『AUTO HALL CITY』Chapter8:The Tears of The Ruthless Hitman(殺し屋の矜持と英雄の条件)
『Chapter8:The Tears of The Ruthless Hitman』
資料の中の彼は、美しく成長していた。
彼の持ち味である艶やかな黒髪は、後ろで束ねていてその美麗な顔がよく映える。
これで義体置換化もしていない生身の肉体だと言うんだから。
まだ十代だった彼の姿を思い出す。私の後ろを着いて回っていた頃のルベンは、どんな仕草であれ、私の真似をしようと躍起になっていた。
「なあミルコ、僕もあんたみたいな格好いい男になりたいな」
「俺の教えを忘れなければ俺みたいにはなれるとも」
「あんたみたいな殺し屋になれる?」
「なれる。俺は特別なことをしているわけじゃない。殺し屋として必要なことを一つ一つ忘れずに実行しているに過ぎない」
「じゃあ教えてくれよ。一つ残らず」
まだ幼さの残っていたルベンとのそんなやり取り。
私はそれが嫌いじゃなかったし、その生活がいつまでも続くものと、どこかで思っていた。
資料を元に、ルベンを護送する車が通ると情報のあった場所で待ち伏せる。
ルベンが車から降りた一瞬を見計らい、その眉間に銃弾を撃ち込む手筈だ。
「こういう奴をこそ、地下に堕として蹂躙するのがあんたの趣味だと思ったが」
この仕事を受ける前に私がそう問うた時、その五指に宝石をギラつかせて、オーナーはニヤリと笑った。私の雇い主でもある彼は、この街の地下にある闘技場の経営者だ。
彼の勢力、偉大なる興行主と言えば今や街の裏社会での一大勢力である。
「抜かりはない。貴様の仕事ぶりは全て生配信する」
成程。
敵対組織との抗争すらその商売の道具とするとは、興行師の名は伊達でない。
興行の匂いは見逃さないか。
現在、興行師の勢力は、他の裏組織との抗争中だった。
裏組織は元々オーナーに取っても目の上の痣瘤であったのが、その下っ端に闘技場の剣闘士を殺されたとして、その対立は激化した。
私が暗殺を依頼されたルベンは、裏組織のナンバー2だ。
「それに君と彼との因縁も知っている」
以前、私も裏組織の一員だった。当時の首領のお気に入りだった彼の教育係を任じられた私にとって、ルベンは自分の息子同然だった。
「妻子を毒牙に掛けた仇を討つ機会を用意してやったんだ。感謝してほしいものだね」
「相変わらず悪趣味だ」
そして、かつて彼は、私の妻を殺した。
彼女のお腹にいた、私の子供諸共に。
私はひたすらに路地裏で待った。彼を殺す瞬間が訪れるのを。
仇か。オーナーはそう言ったが、本音を言えば、まだ彼のことを憎み切れない。彼が何故あんな凶行に走ったのか、未だに答えを知らないが、こんな生き方しかできない時点で他人をとやかく言う筋合いもない。
黒塗りの車が、私の潜む路地の前に停まった。緊張の糸が張り詰める。
裏組織の命通り、敵対する人間の暗殺から帰ったある日のこと。
あの日は、いつものように私を出迎えるルベンの姿が玄関にはなかった。
その代わり、家の奥から、シャワーの音が聞こえてきた。誰か風呂に入っているのか、と浴室を見た私は息をするのを忘れた。
妻が。エレノアが浴槽に裸で倒れていた。
浴槽の彼女は虚空を見ていて、その首筋からどくどくと血を流している。
その前にいるのは、裸のルベンで。
「おかえり。ミルコ」
ルベンは私に気付くと、首だけを回して私を見た。
「上手くやれてるかな」
ルベンのその声を聞いて、私は、彼に殴り掛かった。
殺し屋として己を殺し、ただ任務に従順であり続けた私が己を表に出したのは、後にも先にもあの時だけだったかもわからない。
あの綺麗な顔を、本気でぐしゃぐしゃにしてやりたいと思った。
組織の人間が急いで現れて、私をルベンから引き剥がしたが、それでも私は彼を殴るのを止めようとはしなかった。
首領のお気に入りだった彼に怪我を負わせた私が組織を追われ、興行主に拾われて剣闘士となってからは、殺しの技術を披露したことはないが、雇い主にやれと言われたならやらねばなるまい。
「だが願うことなら、理由ぐらいは」
車から降りる人影。その顔を確認する。
ルベンの顔だ。私はスコープ越しに彼の頭を狙う。護衛に守られているその眉間が、射線上に来たその瞬間。
引き金を引く。
人影が倒れた。慌てる護衛達。
私は万が一仕損じている時に備え、もう一度スコープを覗く。
「残念だね、ミルコ」
背後から、声がした。私の名前を呼ぶ、透き通った声。間違える筈がない。
「ルベンか」
スコープに映る、獲物の顔を確認した。そちらも資料通りのルベンの顔に間違いはない。眉間ど真ん中に銃弾が命中し、どくどくと血を流して倒れている。
だが、実際に私の背後にもルベンは立っている。
ガチャリと音がした。私の後頭部に、銃口が向けられているのがわかる。
影武者だな。私がさっき撃ったのは、ルベン本人ではない。整形か、立体映像か、人造人間か。同じ顔の人間を用意する方法など、幾らでもある。
