疑惑の判定 【#2000字のドラマ】

「そろそろ行くね」

サキは鏡を覗き込んで、前髪を整えている。
それを横目で見ながら、俺も急いでTシャツとハーフパンツを纏った。

「下まで送ってくよ」
「いいよ。トシくんはまだ寝てて」

振り向いて女神のように微笑むサキに、それ以上踏み込むことはできなくて。

「えっと...じゃあ、また連絡する」
「うん。待ってるね」

今度は従順な子供みたいに、無垢な笑顔で頷いた。
ボールは常に俺に預けたまま、サキはいつ来るとも知らないパスをひたすらに待つだけだ。

「彼女が会えない日でいいから」
「...ん」
「私はいつでも待ってるからね」

もはや彼女とは立場が逆転しているなんて、サキは知らない。
サキと会う日はマナーモードにしていることも、たとえ着信に気づいても、気づかぬふりをしていることも。

「あ、再来週の土曜は?また試合見に行かない?」
「ほんと?」
「うん。俺チケット取るからさ」

「楽しみだな」と、サキ。
サッカーなんて興味ないくせに、文句のひとつも言わないで。

俺が君のことを好きじゃないなんて、いつ言った?
何をもってそう思った?

サークルの飲み会の後、一緒に帰ろうという誘いを断ったこと?
ホワイトデーに何もお返しをしなかったこと?

サッカーだったらVARがあるけれど、俺の人生をチェックしてくれる機関なんてどこにもない。
いったいどこでミスをして、どんな判定が下されたのか、今となっては知る由もない。

上部だけ見れば、単なる浮気相手との逢瀬。
サキ本人にもそう思われているのが一番悲しい。

「それじゃあ」
「待って、やっぱり送ってく...」

慌てて鍵と一緒に掴んだスマホを見て、ドキッとした。
画面には【ユウカ】の文字。

『...もしもし?トシ?』

聞き慣れた、でも今は聞きたくなかった声が微かに流れてきて、掴んだ拍子に通話ボタンを押していたことに気がついた。

「...ごめん」
『寝てた?』
「いや...」

咄嗟にスマホを耳に当てる俺を見て、サキが顔を背ける。
そろそろと静かに部屋を出て行こうとする背中を、追いかけようとして...

『明日のことなんだけど』
「あ、うん」

無理だった。
電話を切ることも、追いかけることもできなくて、閉じたドアをバカみたいに見つめるだけ。

下された判定を覆したい。
けれど、どこから巻き戻せばいいのかわからない。
部屋の中は、こんなにもサキの余韻で溢れているのに。

『ねえ、聞いてる?』
「聞いてるよ」

結局は、上の空な返事を繰り返すだけだった。




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