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日本人の富がアメリカに流れ出していく


1.日本経済の実態:失われた40年

「はたらけど はたらけどなほ わがくらしらくにならざり ぢつとてをみる」

これは、1910年に発表された石川啄木の代表作『一握の砂』の中の一説であり、労働者の苦悩を感動的に歌ったものである。石川啄木の生活は、「放蕩三昧、超自分勝手だった」と言った人もいるが、啄木が生まれた当時の日本は、まさにこの歌詞のごとく、幕末から明治に至った勢いのままに、「列強諸国に追いつけ、追い越せ」と、「進歩こそ善だ」とでもいう“神話”が世相を支配して、大半の日本の庶民は焦りと貧困に喘いでいた。

しかし現在ほどこの歌があてはまる時代はないだろう。今日の日本の庶民の暮らしはもっと苦しくなっている。アメリカの庶民もそうである。

今日の日本社会は、30年間もデフレが続き、実質GDPは下落し、実質賃金は下落し続けている。中小企業で仕事をしていても賃金が安いので結婚もできなく、貧しい暮らしを強いられている。一方で、日本の企業は生き残りのために非正規社員を雇い、賃金の安い外国人を雇って、労務費を安くして、内部留保を貯める。街角には若い女性の売春婦が立つようになった。
最近、中学生や高校生までもが「闇バイト」に手を染めだしてきた。金に困っている若者が、SNSで「高額報酬」を売り物にした「闇バイト」に引き込まれる。これは単なる窃盗ではなく、素人集団の強盗殺人である。昔のような日本の家族関係は壊され、日本社会の人間はバラバラになり、お互いに憎みあい、「闇バイト」に引き込まれても親や友人などに助けを求めることができない社会になってしまった。

日本経済の凋落

IMFの統計によると、世界経済(GDP)に占める日本のGDPの比率は1994年には17.9%であったが、2022年には3.75%に落ち込んだ。現在の日本のGDPは世界4位であるが、アメリカのゴールドマン・サックスは、日本は2050年には6位になり、2075年には12位へ転落すると予想している。
 
一人当たりGDPでは、日本は1999年には世界で2位であったが、2023年には34位に転落してしまった。
 
日本半導体産業は、1987年には世界の半導体売上の50%を占めて世界一であった。しかし日本半導体産業はそのためにアメリカからバッシングを受け、1990年から凋落し、2022年には日本のシェアは9.1%に落ちてしまった。
 
1989年度の国と地方の長期債務は254兆円であったが、2019年のそれは1,122兆円に膨れ上がった。
 
海外投資家の日本株保有率は、1990年度は5%弱であったが、2018年度には30%に上昇した。これで日本企業の配当金が外国に流れていった。
 
1989年の日本政府負債の対GDP比率は61.1%であったが、2019年のそれは198%に上昇した。
 
OECD(経済協力開発機構)は、残業代を含めた全労働者の収入に基づき、「一人当たりの賃金」を各国の通貨ベースで算出、指数化している。それによると、2018年の日本人の1時間あたり賃金は1997年に比べ8.2%減少した。しかし米国では81%上昇し、英国でも92%上昇しており、日本は先進国中で唯一のマイナスとなった。
 
日本の非正規労働者は全体の労働者の40%以上になり、非正規労働者2000万人超のうち、70%が年収200万円以下であり、年収100万円以下は38%に達する。これは日本の労働者の貧困の度を表している。
 
企業の内部留保(全企業の現金・預金資産)は1989年には163兆円であったが、2019年には463兆円に積み上がった。

日本経済の急激な衰退の始まりは、中曽根首相がアメリカのレーガン大統領に唆されて、1982年から新自由主義によるグローバル化に走ってからである。

日本政府は金を無駄遣いしてきたが、国民は「おしん」のように一生懸命に働き、明日のために食べるのを減らして、爪に火を灯すようにして貯金をしてきた。その日本国民の家計金融資産が2,200兆円に積み上がった。これは国民が自分の身を削り、消費を減らして貯めてきたものである。しかし岸田元首相は、この日本国民の金融資産をアメリカのハゲタカファンドである「ブラックロック」に差し出した。

