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AI美女とジルコニア は似ている? その価値の本質はどこか

note、久しぶりに書いております。3週間ぶりくらい。また月1ペースに戻りつつあるね。
この3週間、一気に夏が加速した感じで、ま〜じで暑いよね最近。僕が雪だるまだったら溶けてるレベル。…冬でも溶けるか、それは。

今回はTwitterで呟こうと思ったら字数オーバーになったから、noteにしてしまおう!という感じで書いてます。もはや本題に1ミリも入らずにとっくに140字を超えているね!最近リリースされたThreadsだと500字まで書けるらしいから、今度ちょっと試してみます。

何を書こうとしていたかというと、タイトルにもあるように最近流行りのAI美女についての考察というか、持論というか、気になるポイントというか、与太話というか、そんな話を書きたいと思います。もう字数を気にしなくていいからね。回りくどい言い回しをしていかないとね、うん。

みなさん”AI美女”と聞いてピンと来ますか?これが何かっていうと、AIで作られた美女の画像のことです。最近はAIで画像が作れるんですね。サービスの名前でいうと、MidjourneyとかStable Diffusionとか、入力したテキスト(文字)から自動で画像を作ってくれるんです!すごいですね〜。

はじめの方は、絵画とかイラストのイメージが強かった気がするけど、最近は本物の人間と区別がつかないくらいリアルな画像が作られるようになっているみたいなんです。そのAI美女の写真集が出版社から発売されたりしていて、時代がガンガン進んでる感じがしますよね〜。

そんなニュースを見ていて思ったのが、「AI美女ってジルコニアに似てるかな?いやそんなことないかもな?」ということです。

みなさんジルコニアと聞いてピンと来ますか?(キュービックジルコニアと言った方が正しいかもしれませんが) いわゆる人工ダイヤモンドのことですね。アクセサリーとかにもよく使われています。
ピンと来ないものをピンと来ないもので例えられたら嫌ですよね。もし、どっちもピンと来ねーよ!と思いながら読んでくれている人がいたら、このタイトルの文章を読み始めてくれてありがとうという感謝でいっぱいです。

話を戻すと、AI美女と人工ダイヤモンドって似てないか?と思ったということです。それは、美しくて希少と言われていた天然素材の「美しさを量産可能になった」という点においてです。

まず人工ダイヤモンド、ジルコニアについて考えてみます。

ダイヤモンドはその輝きが魅力とされています。光の屈折率が高く、内部で何度も反射し、プリズムみたく虹のように輝きます。だからダイヤモンドは他の宝石と違って、無色透明なほど価値が高いとされるんですね。よっ!宝石の王様!

ジルコニアはそのダイヤモンドの輝きを再現しています。素人にはパッと見では見分けがつかない。希少で高価とされていたその輝きは、今や数十分の一の値段で手に入れることができるようになりました。

となれば「もう高いお金を出す必要ないじゃん!偽物が本物に敵わないなんて道理はない!いくぞ英雄王。武器の貯蔵は十分か!」と思いたくなりますよね。

でも実際は婚約指輪に人工ダイヤモンドだと何か冷めるし、身につけた時の満足感も本物の方が上の様な気がしませんか?
ジルコニアのアクセサリーが量産されても、ダイヤモンドのアクセサリーの方が圧倒的に高価であることは変わりません。

例えば、「指輪は偽物のダイヤです!給料3日分です!でも綺麗だからいいよね!」というプロポーズは何となく失敗しそうだよね。「私への気持ちはその程度!?」と怒られて、水をぶっかけられて、指輪もろとも光を反射してキラキラ輝きそうだよね。

こういった例から、ダイヤモンドの価値は美しさ以上に、その”希少性”やみんなが憧れている高価なものという”ブランド力”にあると言えるのではないでしょうか?

ここでAI美女についても考えてみましょう。
さっきから書いているように、僕は直感的に「AI美女とジルコニアは似ている」と思いました。

そして、「ジルコニアのアクセサリーが量産されてからもダイヤモンドの価値は失われていない。よって、AI美女が量産されても実在の美女(グラビアアイドルなど)の価値は失われない」と結論づけそうになったところで、違和感を覚えました。

それは「ダイヤモンドとグラビアアイドルの価値の本質は同じなのか?」という違和感です。

さっきも書いたように、「ダイヤモンドはその希少性やブランド力に価値がある。そのために、量産可能な類似品には価値を認めない」といった理屈で、ダイヤモンドが高価であり続けることの説明がつくように思います。
ただし、それはダイヤモンドは購入して所有することが前提で、宝石そのものに価値があるということ。”ダイヤモンドの写真集”にはそれほど価値はないんじゃないか?

美女(グラビアアイドル)は美しく、希少性があり、知名度(ブランド力)がある。これらの点は宝石と似ているが、大きく違うのは本人を購入することはあり得ないということ。多くの消費者は写真集や映像などによってその美しさにお金を払っている。

ということは、グラビアアイドルの価値の本質は”美しさ”なんだろうか?であれば、それをコピーしたAI美女は天敵そのものか?

そこで、「画像として見てしまえばその美しさに違いはないかもしれないが、作られた画像と実在する人間は異質なものである。性格・歩んできた人生・交友関係、その人ならではの魅力を感じてファンになるんだ!AIには代替されない!」という考えが出てきます。

ただ、僕らはアニメやドラマのキャラクターに感情移入する。つまり、性格・生い立ち・交友関係などは作られた設定でも十分なのではないか?

最近はChatGPTなどの文章生成AIもあり、言葉遣いなど生成する文章の条件設定によって、人格を再現できるようになるかもしれない。

作られたビジュアル・人格を持った人物が写真集や動画コンテンツをリリースする。そうなった時に、画面の向こうの人物が実在しているか・していないか、僕らはどこまで気にするんだろう?

だんだん迷宮に入ってきましたね…。何となく怖くもなってきました。人間らしさって何だ?ひとり言を数時間かけて文字起こしする不合理さか?とすると不合理な意思決定や一定程度間違った言葉選びをするように設定したAIは人間らしいのか?……うーん、迷宮だ。

ちょっと話がズレてきたので戻しますが「AI美女と人工ダイヤは直感的には似ているが、その価値の本質が”美しさ”なのか”ブランド力”なのか、その辺りで捉え方が変わってくるなぁ」というのが今回の気づきポイントです。

今後AI美女の写真集や動画コンテンツは増えていくんだろうなと感じています。その時に既存の写真集などの売り上げはどうなるか?価格はどうなるか?一般の人々が画面越しの美女にどんな価値を求めていたのか、そうやって明らかになっていくんだと思います。

僕らが実在する人間に何を求めているか、こういうAIに関するニュースは、そんなことを考えるきっかけになって興味深いですねぇ。今後もチェックしていきたい。

といったところで今回はこの辺りにしようかと思います。いや〜長くなったね。久しぶりに長文を書いて疲れました。これをどうやって140字で呟こうとしていたんだろうね。20倍くらい書いてるもんね。今となってはわかりません。

ここまで読んでくれてありがとうございました。また自分の要約力の無さを痛感したときに書きにこようと思います。

それでは、おやすみなさ〜い。

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