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島での相撲の思い出

皆さんは、日本の歴史に古くから関わり、神事に由来する「相撲」について、何か思い出はありますでしょうか。
相撲は江戸時代に職業として確立していき、以降現代までルール等は多少変わっていったものの、その姿は変わらないまま残っているスポーツです。
だからこそ礼儀に厳しく、国際的にも広く認知されています。

今回は生まれ育った因島(いんのしま)での相撲体験について書いていきます。


小学校に相撲場

瀬戸内海の島と相撲に何の関係が?と感じる方もいらっしゃると思いますが、実は私の母校「因北(いんほく)小学校」には立派な屋根付きの土俵があります!
そして、今はわかりませんが、当時は相撲の授業もありました。
体操服の上からまわしをつけ、男子は上半身裸でやりましたね。
その授業に寒かった記憶がないことから、おそらく夏にやっていたのではないかと思います。
相撲の授業とはいっても小学生の授業ですので、ルールや動きを確認した後は相撲勝負を中心に行っていました。
男子も女子も結構真剣に勝負していましたね。

因みにこちらの相撲場ですが、昭和61年に完成したそうです。
因北小学校は元々、三つの小学校(中庄小学校、外浦小学校、鏡浦小学校)が統合されてできたものなので、比較的新しい方の小学校です。
なぜわざわざ相撲場を設置したのかは、気になるところですね。


地区同士のVS相撲大会!

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さて、相撲の授業があるだけでわざわざ記事に起こしたりしません。
なんと町の地区ごとに、小学生の子供たちでチームを組んで相撲勝負をする大会があります。
先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の5人1チームで戦う団体戦となります。

こちらは「中庄八幡宮永代奉納相撲大会」という文字通り奉納相撲でして、神社に写真のようなとても立派な土俵があり、150年以上前から開催されています。
第二次世界大戦中、多くの青年たちが出兵し開催が危ぶまれた時期には、小学生や中学生が力士として奉納相撲を守ったという歴史があります。
小学生の部、中学生の部、一般の部があり、小学生は地区同士、中学生は学校の部活同士でやっていますね。

私は小学生の部でしか参加しなかったのですが、同じく区同士で戦う町民体育大会を想起して楽しかった記憶があります。
小学生の頃の私は、背は真ん中よりやや後ろのやせ型で大して強くはなく、次鋒か中堅をやりましたね。
強い相手は後に体操で県総体三連覇、インハイ三年連続出場する、体操オバケの友達に任せていました。
(こうして書いてみて、この友達すごさが改めてわかりました(笑))

この区同士の勝負とは別に、個人戦もありまして、三連勝すれば景品がもらえるものでした。
ここでは同級生同士で戦います。
この個人戦での私の思い出なのですが、本気かつ夢中でやった結果、相手を骨折させてしまいました(笑)
骨折させてしまった相手は普通に友達ですし、骨折をネタに笑えるくらい仲が良いので問題はないのですが、私の相撲の思い出はほとんどその骨折事件に持っていかれてしまいました。


相撲は日本の文化であり、その文化が瀬戸内海の島でもちゃんと根付いていました。
こうした日本独自の文化がそれぞれの地域で特徴を持ち、これからもあり続けて欲しいですね。

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