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「自慢したい」を乗り越えたい

note、久しぶりに書いております。酔っ払うと意味深っぽかったりポエムっぽいことをSNSに呟くと言う悪癖がある僕ですが、それが加速して140字に収まらなくなったときにここを使おうかと思います。悪癖は悪化の一途を辿ることでしょう。

今回は「自慢する」ということに関して思うことを書いていこうかと思います。みんな好きだよね、自慢。僕も好きです。

多くの人にとって、上手く行っていることや良いことがあると、つい自慢したくなっちゃうのはきっと自然な欲求だと思うのです。それはきっと、人に羨まれると気分が良いとか、ちょっと優越感を感じたいとか、馬鹿にされたくないとか、色々な思いから来てるんだと思います。集団のなかで立場を良くすると生存に有利、みたいな動物的本能もあるんじゃないかな。

子どもから大人までみんなやるもんね。最新のゲームを持ってるとか、足が速いとか、人気者と友達だとか、恋人が最高だとか、学歴があるとか、年収が高いとか、挙げ出したら際限ないですね。無限アンドソーオン状態ですね。なんですか?その状態は。

やっぱりそれだけ気持ちいいことなんだと思うし、「自慢してやるぞ!」とか「周りの奴らを見返してやるぞ!」っていうのがモチベーションになることも多々あると思います。それは悪いことじゃないと思う。

ただ一方で、それは人の嫉妬心や劣等感を煽る行為だと言えるかもしれないし、人の目を気にしてしまう自信の無さの表れだとも言えるかもしれない。
受け取る相手にもよるんだけれど、常にそういう側面がある行為なんだと思います。

自慢すると気持ちいい、それは確かにそう。
でもそれってけっこう相手に甘えてるんじゃないかなと思うのです。ぶつける対象がいないと成立しない、一人では絶対に出来ないのが「自慢する」という行為だから。そのうえ相手のネガティブな感情を刺激してしまう危険性もある。

だから他人を見下したように自慢する人は相手の気持ちを考えない精神的に幼い人なのかなと思うし、逆に「自慢していい?」とか「褒めて?」とかいう一言がある人は可愛げがあって甘えさせてあげたいなと思ってしまいます。

ここまで考えて、優しく自慢し合える相手がいたらいいなぁとか、もっと言うと誰かに自慢しなくても済むような心を持っていられたら良いなぁと思うようになってきたのです。

結局、他人にどう思われようが自分の幸せの価値は揺らがない、と信じられたら、自慢する必要も無くなるんじゃないかなぁ。
 
誰かに「羨ましい!」って言われると幸せが増えるとか、誰かに「しょーもない」って言われると幸せが減るとか、そんなの気にすることはなくて、「あなたにどう思われようが、僕は幸せです。どうぞ好き勝手言っててください」ぐらい言えるように生きていきたいなぁ。

数年前よりは確実にそこに近づいているし、うん、この調子で生き永らえていこう。と思う今日この頃です。

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