もともと「日本的経営」は、八紘一宇の精神で、「終身雇用制」と「年功序列型賃金制」という雇用システムから成り立っていた。企業は新卒を採用し、仕事を通じて職業訓練を行い、企業の生産性を引き上げていく。加えて、年功賃金により、従業員は首切りを心配することなく、同じ企業で長く働くことで技能も上がり、賃金が上昇する。これは、結果として高い生産性を持つ従業員の長期勤続につながり、終身雇用制が確立した。これで日本産業は世界市場で急速に発展し、国民所得倍増計画も成就した。
しかし、1985年以降、日本政府と財界はアメリカDeep Stateに命令され、この「日本的経営制度」を壊してしまった。今や日本は「失われた40年」になっている。1995年以降日本は「デフレ」になっている。世界のどこの国をみてもこんな日本のような国はない。この40年は日本のGDPは伸びておらず横ばいだ。日本の実質賃金もこの30年横ばいで、この3年は下落し続けている。1990年以降、日本の2割の世帯が貧困層に落ちてしまった。今の日本の40歳以下の人は、かつて日本が謳歌した「経済成長」とか、「所得倍増」とか、「好況」とかいう言葉が何を意味するかを知らない。「下り坂」という観念の中でものを見るようになっている。これは鬱病状態である。

日本政府と財務省は、「日本の借金は多すぎる。2020年度の日本国の1,600兆円、財政赤字は80兆円に登る。外国の政府及び国際資本家は、日本の国力が弱体したとして、日本の『信用度』『格付け』を下げる。そうすると日本には外から資本が入らなくなる。そしてこのままだと日本はハイパーインフレになる」「財政を黒字化にしなければならない。赤字国債は発行してはならない」と言い続けてきた。
しかし現実には、この50年間、日本経済はハイパーインフレーションにはならなかった。日本は外国の資本を入れる必要性はなく、日本国民が一生懸命働いてくれたおかげで、日本には十分な資本がある。

日本の国の借金が大きく膨らんだのは、日本政府が、日本国民が納付した税金を無駄に使ったからである。日本政府の無駄使いだけではない。ほかにも日本政府は、いろいろの政府機関・特殊法人と利権業者が癒着し、日本の税金を横領し、一部を自分達の懐に入れて、大部分をアメリカに流してしまったからである。これは、ある政府要員の「国家反逆罪」に当たる。
例えばバブル崩壊のとき、投機に失敗した企業は倒産したが、倒産しそうな企業が大きい場合には政府の金(税金)を注入した。その理由を「大きすぎて潰せない」と言った。ところが、日本政府は倒産しかけた企業に税金を注入して、その企業を分割してアメリカの金融筋(Deep State)に二束三文で売却したりした。日本長期信用銀行、日本興業銀行はその例である。

先に指摘したように、日本政府には借金はあるが、同時に日本の国は大きな資産を持っており、資産は借金を上回るほどのものがある。従って日本国の「バランスシート」でみると日本は黒字であり、日本の財政は健全であり、赤字国債が日本の円建てであれば、大きなインフレにならない範囲で赤字国債はいくら発行しても構わない。日本国はデフォルトになることはない。こんな健全な国は他にはない。日本政府と財務省は「日本はハイパーインフレになり、国は滅ぶ」と嘘を言ってきたのである。
日本国のバランスシートが黒字であることは、「日本政府は不正や無駄遣いをしてきたが、日本国民が食べることを減らして、欲しいものも買わないで我慢して、少しずつお金を貯めてきた」からである。
それなのに、この40年間、日本政府は日本を「マネーでマネーを買う経済」にして、国民の年金基金を使って株式に投資した。日本銀行もお札を刷り、その金で日本の株価を釣り上げるために、株に投資している。これで日本企業は、「売れる商品」を作らないで、「財テク」に走った。日本の信託銀行・投資銀行は国民の資産を株式で運用している。そして価値の下がっているアメリカの国債を買っている。したがって日本国民の金融資産だといわれている2,200兆円は、実質的にはかなり減価しているといわれている。日本の大切な年金基金も株価の下落により減価している。

