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FIREするなら若いうちから身につけたい「富を生む思考と行動」

ナヴァル・ラヴィカント読書ノート第1回「頭の中で独り言、自分と会話している。この状況は幸福には害になる」に本の目次を紹介しましたが、あの本は「富」と「幸福」の2部構成になっています。今回のnoteは「富」の部の読書ノートです。


FIREに役立つナヴァルの「富を得る」スキル

この本の邦題は「シリコンバレー最重要思想家 ナヴァル・ラヴィカント」ですが、原題はもともと " A Guide to Wealth and Happiness ” なので、「富を得て幸福になる方法」という内容が書かれています。既にFIREしている人には知識の整理整頓のため、今FIREを目指している人にはFIREできる富を得るためにお薦めしたい本です。

ただし、株や不動産やゴールドなどへの投資テクニックは一切書かれていません。「富」とはどういうものか、富を生む(得る)ための「思考」や「行動」はどういうものかという原理原則のようなことが書かれています。

ここで蛇足ですが、数年前から若い人達の間で使われ始めた「FIRE」という表現を、筆者は「解雇?会社を辞めたいということ?」と混乱して解釈していました。変だと思い調べてみたら、FIREの語源は ” Financial Independence (経済的自立)、Retire Early (早期退職)"。資産運用による所得を形成して労働収入に頼らない経済基盤を築き、若いうちに退職するというライフスタイルをさす造語でした。造った人、なかなかのセンスだと感心しました。

(運に頼らず)リッチになる方法

ナヴァルの「富」を手に入れる教えは次の言葉からスタートしています。

(運に頼らず)リッチになる方法
⇒カネではなく、地位でもなく、富を求めよ。

「シリコンバレー最重要思想家 ナヴァル・ラヴィカント」p.40

「(運に頼らず)リッチになる方法」なので、もう既に「(運が良くて)生れながらリッチである」という人には、この本は無意味かもしれませんね。
貧しい環境で生まれ育ったナヴァルのように、自分の力でリッチになりたい若い人向けです。
「富を得る思考と行動」は若いうちから始める。これ、とても大事です。
66歳の筆者が読んだ感想では、残念ながら、50代以上の人にはナヴァルが説くスキルセットを身につけるだけの柔軟さと、身につけるのに必要な時間が残されていないように思います。

(運に頼らず)リッチになるスキルの最初のステップは:
「カネではなく、地位でもなく、富を求めよ」

ナヴァルは富とカネを明確に異なるモノとし、次のように定義しています。

富とは、寝ている間も稼いでくれる事業や資産。
カネとは、富を人から人へ移すための手段。

株式投資や駐車場などの不動産投資は富、労働の対価として貰う給料や(日本のように)金利の付かない預貯金は「カネ」ですね。

ナヴァルの生き方そのものがFIRE的ライフスタイルの見本のようなものなので、冒頭にも書きましたが、FIREした人や目指している人には一読お勧めの本です。有料の製本版でなくても、サンマーク出版から無料でPDF版をダウンロードできます。

「地位を求める」のはゼロサムゲーム、避けなくてはならない

ナヴァルは「地位を求める」のはゼロサムゲーム、避けなくてはならないと言っています。その視点が面白かったので以下に引用します。ただ、宮仕えの方には耳の痛い話ですが。

富の創造は、進化的に新しいプラスサムゲームだ。

地位のゲームはゼロサムゲームだ。これは非常に古いゲームだ。われわれがサルだった頃からやりつづけているゲームだ。序列を決めるためのゲームだ。(中略)
政治は地位のゲームの一例だ。スポーツもそうだね。誰かが勝つためには、誰かが負けなければならない。
私は地位のゲームは基本的に好きになれない。社会ではこのゲームが権力者を決めるのに重要な役割を果たしている。でも実は必要悪として仕方なく行われているだけだ。
問題は、地位のゲームで勝つためには、誰かを蹴落とす必要があることなんだ。
だからこそ、君の人生では地位のゲームを避けなくてはならない ー 怒りに満ちた闘争的な人間になってしまうからだ。誰かを蹴落として、自分や自分に似た誰かを持ち上げるために、君はいつまでも戦いつづけるはめになる。

