因島の大スター、ポルノグラフィティの無料ライブ
ポルノグラフィティはわざわざ紹介する必要のないくらい、とても有名で実力のあるアーティストですね。
そんなポルノグラフィティは因島(いんのしま)出身であり、郷土愛に溢れています。
因島出身と言うことは、私の先輩にあたります。
今回は、偉大な先輩であるポルノグラフィティについて、同郷の私から見た思い出話を書きたいと思います。
因みにポルノグラフィティについてはこちらのnoteでも簡単に触れています。↓
ポルノグラフィティから島中の子供たちへのプレゼント
2005年、当時私は小学校5年生でした。
それまで、島で唯一の市として因島市を名乗っていましたが、翌年の2006年には合併して尾道市となってしまいます。
いわゆる「平成の大合併」ですね。
因島市として暮らしてきて、いきなり次は尾道市だと言われても、違和感しかなかった頃でした。
島民全員が寂しい気持ちを感じており、それはポルノグラフィティの二人も例外ではありませんでした。
そして、因島市が無くなることをきっかけに、島への恩返しとして以前から考えていた無料ライブを実行に移しました。
無料ライブの招待者は島中の小学生、中学生、高校生です。
私は人生初めてのライブをポルノグラフィティからいただきました。
サプライズ校内放送
この無料ライブですが、最初はうまく進まなかったそうです。
そもそもポルノグラフィティ自身が全国ライブツアーの真最中であったこと、「子供たちの帰りが遅くなる」「教育上ロックのコンサートはいかがなものか」と反対意見もあったことなど。
しかし、多くの人々が協力し、ライブを行うことができました。
そんな苦労があったことなど知る由もない私は、初めてのライブにワクワクしていました。
そして、ライブで合唱するため、ポルノグラフィティの曲である『愛が呼ぶほうへ』を毎日練習していました。
ライブ開催日が11月22日の夜、23日(祝)の昼に決まり、前者が中高生の部で後者が小学生の部でした。
私はその時少年野球に入っていたのですが、23日には大会があるので参加できないことから、小学生ながら22日の中高生の部に参加することになりました。
そのライブ前日の21日のことです。
それは給食時間の校内放送でした。
「元気ですか。ポルノグラフィティのアキヒトです。ライブに来て楽しんでください」
「マジで!」「すげー!」と、大騒ぎでした。
なんと岡野昭仁が私の小学校に来て放送していたのです。
これほど放送部に入っとけば良かったと後悔したことはありませんでした(笑)
因みに、後から聞いたのですが、4・6年生が先の通り合唱するために『愛が呼ぶほうへ』を練習していたところ、ポルノグラフィティの二人が顔を出していたそうです。
5年生だった私は、なんで自分たちの学年を飛ばすんだと、文句を言ってましたね(笑)
いざライブへ行かん
ライブ当日は少年野球チームのみんなと、夜に会場に向かいました。
中高生の部ということで、小学生の部よりも大人なライブを見れると興奮していましたね。
席は、私たちが特殊なパターンの参加だったため、残念ながら一番後ろでした。
それでも、いっぱい楽しみました。
同じ因島出身の東ちづるや、元メンバーの白玉雅己からのメッセージもありました。
また、高校のバンドがポルノグラフィティの前で『サボテン』を披露していましたね。
色んな曲をポルノと一緒に熱唱したライブでした。
『愛が呼ぶほうへ』を感慨深げに合唱した姿は今でもよく覚えています。
恥ずかしい出来事
ライブで披露する曲が終わり終わり、二人が壇上で挨拶し終わった時のことです。
少年野球チームの私たちはここに来るまでに絶対にやろうと決めたことを実行しました。
それは、「アンコール」です!
二人がありがとうと頭を下げている時に、「アンコール!アンコール!」と、手をたたき、声をそろえて言いました。
すると釣られて周りの中高生達も、アンコール、アンコールと言ってくれました。
それを見た岡野昭仁が苦笑いし、
「あのね、アンコールってわしらが舞台下がってから言うもんよ(笑)」
途端、私たちが作った無知の波が恥ずかしくなりました(笑)
この時はやってしまった感がすごかったのですが、今では良い思い出です。
こんなにも故郷を愛し、貢献してくれたポルノグラフィティには感謝しかありませんし、先輩からのプレゼントは私の思い出に強く残りました。
いつか直接出会うことがあれば、お礼のあいさつをしたいですね。
今回のライブについてのインタビュー記事がありましたので載せておきます。↓
http://0845.boo.jp/times/archives/47
また、同じようにこのライブについて語っているnoteを見つけましたのでシェアします。