2.日本の戦後レジーム

アメリカの日本支配の戦略:草刈り場

終戦直後、吉田茂は「アメリカを日本の番犬として使う。そのためにアメリカに金を支払い、日本をアメリカに守ってもらい、日本は商売に専念すれば良い。これが一番得なのだ」と言った。これは実質的には、吉田茂は「日本はアメリカの奴隷になります」と言ったのである。これを「吉田ドクトリン」と呼ぶ。

GHQ・Deep Stateは、終戦直後に「日本国憲法」と「財政法第4条」を日本に押し付けた。アメリカに押し付けられた「日本国憲法」は、日本に戦争を放棄させ、日本をアメリカの属国にした。「財政法第4条」は、日本に赤字国債の発行を禁止させ、消費税増税をさせ、消費を抑えて日本経済を弱体化し、日本が財政投資をして経済力を増強することを禁止させた。つまりアメリカ・Deep Stateの日本に対する基本戦略は、日本が再びアメリカに戦争を仕掛けないように、日本国を弱体化することであった。それでも吉田茂はアメリカの戦略に従ったのである。
そしてDeep Stateは日本国民が爪に火をともして貯めた富を色々の形で収奪し、日本国を弱体化した。Deep Stateは日本をアメリカの「草刈り場」にしたのである。これが「日本の戦後レジーム」である。
安倍晋三は「日本の戦後レジームから脱却する!」と言った。そのために安倍晋三はDeep Stateにより暗殺されたのである。ドナルド・トランプは、安倍晋三の暗殺事件が起こったとき「安倍晋三は彼らに殺されたのだ」と言った。

1917年にスタートした共産主義国のソ連は、1950年ころから経済5カ年計画による「生活必需品の生産と消費」で経済力を急速に高め、その勢力圏を西に東に拡大してきた。そこでアメリカは、日本を極東におけるソ連に対抗する防衛拠点にすることを決めた。そのためにアメリカは、「日本の弱体化計画」を少し緩め、日本に経済力をつけさせることにした。アメリカは日本に技術を教え、資金を貸し与え、日本産業の発展を手助けした。半導体産業においては、日本企業のエンジニアにアメリカのフェアチャイルド社、テキサスインスツルメント社、モトローラ社などの工場見学をさせて、基本技術を教えた。トヨタの豊田英二氏はフォード社のデトロイトの工場で1年間実習した。筆者も1963年から1970年頃多くのアメリカ企業を訪問し、いろいろなことを学んだ。
日本はまた、「日本生産性本部」や「日科技連」を設立し、日本産業の発展を促進した。こうして1955年から1985年にかけて日本は「奇跡的な経済発展」を遂げた。そして池田内閣の「国民所得倍増計画」が実現した。

アメリカは日本産業に力をつけさせるとして日本をサポートしてきたが、日本半導体産業はDRAM製品を中心にして一時世界一になり、同時に多くのアメリカの家電メーカーが日本の商品に押されて衰退し倒産した。
この日本産業の大発展に対してアメリカの議会が怒り、「アメリカが技術を教えて日本産業を助けてやったのに日本は商品の価格を下げてアメリカ市場に売りまくり、アメリカ産業を崩壊させた」と言って、日本バッシングを始めた。日米半導体問題の交渉が起こり、さらに日米構造協議を開き、アメリカは日本半導体産業、自動車産業、家電産業を徹底的に解体し、弱体化した。それから日本は長いデフレに突入することになり、「失われた40年」となった。

半導体、自動車、家電以外の分野の産業も弱体化は進んでいる。アメリカは日本に、小麦の生産をやめさせ、アメリカの余剰の小麦、農業用の肥料や農薬や種子、遺伝子組換えの牛肉、鳥肉、豚肉も日本に輸入させている。残念ながら今ではアメリカの工業製品では、日本が輸入するものはなくなったため、アメリカはGAFAの「デジタル商品」を高く日本に売りつける。
吉田ドクトリンに基づき、形の上で日米同盟により日本はアメリカに防衛してもらい、日本人は安心して日夜働き続けた。しかし働いてできた富はどんどんアメリカに持っていかれる。そのために日本の国民大衆は極貧状態に置かれる。つまり終戦直後から80年間の今日まで、日本人はアメリカの奴隷になって生きてきた。「生かさず殺さず」である。