「僕を狙う殺し屋が雇われているのは分かっていた。だから、その正体を探る為に彼には犠牲になってもらった。その殺し屋がミルコとは、知らなかったけど」
「甘いな」
「何?」
「殺し屋が知り合いであろうなかろうが、その居場所がわかった瞬間に、殺すべきだ。お前はいつも、爪が甘い」
裏組織のナンバー2。その暗殺依頼だ。当然、私が影武者の可能性も考慮に入れていないわけがない。
私は手元の起爆スイッチを押す。
路地に悲鳴が響いた。この一帯に、あらかじめ高圧電流を流せるように、特殊地雷を設置していた。
私は地面を蹴り上げた。跳躍し、銃口を背後で痺れて動けなくなっているルベンに向ける。
だが、恐らくさっき私に銃口を突きつけていた奴だろう。ルベン付きの護衛がその射線を阻む。
私は構わず、引き金を引く。
一人。護衛が倒れる。ルベン付きの護衛は後三人。
以前なら、もっと大勢の人間を引き連れることも出来たのであろう。だが、ルベンの所属する裏組織は、興行主との抗争で最早死に体だ。
だからルベンも信用できる精鋭しか、護衛に付けることは出来なかったのだろう。
二人目。三人目。四人目。
まずはその護衛達からだと、私は全員の眉間に銃弾を撃ち込む。
狙撃手の中には、敢えて頭を狙わずにいる者もいるが、私はそんな間怠っこしいことはしない。
路地には、ルベンと私だけが残された。
私はルベンに銃口を向けようとして、銃を握る腕に強い衝撃を感じた。
「見事だな」
ルベンが電撃の痺れから復活して、私の持つ狙撃銃を蹴り上げていた。
電気や毒、その他の身を不自由にする物への対策をルベンに教えたのも私だ。きっと、手早く殺さなければ復活されるだろうとは思っていた。
「だが、それで満足するな」
腰のホルスターから、私は拳銃を抜く。ルベンの動きも速かった。
私が拳銃を抜き取るよりも前にルベンは拳銃を抜き、私の身体に向けて引き金を引いていた。
銃の抜き合いになったなら、相手のどこを狙おうなんて考えるな。まずは当てることだ。
そう教えたのも私だ。
だが、それは相手を見てやるべきだな。
「んな」
私は一気にルベンとの距離を詰めた。彼の美しい黒髪が揺れる。胸に向けて、銃弾をぶつける。
ルベンは倒れた。生身のルベンとは違い、私は組織を抜けてから、剣闘士になるにあたり義体化手術を受けている。さっきの電撃が、私にだけ効果がなかったのも、私の身体が義体だからだ。
「狡いよミルコのおっさん……」
「全ての可能性を考えろ。そう教えた筈だ」
「やっぱりあんたは、僕のヒーローだ」
ルベンはそう言って、血を吐いた。さっきの一瞬でも、ルベンは身体を捻り致命傷は外したようだったが、それが逆に彼を苦しめている。
このまま放置しても長くはないだろう。
だが……。
「ルベン。俺は、お前を殺す」
「ああ」
「だが、最期に教えてくれ。どうして、私の妻を殺した。どうして、俺の子を殺した」
憎しみなぞ、とうに流した。
獲物が誰であれ、情けをかけることなく始末するのが私の流儀だ。
それでも聞きたかった。あの日のことを。
あの日々は、どうして続かなかったのかを。
「僕はさ……」
弱々しい声で、ルベンは笑った。その顔はやはり美しく。
「あんたには、僕だけのヒーローでいて欲しかったんだよ」
「どういうことだ」
「あんたの目が、エレノアに……本当の息子に向くのかと思うと、嫉妬した。あんたには僕だけを見ていて欲しかった。だから」
だから、殺したと。
ルベンのエレノアとの仲も決して悪くなかった筈だったのに、どうしてああも簡単に頸動脈を切ったのか。どうして殺してしまったのか。ずっとずっと気になっていたけれど。
「そんなこと」
「そんなことが、僕には全てだった」
私は思わず、目を瞑った。獲物を目の前にしながらあるまじきことだが、今回ばかりは、己の信条にも蓋をした。
「悪かった」
「謝るなよ」
改めて銃口をルベンに向けた。こんな未来しか、私には用意できない。
「せめて安らかに」
「僕も、最期をあんたに看取ってもらえて光栄だよ」
引き金を引いた。沈黙が一帯を支配した。
仕事が終わり、興行師は事前に伝えられていた以上の報酬を私に用意した。
「まさかあれだけの興行になるとは。嬉しい誤算だったよ」
「そうですか」
「君にはこれからも、この路線で役者として頑張ってもらうぞ」
「それですがオーナー」
私は興行師に銃を向けた。
「……何のつもりだね」
「私は、ここを抜けます」
「馬鹿が」
興行師の表情が怒りで満たされた。分かっている。こんなことをしても、興行師を殺すことも叶わない。
それでも、俺は殺し屋として生きて初めて、最期に自分の意志を表に出そうと。
その瞬間、急に辺りが真っ白になる。私の脳内に仕込まれた特殊爆弾が起爆したのだ。
ルベンとエレノアが、私を見て満面の笑みで笑っている。そんな記憶はない。これは幻だ。死の間際に、私が見たかったものを、脳が勝手に創り上げているに過ぎない。
私の身体は、一秒と経たずに爆発霧散する。
それで良かった。これは罰だ。己を殺し続けた自分は、己を生かそうとした瞬間に他者に殺される。
だがそれは、何処か清々しさすらあって──。