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「天地人の教え」因島水軍まつり~海まつり編~

前回、前々回にわたり、因島(いんのしま)の代表的なお祭りである、「因島水軍まつり」について紹介しました。

因島水軍まつりは三日間に分かれた三部構成となっていまして、それぞれ「島まつり」「火まつり」「海まつり」と呼ばれています。
今回は三日目最後の海まつりについて紹介します。


第三部:海まつり

さて、海まつりですが、こちらのお祭りは村上水軍が伝令船として使用した木造船「小早(こはや)」のレース大会となっています。
その海まつりの様子をかっこよく紹介している動画がありましたので、シェアします。

こちらの動画を見ているとわかると思いますが、ガチンコ勝負です(笑)
この日のためにみんなちゃんと練習しています。
それまでの村上水軍を現代に表現したような島まつり、火まつりとはまた違った楽しみが海まつりにはありますね。

この小早レースは火まつりの次の日に行われ、一般企業から公務員、さらには学生など、様々な団体が参加します。
一般の部、レディースの部、小学生の部、中学生の部に分かれ、約1kmの距離を競っています。


小早とは?

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そもそもここで漕いでいる木造船の小早はどういったものなのか。
少し解説しようと思います。
当時、村上水軍が使用した船は、大きく3種類に分けられます。

阿武船(あたけぶね)
船首から船尾まで総矢倉として、厚い板で装甲された船。装甲には、矢や鉄砲を撃つための隙間がある。指揮官が乗った船。

関船(せきぶね)
早船ともいう。とがった船首とスマートな船体をした船。板などで装甲するのと同時に軽量化も図られていて、軽快な動きができる。

小早(こはやぶね)
小型の早船(関船)のこと。ほとんど装甲していないので、関船よりさらに軽快な動きができる。

この3番目に挙げた小早がレースに使われます。
小早は村上水軍が多く用いた小型の船であり、戦略を工夫すれば、小早でも軍船を打ち破ることができたといわれているそうです。

この小早に櫂のこぎ手が14人、舵取りの船頭と太鼓を打つ人の16人が力をあわせて漕ぎます。


小早の思い出

私も中学生の時に小早レースに参加しまして、その時はチームの立ち上げからやりました。
と言っても、メンバーは同級生でみんな友達だったので、立ち上げの苦労みたいなものは無く、青春を楽しんだ感じですね(笑)

チーム名はどうするのか話し合ったり、みんなで着るTシャツのデザインを考えたり、有志のメンバーであったため、ワクワクしながら準備ができました。
今考えると、当時の中学校の担任の先生が、裏でたくさん作業してくれていたのでしょう。
本当に感謝ですね。

小早は全員が息を合わせて漕がないと、スピードが出ません。
また、漕ぎ方もより効率的にやらないと、周りの漕ぎについていけなかったり、出力が足りなかったりします。
全員の一致団結と個々人の責任感と根性が試されると思います。
この時はここまで言語化はできていませんでしたが、なんとなくは感じていましたし、良い経験になりました。

因みにレース結果ですが、たしか4着だったと記憶しています。
スタートしてからはずっと2位で、このままだと2位で終わってしまう状況でした。
最後のカーブで攻めた入りをして1位を狙うか、2位のまま終わるか。
船頭は前者を選択し、船同士がぶつかって4着でした。


チームでスポーツのように競う海まつりは、勉学では得られないたくさんの学びがあります。
それを子供のうちから体験できたのはありがたいことです。
加えて歴史に触れる島まつり、文化を楽しむ火まつり。
三つのまつりそれぞれに「天地人の教え」が生きる因島水軍まつりは、これからも続いて行って欲しいですね。

公式サイトはこちら ⇒ http://0845.boo.jp/suigun/

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