西欧では労働は「レーバー」で苦役、苦心、苦しいを意味するが、日本人は世界でも稀な勤勉な民族で、働くことに喜びを覚える。しかしそれでも日本の国民は貧乏である。何故であろうか? 
それはDeep Stateが、日本人の生き血(資産・資金)を抜き取る仕組みを構築しているからである。そして、日本の資産・資金をDeep Stateが抜き取ることを助ける「引き込み屋」が日本人の中にいるためである。一つの具体的な抜き取りの仕組みは、日本政府の「特別会計」の中の膨大な金を「色々の政府機関」と「特殊法人」を通過させて、アメリカ・外国に流すという方法である。

3.何故「はたらけど はたらけどなほ わがくらし らくにならざり」なのか? 誰かが日本国民の血(資産)を抜いている?

2024年度のノーベル経済学賞はMITのダロン・アセモグル教授、サイモン・ジョンソン教授、シカゴ大のジェイムス・ロビンソン教授に与えられた。この学者達は「国の豊かさと国の制度の相互作用の解明」をしたのである。「人々に経済活動のインセンティブを与える制度が近代西欧で形成されたことが近代社会の経済活動を活発化させ、経済発展をもたらし、国が豊かになった」と結論付けている。「その制度とは個人の所有権を保護する制度を指す」。つまり国家が恣意的に国民に対して重税を課したり、不正をして国民の財産を収奪したりすると、経済は発展しなくなり、国民は貧困化するということである。これが日本で起こっていたのである。
Deep Stateは、日本人の手下を使って、日本の国と国民の資産を剥奪している。特に日本では1990年ころからDeep Stateによる日本の資産の剥奪・収奪が激しくなってきている。日本の国民はそのために貧困化している。このことを今年のノーベル賞受賞者は究明したのである。

4.石井紘基議員はDeep Stateの手口とその「引き込み屋」を突き止めた

政治家としての原点

石井紘基は民主党の衆議院銀で、早稲田大学大学院法学研究科を経て、1965年に社会党本部勤めからモスクワ大学大学院に留学した。石井紘基の政治家の原点となったのは、若き日に留学した「鉄のカーテン」で囲まれたソビエト連邦で見た厳しい現実であった。東西冷戦のさなか、学生運動に燃えた石井紘基が社会主義の理想国家のソ連で見たものは、長年の一党独裁による、腐敗した官僚制度と政治社会であった。
ソ連の共産党組織では、官僚体制が力を持ち、ロシア国民のためとか、ロシア国家のために考え行動することはなかった。6年間の留学生活を終え、帰国した石井紘基の目には、資本主義・自由経済であるはずの日本が、ソ連と二重写しに見えるようになった。日本の政治家と官僚は腐敗している。日本はこのままではソ連のように崩壊するであろうと感じたという。石井紘基は、当時日本ではあまり知られていなかったソ連の官僚機構の腐敗の現実を体感し、「大国ソ連の崩壊」を予言した。そして日本もこのままでは崩壊すると思った。

日本の官僚組織のなかでは、官僚は各省疔で扱う予算金額を多くすればするほど出世をすることになっている。特に財務省は、国予算を削れば削るほど出世する仕組みになっている。日本の官僚はこの国を良くしようとか、国民を豊かにしようという意識はまったくない。今だけ、金だけ、自分だけである。

特別会計について国会で質問する前に刺殺された

石井紘基は、2002年10月20日ぐらいから、側近と家族に「日本国がひっくり返るような事実を突き止めた。これを国会で暴露し、その責任者を追求する」と話していた。石井紘基議員は国会での追求討議のための情報・データを資料としてまとめていた。そして、石井紘基は日本国がひっくり返るようないろいろの事実に関する膨大な資料・データを120個の段ボール箱に保管していた。

2002年10月28日に予定されていた国会での質問をする日の1周間前に、石井紘基は、「一般会計の4倍相当の金額を有する特別会計について国会で質問するために、自分の手提げバッグの中には国会へ提出する書類が入っていた」と言っていた。
ところが、石井紘基議員は2002年10月25日朝10時半頃、東京都世田谷区の自宅前の駐車場で、初めての公用車に乗り込もうとしたとき刺殺された。遺体には、プロの殺し屋の仕業とわかる一発で左脇腹に致命傷を受けていた。享年63歳であった。犯人は『守皇塾』代表の伊藤白水という者であった。伊藤は逮捕されたあと、「ある者から頼まれたものである」と言った。伊藤は裁判で終身懲役にされ、刑務所に隔離されている。
しかし石井紘基議員がいつも持ち歩いていたバッグから「国会のために用意した資料」と「石井紘基の日誌的なメモ」が何者かにより抜き取られていた。いまだにそれは発見されていない。

