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幸福は身につけることができるスキル
ナヴァルの読書ノート:1回目「『頭の中で独り言、自分と会話している』この状況は幸福には害になる」と、2回目「FIREするなら若いうちから身につけたい『富を生む思考と行動』」を掲載しましたが、今回は「第2部 幸福」についてです。
幸福って
ナヴァルは幸福を次のように言っています。
幸福は親から受け継ぐものでも、みずから選択するものでさえなく、健康や栄養管理のような、身につけることができる、ごく個人的なスキルなのだろう。
「幸福」に対する考え方は人それぞれ様々ですから、ナヴァルの幸福論はあくまでも「ナヴァルの幸福」であって「あなたの幸福」ではないでしょうし、もちろん「私の幸福」でもありません。でも、ナヴァルの言葉の中には、西洋の宗教と哲学をベースにした西洋人がいうところの「幸福」とは違う、私たち日本人なら頷ける言葉が多くあります。それは、ナヴァルがインド人であること、そして「自分の哲学は合理的仏教」と呼んでいるように仏教の教えという、私たちと共通の精神的ベースがあるからだと思いました。
私にとっての合理的仏教とは、自分をより幸福に、よりよくして、今この瞬間をより味わい、感情をよりコントロールできるように、つまりはよい人間になるために、仏教が教える心の働きを理解するということだ。
筆者は、「幸せは幽霊のようなもの。概念と言葉はあるけれど実体はない。ないものを考えるのはやめよう」と思っていた時期が長い間ありました。この文で多くの人は「この筆者は幸せではなかったんだ」と察しがついたことでしょう。そうです。「生涯独身の一人暮らしのお婆さん」というひとつだけでも不幸感が大きいです。もし、筆者の不幸ファクターをここにリストアップしたら、「かなりカワイソウな女(ひと)。まだ私のほうがまし」という呟きが聞こえてくるようです。
でも、筆者は「幸せ」を考えるのはやめましたが、ふてくされて生きてきたわけではありません。「幸せ」という実体のない概念を具体的な言葉までブレークダウンすることにしたのです。「今日の飲み会、楽しかった」「新緑の中のトレッキング、凄く気持ちよかった」というように。幸福というものを漠然と神秘的・曖昧模糊と捉えるのではなく「言語化できる実体のあること」として捉えるという側面で、ナヴァルの「幸福になるスキルを考えること」と似ていると思いました。
ナヴァルの「幸福になるスキル」
「幸せになりたい」と思っている人は、「今、不幸せ」な人であることが多いと思います。
不幸せの形は様々ですが、ナヴァルが解消しようとする不幸せの形の中に「あなたの不幸せの形」が見つかったら、「幸福になるスキル」を試しにやってみませんか。もしかしたら、あなたの幸福感が少しだけ上がるかもしれません。(なんだか怪しい○○勧誘のような表現になってしまいましたが、当方、決してそのように怪しい者ではありません。)
製本版を購入しなくても、出版社サイトからPDF版を無料ダウンロードできますよ。
どうせすべて「塵」になる
筆者は以前の読書ノートに「命を使い切る」生き方について書いたことがありましたが、ナヴァルも「死を受け入れる、死を前提に生きる」という死生観に触れていましたので引用しておきます。この死生観が幸福の土台にあるのかもしれません。
Q:自分の力で変えられない物事をどうしたら受け入れられるようになりますか?
この問いに、次のように答えています。
基本的に、すべてに通じる大きなコツがある。それは死を受け入れることだ。
(中略)
足跡なんてない。後世に残すべきものなんて何もないんだ。みんないなくなる。子孫もいなくなる。業績は塵になる。文明は塵になる。地球は塵になる。太陽も塵になる。
(中略)
現実を味わいながら人生を過ごせばそれでいい。現実をできる限りポジティブに解釈しようじゃないか?君が心から楽しまず、心から幸せでないからといって、誰も喜びはしない。君が不幸だからといって、誰の得にもならない。君はただ、この世にいられるわずかな貴重な時間を無駄にしているだけなんだ。
つねに死を意識して、死を否定しないことが本当に大切だ。