第三章 真のイノベーター(起業家)とは
イノベーションに挑戦できるのは企業家精神・マクロ的思考・大きなビジョンを持つ公的機関の人である
真の起業家とは、前人未踏の、成功するかどうかわからないプロジェクトに対してリスクを取る意思と能力のある個人または組織を言う。イノベーションの先端技術の開発は、フランク・ナイトが言った「予測が不可能な不確実性の高いもの」である。
大きなイノベーションの試みは大概の場合失敗するが ― そうでなければイノベーションとは呼ばない ― そのイノベーションに本気で取り組むには多少クレイジーでなければならず、通常は投資額以上にコストがかかり、伝統的な「費用対効果の考え」を最初から捨てなければならない。つまりイノベーションは失敗を重ねながら進むものである。失敗を許す風土が必要になる。普通の民間企業はこうしたイノベーションには挑戦できない。それができるのは企業家精神を持ち、マクロ的思考を持ち、大きなビジョンを持つ公的機関の人である。企業家的マインドをもった、国益を常に考える政府の官僚と技術者が必要になる。
政府がリスクを取って進めた「アメリカのイノベーション」
ケインズが『自由放任の終焉』で語っているように、「政府が行うべき重要なことは、個人が既にやっていることを少し上手にやるとか、下手にやるとかではなく、現時点で誰もやっていないことをやることである」。
アメリカのここ40年の産業の発展の姿を見ると、政府がリスクをとってアメリカのイノベーション進めてきたことがわかる。国家の役割は、勇気と広い視野を持ってリスクを取るということであり、他の誰かのリスクを減らしてしてやって、利益も持って行かせてやることではない。国が将来にわたってリスクの続く分野に投資し、イノベーションの最も重要な部分を担当することである。
シュンペーターは「起業家とは新しいアイディアあるいは発明をイノベーションとして成功に導く意思があるか、あるいは成功させる人を言う。それは通常の定義である起業の意だけではなく、起業する過程で新製品を生み出す、新しいプロセスを考えだすことも含まれる。起業家精神とは、イノベーション力が劣る市場や産業を全体的にあるいは部分的に破壊して、同時に新製品や新しいビジネスモデルを創り、そうすることで既成のシステムが経済をリードしていくことを不可能にさせる創造的破壊の嵐を吹かせることである」と述べている。
大きなイノベーションを興すことは大変難しい。不確実性がある。ケインズはこの不確実性について「不確実性とは、確実にわかっていることと可能性が強いことの差を意味しているのではない。またルーレットゲームの話でもない。私が不確実性について言わんとしているのは、ヨーロッパで戦争が起こる可能性はあるか、銅の値段や20年後の金利はどうなるのか、この新技術いつまでもつかなどのレベルの話をしている。これらについては、科学的に確率を計算する方法は全くない」と言っている。
イノベーションは長期を見通した戦略と的を絞った投資によって起こるのである。基礎研究であれ応用研究であれ、最もリスクのある研究を支援しただけではなく、非常に革新的で草分け的なイノベーションを創ってきたのは政府である。具体的には国は新しい市場を創造したのであって、単に失敗した市場を救ったのではない。
しかし実際には、そうした企業家の背後にはアメリカ国家が初めからついていたことを忘れてはならない。国家の動きがなければ企業家のイノベーションはできなかった。中には政府の役人自身が起業家として動いて成果を上げたという事実がある。
現在のアメリカの「DARPA(ダーパ)」や「アメリカエネルギー省」(ARPA-E)がこうした能力を持っているとされている。このDARPAやARPA―Eには民間からのアイディアや提案が集まる仕組みができている。ケインズはこうした起業家について「アニマルスピリット」を持った人と言った。しかし本当の起業家はライオンやトラのように果敢に挑戦する力だけではなく、高い志とビジョンをもって「国を良くする、国民を豊かにする」ことに挑戦するものでなければならない。
日本に必要なものは
日本の国をどういう姿にするかのビジョンを持ち、失敗を恐れないで、国家に対してイノベーションにおける国と他の関連機関・団体との関係で方向性を示唆し、民間にインセンティブを与えるだけではなく、しっかり民間の背中を押す必要がある。
つまり政府のやるべき仕事と民間がやるべき仕事があり、それを混同しないで、国を発展させるプロモーターがこれから必要になる。
1970年代のようにかつての日本の官僚は企業家精神をもって仕事をしていた。
2024年4月14日 三輪晴治