石井紘基が摘発した防衛庁の装備品発注不正事件

石井紘基議員が暴いたもう一つが「防衛庁背任事件」である。石井紘基は1997年11月、年間約2兆円にのぼる防衛庁の装備品発注に不正が行われた事実を突き止め、それを国会で糾弾し、東京地検の強制捜査にもっていった。不正が起こった背景には官僚の「天下り」があった。つまり、このケースは、防衛庁の本部長と副本部長が結託してメーカーと癒着し職員の天下り先を確保していたことを石井紘基は明らかにした。

不良債権問題と整理回収機構の問題

整理回収機構をめぐる闇

石井紘基議員のカバンの中に入っていた書類の一つは「整理回収機構(RCC)」に関する不正を示す書類である。RCCとは不良債権の買取りや回収事業を行う政府系企業、いわゆる国策会社であった。特に銀行の不良債権を回収する仕事をしており、そのRCCから流れる物件を、銀行役員が天下る銀行系列の不動産業者が仲介し売却する。RCCは銀行から簿価の数パーセントで買収した不良債権を特定の不動産業者に破格の安さで売る。そして、それを何倍もの値段で不動産業者が売却する。この不動産業者が売却する時に生じる利益の一部が政治家に対する「裏金」に使われており、石井紘基議員はその事実をつかんでいた。

りそな銀行破綻に伴う公的資金投入に関する株価操縦の疑惑

この時期に起きた金融不正疑惑事件で、「りそな銀行破綻に伴う公的資金投入に関する株価操縦」疑惑があった。
 
銀行が国策会社であるRCCと癒着して、返済能力のない会社や破綻寸前の会社にまで貸し付けるといった不正紛いの貸し付けも行われていた。こうした問題を背景にして、アメリカ・Deep Stateは、日本の不良債権をすばやく処理するよう、日本政府に圧力をかけてきた。

この「巨大不良債権処理問題」に伴い、ある銀行を破綻寸前まで追い込んで金融恐慌を演出し、株価を下げて仕手筋が大量に株を取得したあとに、破綻寸前の銀行に公的資金投入を発表して金融不安を払拭し、必然的とも言えるその後の株価の爆上げによりボロ儲けするという、前代未聞の株価操縦のシナリオが実行された。この疑惑のシナリオを、日本側のエージェントとして進めていたのが小泉政権で経済相兼金融相を務めていた竹中平蔵だった。金融問題処理を担当していた竹中平蔵は、ニューズウィーク誌のインタビューで、「大銀行といえども大きすぎるから潰せないとは思わない」と、大銀行の破綻処理を示唆する発言をしていた。これもDeep Stateからの竹中平蔵への命令であった。

カラクリはこうだ。
当時の日本の銀行は、銀行の銀行である国際決済銀行(BIS:Bank of International Settlement)が定めた自己資本規制に苦しんでいた。自己資本が基準を下回れば、ペナルティとして特定の銀行業務資格を剥奪されてしまう。そんな中で、「竹中プラン」という、引当金に関する自己資本の計算を従来とは異なったルールに変更する原案が出された。それは自己資本比率がさらに下がる計算ルールを金融機関に押し付けるものだった。
この計算ルールの変更が施行されてしまえば、銀行は生きるか死ぬかの死活問題になる。各銀行は当然、この計算ルールの変更に大反対した。大幅な自己資本増強をしなければならなくなる計算ルールの変更を、この竹中プランに組み入れられないよう、熾烈なロビー活動が繰り広げられた。大手銀行あげての抵抗により、竹中平蔵は主張していた繰り延べ税金資産のルール変更をプランに組み入れるのを諦め、その代わりに、監査が妥当性をチェックする、という文言を加え、銀行側の危機は去ったかのように見えた。
しかし、このシナリオは巧妙に仕組まれ、二重の意味で罠が仕掛けられていた。妥協点として盛り込まれた「監査が妥当性をチェックする」という条項の中に。

