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「天地人の教え」因島水軍まつり~島まつり編~

お祭りはその地域によって特色あるものが多く、文化として根ざしています。
一説には、日本には30万を超えるお祭りがあるのだとか。
中でも有名なのは、神田祭や祇園祭、天神祭などではないでしょうか。
いわゆる日本三大祭りですね。
因島(いんのしま)にも勿論独自のお祭り文化がありまして、今回はこちらを紹介します。


因島最大イベント、因島水軍まつり

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因島のお祭りといえば、島民は口をそろえて「因島水軍まつり」と言うでしょう。
こちらのお祭り、かなり大きな規模で行われています。
というのも、日にちを分けて、「島まつり」「火まつり」「海まつり」の三部構成となっており、因島の人が総出で盛り上げているからです。

因島水軍まつりは、南北朝時代から室町・戦国時代にかけて因島を拠点に活躍した村上水軍を再現し、まつりを通して村上水軍が残した「天地人の教え」を学び、伝え、感謝するものです。
1999年には(財)地域活性化センターと全国55新聞社が表彰する「第3回ふるさとイベント大賞」を受賞し、2019年にはサントリー地域文化賞を受賞しました。


「天地人の教え」とは

因島水軍まつりのテーマである「天地人の教え」について、因島水軍まつり企画チームの藤井さんが詳しく述べていましたのでご紹介します。

村上水軍の残した兵法書には、「天地人」の教えとして「天の時、地の利、人の和」を重んじ、すべてのことにあたれと記されています。天地人の教えを伝えてきた一族や地域は日本各地にありますが、我々、村上水軍として海に生きる者としてそれを解釈をするならば、「板子(いたこ)一枚下は地獄」といわれるほどに、過酷で危険に満ちた海上活動をかんがみなければなりません。
天の時とは、時の運であり、 天候でもあり、 人の力の及ばない事象であり、それをおそれ敬う心、先祖や神仏にも味方になって貰うため、自らを律する気持ちであるかと考えられます。
地の利とは、主には地勢の優位性を見極める事ですが、それは今日で言う、科学(サイエンス)であり、技術(テクノロジー)です。それは知識を余すところなく活かす知恵と考えられます。
人の和とは、海上で、命をともにする仲間が守るべき秩序のことであり、それはチームワークという仲間意識から広がり、例えば先陣を競い合う相手をも思いやることで真の目的に向かうという、より大きな和であると考えられます。

現代社会にも通じる教えですね。


第一部:島まつり

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さて、先ほど因島水軍まつりは三部構成とお伝えしましたが、今回の記事はタイトルにもある通り、島まつりに注目したいと思います。

島まつりは因島水軍まつりのオープニング的なものであり、因島水軍まつりの成功と、先人に感謝するお祭りです。
お祭りの流れとしては、まず因島各町の城(各公民館)で武者による出陣の儀式を行ない、島まつり会場に向かいます。
写真にある通り、職人が作り上げた武者兜、甲冑を身にまといます。

会場では因島村上水軍陣太鼓、因南小子ども水軍太鼓の人達による和太鼓の演奏を行います。
目で見ても楽しめるようなパフォーマンスをしてくださっています。

その後、集結の刻(島まつり会場に各町の武者が集結)として、城主が登場し、各城入陣を完了させます。
ここは、様々な城主が順に会場入りするイメージですかね。

そして、火渡しの儀として、村上水軍の聖なる火を各城主に分け与えます。
出陣式では各城主より、小早レース(海まつり)及び跳楽舞(火まつり)参加チームに出場許可の「割り符」が与えられます。皆が集い「いざ出陣」の勝鬨をあげ、喜び合う祭りを誓います。


島まつりは、よくある地域住民が盛り上がるものというより、ここからつながる火まつり、海まつりの開会式みたいなものですので、しっかりとしたストーリーがあります。
私は甲冑を着る機会はありませんでしたが、小中学校の先輩が甲冑を身にまとって隊列を作り、闊歩していました。
昔の武士が現代の町を歩くのはなかなか面白いですよね。

次回は火まつり編を書きたいと思います。

公式サイトはこちら ⇒ http://0845.boo.jp/suigun/

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