「シリコンバレー最重要思想家 ナヴァル・ラヴィカント」pp.96-97

徹底的に正直になる

筆者は還暦をすぎた頃から66歳の今まで、頭と心の中の在庫処分をしたいと願ってきました。どういうことかというと、学校で教わったり、本や新聞で読んだりテレビで見たり、親の言葉だったりの記憶の中には膨大な「嘘、誤り、記憶違い」があることを知ったから。それらが先入観とか偏見とかになって「嫌な自分、バカな自分」の源になっているからです。
頭と心の中の在庫処分をしてキレイサッパリ捨てたい。そうして自分本来の姿に戻りたいという想いが湧き上がってきました。

ナヴァルにも似たような感覚があったようです。ナヴァルはそれを次のように言語化してくれていました。

私のここ数年間の目標は、今までに身についた反応や習慣化された反応から自分を解き放つことだ。自分の記憶や、お仕着せの経験則や先入観に頼らずに、今この瞬間に明晰な頭で意思決定を下せるようにしたいんだ。

先入観のほとんどが、時間を節約するための経験則だ。重要な決定を下すときは、記憶に頼らず、自分を無にして、問題に集中せよ。

よく言われる「徹底的に正直になる」とは、私にとっては「自由になる」ということに尽きる。
自由には、考えていることを話す自由と、話していることを考える自由が含まれる。この2つはよく似ていて、密接に結びついている。リチャード・ファインマンもこんなことを言っていたね。「どんなことがあっても、決して人をだましてはいけない。そして一番だましやすい人間は自分だ」
不正直なことを誰かに言ったその瞬間、自分に嘘をついたことになる。そして自分の嘘を信じ始め、そのせいで現実から切り離されて、間違った道を歩むことになる。

「シリコンバレー最重要思想家 ナヴァル・ラヴィカント」p.139

上記に引用したこと、まるっとその通りなのです。

なお、筆者は昨年から始めた坐禅を通して知った「我をなくす」という教えが「キレイサッパリ捨てる」方法になるのではと思い、意識して生活するようにしています。でも、これはとても難しいです。自分にビッシリと貼りついて固まってしまっている先入観や偏見は既に自分自身の一部になってしまっているので、どんなに頑張っても死ぬまでそうそう剥がれそうもありません。でも、諦めずに「我をなくす」修行(?)は続けていきます。少しでも剥がれ落ちたら、頭と心が軽くスッキリ気持ちよくなりそうなので。

66歳になってから感じる「富」と「カネ」

筆者は、「富」と「カネ」の区別を意識せずに、ただボンヤリと老後の資金を貯金(カネ)してきました。だから、ドル円150円という円安が固定化した今、「貯金が2/3に減っちゃった。インフレ税もあるし」と慌てています。

どうして自分がボンヤリしていたのか考えてみました。2つ思い当たりました。

一つ目は、人生始めて経験した「円安」です。
筆者が若い頃、ドル円が約80円になったとき、いきつけの飲み屋さんで「弊社は70円でもやっていける体制をつくった」と話をしている常連さんがいました。今では想像できない話ですが、このように、筆者のこれまでの人生ではほぼ「円高」なので、まさかこんなに円安になるなど信じられませんでした。

二つ目は「金利」です。
昔の金利環境は現在とは大違いだったことです。株式投資などしなくても貯金をしておけば、ちゃんと利息がついたからです。

筆者が1980年代~1990年代にやっていた住宅財形などの金利は7%くらいああったと記憶していますし、郵便貯金も7~8%の時期がありました。真面目に貯金をしていれば、気がつけば複利で増えて結構な額になっていた。そんな時代があったのです。
筆者も住宅財形を使ってマンションの頭金を貯めました。

4%、5%、6%、7%という金利の時代を生きてきた老人から見ると、政策金利を0.25%利上げしてたった0.5%にするにも「マンションローン支払い額が上がって国民生活が・・・、中小企業の資金繰りが・・・」と大騒ぎする今日の状況はちょっとおかしく見えます。もしかしたら、国民には正直に言えない理由が(政府には)あるのかもしれませんね。

最近、新NISAなどで日本政府は国民に「株式投資」を薦めています。良いことだとは思っています。でも、株式投資をして、日々ハラハラしながら仕事をするより、4%から5%の複利の利息をもらって、安定した気持ちで仕事に打ち込むことができる経済社会も良かったな、と思うのです。