りそな銀行破綻の疑惑とは、この条項を利用して巧妙に監査法人に圧力をかけて繰り延べ税金資産変更のルールを適用しなければならない状況に追い込むことで、銀行側は監査法人の決定に従わざるを得ず、監査によってターゲットとなったりそな銀行を結果的に破綻寸前まで追い込むシナリオが準備されていたという疑惑である。りそな銀行の破綻は、政府が会計的な操作によって、意図的に潰したことは明白だったが、一方で、政府が二兆円もの巨額支援をした。
このようにして、りそな銀行を破綻寸前まで追い込んで金融恐慌を演出し、株価を下げて仕手筋が大量に株を取得した後に、破綻寸前のりそな銀行に公的資金投入を発表して金融不安を払拭し、その後の株価の爆上げによりボロ儲けするという、前代未聞の株価操縦のシナリオが実行された。

竹中平蔵が金融大臣に着任したのが2002年9月30日であり、石井紘基議員の事件発生日は10月25日、石井紘基議員が不透明な不良債権処理に関する国会答弁を行う予定だったのは10月28日、銀行にとって生きるか死ぬかの「竹中プラン」が発表されたのが10月30日である。まさにこの1ヶ月の間に、石井紘基議員の事件が起きた。
 
  石井紘基議員が究明しようとした問題はこれ以外にもたくさんあった。ヤミ金融問題、統一教会問題、オウム真理教とロシアとの関係、森元総理と暴力団の産廃・原発予定地購入の金の流れ、内閣や外務省の官房機密費の使途の問題、日航機123便墜落事件等がある。
 
犯行組織は、是が非でも、上記のような石井紘基がまとめてきた疑惑の書類が国会へ提出される前に石井紘基を殺害して書類を奪い、国会への書類提出を阻止せねばならなかった。
実はこの時期に、石井紘基議員だけではなく、このような金融不正事件を追っていた記者やジャーナリスト、監査をしていた担当者などが不可解な死や冤罪事件に巻き込まれた。
 
今でも、Deep Stateと引き込み屋になった日本人が、いろいろの仕組みで日本の富・資金を海外に流出させている。石井紘基議員が亡くなってから20年過ぎたが、石井紘基議員が暗殺のために暴露できなかったものを、今から日本国民がそれを暴き、アメリカ金融筋へお金を流す一連の仕組みを壊さなければならない。「アメリカ金融筋」とは、闇の権力と言われるDeep State、すなわち石油産業、軍事産業、ホワイトハウスの官僚、ネオコングループを含めた金融資本の利害関係者の集団と言い換えてもよい。

5.石橋湛山の思想

石橋湛山は、終戦の日から3日たった昭和20年8月18日付けの日記に「考えてみるに、予はある意味に於いて、日本の真の発展の為に、米英等と共に日本の内部の逆悪と戦っているのであった。今回の敗戦がなんら予に悲しみをもたらさざる所以である」と記している。「米英等と共に日本の内部の逆悪」と言っているのは、米英(Deep State)とその手先(引き込み屋)になっている日本内部の「逆悪」である。戦前の日本のマスコミはDeep Stateにコントロールされておらず、Deep Stateのことを影の悪魔などと呼び、新聞・雑誌にそれを非難する記事が書かれていた。知識人であった石橋湛山もDeep Stateのことはよく知っていた。

石橋湛山は昭和21年7月25日、衆議院の演説で、占領軍向けの費用である「終戦処理費」が一般会計の3分の1を占めていることを指摘し、その中には占領軍用のゴルフ場開発費や、注文に応じて米軍人の各戸に届ける切り花代などが含まれ、これらの費用を含めて終戦処理費を削減することをGHQ占領軍に要求し、それを押し通した。
そのため、翌年の昭和22年5月石橋湛山はGHQの司令により公職追放となった。石橋湛山は、相手が軍部であれ、GHQであれ、正しいと思ったことに正面からぶつかっていく信念を持った人であった。
石橋湛山は「週刊東洋経済」(昭和42年2月11日号)の「時言」にこう書いている。「今の政治家諸君を見ていちばん痛感するのは『自分』が欠けているという点である。『自分』とは自らの信念だ。自分の信ずるところに従って行動するという大事な点を忘れ、まるで他人の道具に成り下がってしまっている人が多い。政治の堕落と言われているものの大部分は、これに起因すると思う」。今日の日本の政治家・官僚にもこれが欠けている。

