはやこの世界には存在せず、その代わり人間から進化した怪獣「リーヴス」が生きている。
主人公もそんなリーヴスの少年。ただ、彼は人間の絵本作家が描いた絵本の影響で人間にあこがれを抱いており、「リーヴス」とこの世界に叛逆を挑みます。
強さを求め、同族殺しが宿命である「リーヴス」という種族と、その宿命に抗おうとする主人公レンスイの描き方が見事。リーヴスを決して「間違った種族」のような書き方はせず、あくまでレンスイはその在り方に疑問を抱いた一体の外れ値として描いているのが素敵。
人間全てが怪獣になってしまった世界なので、怪獣小説というよりはポストヒューマンSFといった趣きではあります。人類の次の世代の、全く異なる本能と文化を持つ存在として、怪獣が描かれている。逆に言うと、怪獣が街を破壊するとか、怪獣同士が戦う作品とは一線を画した面白さがある作品であり、今回の企画に投稿された作品の中でも個性の光る一作でした。
物語中、そんなレンスイに惹かれる友人として登場するザクロムとシキメのやり取りも楽しく、ラストも儚げではあれど、レンスイのような存在が出てくるのであれば、リーヴスもまた人類のようになんだかんだと前に進んでいくのではないかと思えた。レンスイの人生が、人間である望月茉子から繋がれたものであるように。または全く逆で、レンスイがいなくなってしまったことはリーヴスの損失と捉える読み方もあるでしょう。その判断は作中では提示されず、読者にゆだねられている文学性が示されています。
それでいて読みやすく、魅力的な怪獣達に思いを馳せることのできる一遍。
17.かいじゅう(草森ゆき)
該当作品削除のため講評割愛。
18.目(藤田桜)
今回集まった中では意外にも唯一の歴史モノ。
インカ帝国の生贄を題材とした短編小説。
私たちの世界とは違う別世界を描いた小説としては、皆かしこさんの『三つ葉の恋は人知れず』の類型かも。
「現身さま」と呼ばれて信仰を集める男の子「アリン・チタ」と、彼のもとに忍び込んでお話をする少女コレイルの交流を描いた作品。
現代が舞台となる時、怪獣は災害の化身として描かれることが多分にありますが、本作では、自然を畏れるかつての帝国の人々から見た地震や空に浮かぶ「目」を怪獣として描いていて、当然のことながら作中では怪獣という言葉は使われない。けれど、怪獣への畏れとは正に神や自然への畏れでもあって、その部分をインカ帝国の「生贄」という題材に落とし込んだ着眼点に感心。
歴史という物語、人々の自然への畏れに抗うことができなかった少年少女の儚い物語は、悲しく重い感情を読後に残します。
構成の独特さもあるけれど、実はかなり怪獣ファーストな作品であるようにも思います。本作における怪獣は空に浮かぶ「目」ですが、その「目」がまずは存在していて、その影響としてアリン・チタとコレイルの物語が存在している。二人の少年少女はそうした物語の濁流になすすべもないけれど、その物語の中心には必ず空に浮かぶ「目」がある。
ウルトラ作品とかでも「怪獣は主役なのに」と言われることがあります。ウルトラシリーズは元々、TVでも映画館のように怪獣を描くために始まったシリーズなので、怪獣を中心とした物語を喜ぶ層が一定数いる。本作をそういうシリーズの中にエピソードとしてえいやと放り込んでも全然遜色ない程に(怪獣という言葉は作中には出てこないのに)「目」とそれが引き起こした物語を描くことに終始していました。
結局この「目」とは何だったのでしょう。日食? 本当に怪獣の目? ──そんなことも実際のところはどうでもいいっちゃどうでもいい。
最後のエントリー作品としても相応しい、トリッキーながらも怪獣を中心に描いた良い作品でした。
0.ジュラガカン(宮塚恵一)
主催者作品。
後夜祭参加作品.寝てるうちに飛ぶ(梅緒連寸)
こちらも人類の文明が滅んだ後のお話。
宇宙からの侵略種を倒すために設計された兵器とその兵器に搭乗した人間が怪獣となり、何百年と生き続ける。そんな世界観を、登場人物の名前と年齢だけが記されたタイトルの何編かで構成している作品。このちょっとした手法が作品世界にマッチしているのが好き。
リップ・ルーの独白部分が完全にAIの思考のようなんだけれど、後に仲間のラルフから見たリップ・ルーの様子が語られるなど、短いながら登場人物に親しみを感じられる構成がお見事。ラルフ、リップ・ルー、センパイ。みんな良いキャラ。こんなに短いのにある程度の人となりが何となくわかるような気がするくらい、単純にキャラ造形とそれを表現する文章が上手い。
怪獣と呼ばれてしまうようになった兵器は、搭乗した人間の精神が確実に壊れてしまう為、通常の人間が連続して搭乗することはできない。それならばと「最初から精神の破綻している」精神患者を乗り込ませる、というトンデモない手法で運用されたもの。結果として彼ら自身が荒廃した世界で何百年も人類の脅威として存在する。これ以上にない悲哀だ。
物語は対侵略種兵器に乗り込んだうちの一人、ラルフの目線で終わる。
百年どころか一万年以上を生き続けた彼も遂には人類最後の生き残りと共に最期を迎えます。人類滅亡までを描く壮大なサーガの一編としての本作は悲哀に満ちながらも、ラルフがかつて仲間たちとの記憶を思い出しながら、どこか温かい物語として終わりを迎えます。このバランスが丁度良い。
本祭参加作品に負けず劣らず重厚な筆致と世界観で描かれた作品です。
総評
今回も本当に面白い、珠玉の作品が何作も集まりました。カクヨムのレビュー数的には振るわない作品も多いのですが、それはカクヨムでは星の数と面白さが決して比例するわけではないからなので、今からでも大賞作品をはじめ、怪獣という言葉に惹かれる同士であれば是非とも参加作品を読んで楽しんでほしい。
今回は自己都合で講評発表が遅れ、参加者の皆様、読者の皆様には不満を感じさせてしまったところもあるかと思います。重ねての反省になりますが、第三回はあらかじめ設けた講評締切日には槍が振ろうと雨が降ろうと確実に講評発表をさせていただく所存ですので、次回の開催の時も是非よろしくお願いしたいです……!
さて、今回は第一回とは趣向を変え、「怪獣の呼称」というテーマを設けての企画開催でした。テーマを設けたことで生まれた化学反応もあれば、逆にテーマゆえに縮こまった節のあるところもあるのは他の企画と同じですが、ちょっと面白かったのは、「怪獣の呼称」というテーマの為、第一回と比べて「怪獣という概念」をもとに描いた作品ではなく、怪獣そのものを描いた作品が多かったこと。また、これは主催者の趣味に合わせてもらったところもあるかと思いますが、怪獣という存在が物理的に存在するというより、手法は色々あれど、人間の想いによって存在の左右されるモノとして描いている作品が多かった。
怪獣の正体が元人間、というのも多かったですね。これはテーマとはあまり関係なさそうな気はするのですが、小説という媒体で怪獣を表現しようとすると、書きやすい構成なのかもしれません。
今回もまた多くの怪獣小説の投稿、ありがとうございました!
読者として、レビュアーとして企画を盛り上げてくださった皆様にも感謝を。
それではまた次回。第三回怪獣小説大賞でお会いしましょう!!
やるぞ!!!