6.岸田・石破政権の経済政策の問題点

●新自由主義によるグローバリズムで、日本第一主義ではないこと。拝米主義者でアメリカのポチになっている。
●アベノミクスを踏襲する異次元の金融緩和、金利は上げないこと。これ以上金融緩和をするとインフレが進む。
●財務省の力が首相よりも強いこと。石破政権も財政均衡を重視する(これはDeep Stateが命令していることである。)
●防衛費を増大するために(これは岸田首相がバイデンに約束したことである)、NTT株の日本政府の持ち分を売り、消費税を更に上げること。
●日本のスタッグフレーションをそのまま放置していること(日本政府の無策)。

これは日本国民を苦しめる。
こうした政策を掲げる石破内閣は退陣してもらうことになる。

7.日本経済再興のグランドデザイン

・先ず、どのような国になりたいかを描く。
そのための綿密な計画を策定するために「シンクタンク」と、これからの経済社会を導く先端技術を開発する「国立科学研究所」とを創設する。
シンクタンクと賢明な官僚により乗数効果の高いプロジェクト計画を策定させる。

・新自由主義・グローバリズムを止める。

・腐敗した政府機関・特殊法人・利権業者を一掃し、Deep Stateの引き込み屋が不正・癒着をして日本の富・資金を外国Deep Stateに流すルートを断ち切る。そのために会計検察庁を設置する。

・非正規社員制度を止める。

・日本全体としてイノベーションを促進する。そのための「政府ファンド」をつくる。

・日本の大学を支援する。これにより経済社会の発展をリードする新しい産業を創出する。

・内需を拡大する。生活必需品の自給率を高める(食料、エネルギー、インフラ、頭脳的ITシステム)。

・賃金とGDPの相乗拡大で内需を増大する。これでインフレから脱却する。

・これまでの低金利政策、円安政策を止める。

・Deep Stateと財務省は日本の消費を抑えるために消費税を増税した。この消費税を廃止する。

・国家のやることと民間のやるべきことを明らかにする、何でも民営ではない。

これらの政策を進めると、日本の少子化は改善し、デフレから脱却でき、日本人は本来の日本精神を取り戻すことになる。
石井紘基議員のように正義のために行動しなければならない。「もともと地上には道はない。皆が歩けば道になる」「政治が、国民の未来に奉仕する、名誉あるものに生まれ変わることが先決である。日本の政治文化は、いずれにしても、国民の手にかかっている」と石井紘基は述べている。石井紘基の遺作となった「日本が自滅する日」において、「日本には、ベルリンの壁がある。その向こう側に『本当の日本』がある。権力が経済を侵食し、うわべの数字と裏腹に、国家破綻が進行する」と述べている。
つまり、日本の政治家は、石橋湛山の言う「自分の信ずるところに従って行動する」という信念と覚悟が欠けている。本来の日本人は、いろいろの違った意見を持った人間を受け入れ社会全体として調和させるように努力する。日本人は長い歴史の中で、日本精神・大和心、武士道の精神、八紘一宇の精神、共同体の精神を作り上げた。日本国民は、国のためなら自分の命を捧げる覚悟を持っている。

Deep Stateは日本のこの日本精神・文化を極度に恐れた。だから日本弱体化という[オレンジ作戦]を作り、日本に太平洋戦争を仕掛けた。天皇と日本陸軍はアメリカとは戦わないとしていたが、Deep Stateの引き込み屋であった山本五十六がハワイの真珠湾攻撃を力ずくで進め、太平洋戦争に突入した。そして日本は、アメリカに原爆を落とされて、戦争を終結した。
従って、日本人は本来持っていた日本精神、大和心、武士道精神を取り戻し、Deep Stateのポチになるのではなく、自分の頭でものを考えて行動しなければならない。


「日本経済をどうするか」完
2024年10月27日
三輪晴治