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青い春に一区切り〜RADWIMPSのメンバー脱退に寄せて〜

10月17日、RADWIMPSの公式アカウントに

『RADWIMPSからのご報告』

とあった。


10月15日には、無期限活動休止中の山口智史(Dr.)からスタンフォード大学が提供する教育プログラム『SPICE』に関する記事が公開され、智史のバンドに対する想いなども赤裸々に語られていただけに、少し期待をしてしまった自分がいた。

しかし、そこに書かれていたのは

「RADWIMPS 桑原彰 脱退」

という内容だった。

最近の桑原(Gt.)のSNSはなんだか様子が可笑しく、
いきなりX(Twitter)を始めたり、Instagramのリール投稿が増えたり、メディア露出の仕方を少し疑問視していたのも事実だった。

2021年の不倫騒動からの活動休止の際は、野田洋次郎(Vo.&Gt.)と武田祐介(Ba.)から辛辣なコメントが発せられた。

▼その時の記事はこちら
https://radwimps.jp/news/11496/


その後、2022年にバンド復帰を果たすが、
洋次郎との確執を、SNSを相互フォローしていないことやライブ中の掛け合いの距離感が変わったことを理由に指摘する声もあった。
(正直、バンドなんて色々あるだろうからこういうこともあるよな、と思っていた)

そして2024年に入って行われた『RADWIMPS WORLD TOUR 2024 “The way you yawn, and the outcry of Peace” [Asia]』が6月に終わってからは、バンドとしての活動ではなく野田洋次郎ソロ名義での活動が本格化した。


そんな中での『桑原彰 脱退』であった。


このバンドの成り立ちまで遡ると、
野田洋次郎をバンドに誘ったのも桑原であり、
「RADで食っていく」と高校を中退するほどであった。

そこから20数年あまりが経った2024年、
進む方向性の違いから"脱退"となったのだ。

正直、いちリスナーからしたらどれほどの話し合いがされたのか、どれくらいの葛藤があったのかは計り知れない。
しかしながら、活動休止でもなく、"脱退"という事実はインパクトの強いものがあった。

。。。

と、ここまでは事実を淡々と述べてきているが、
自分は2007年くらいからRADWIMPSを聴いており
自他ともに認める『RADWIMPSファン』である、と自負している。(そうでありたい)


これまで発売されたCDやDVDはもちろん手に入れているし、自身が留学中に発売になったアルバムは海外配送までして聴いた。

ライブに至っては2010年のROCKS TOKYOから計31回足を運び、地方へ遠征もしている。


そんなRADWIMPS大好き人間が、今回の件について思うことはひとつで『ひとつの青春が終わってしまった』ということに尽きる。

もちろん、RADWIMPSは解散したわけではないし
年間約5,000円かかるファンクラブの更新だって続けている。

それでも、中高生の時に好きになった"あの"バンドサウンドはもう聴けないのだ、という喪失感が大きい。

中学2年生のときに始めたギター。
とにかく練習したのは『トレモロ』のリードギターだった。チョーキングが難しく、指を痛めた。

(余談ではあるが、最初に練習したのはBUMP OF CHICKENの『ラフメイカー』である。その頃の自分にとっては、RADとBUMPは二大巨頭だった。)


顔は出さずに、ツイキャスで弾き語りをポロポロと配信したこともあった。いま思い返すと半分以上はRADWIMPSの曲だった。ゴリゴリのバンドサウンドを、自分なりにアコギでアレンジして弾いていた。


ライブレポートを書いたら、それを読んでくれた人からフォローされて、『音楽つながり』の友達が増えたりもした。
(それからすぐに、バズりすぎるのが怖くて、色んな人に見られていることがモゾモゾして、鍵アカウントにした)


それぞれのライブやツアーも想い出がたくさんある。


2013年9月に宮城県で行われた『青とメメメ』では、被災したピアノを修復させて弾く野田洋次郎の姿に当時大学1年生だった自分は心を打たれた。


2015年 『RADWIMPSの胎盤ツアー』では、
自分の大好きなバンドであるスピッツとの対バンがあるとのことで周りの人を巻き込んでチケットを確保した。
ONE OK ROCKとの対バン日もどうしても行きたくて、X(Twitter)でライブの同行者を募集している人にリプライを送って同行したこともあった。


2015年12月23日、幕張メッセで行われた『RADWIMPSのはじまりはじまり』では、念願だったデビュー曲の『もしも』を生で聴けたことに、一緒に観ていた友人と声を上げて狂喜乱舞した。


社会人になってからも、「RADWIMPSのライブがあるから頑張れる」と自分に言い聞かせ、平日の有休は殆どRADのために使った。


2022年の1月に行われた『FOREVER IN THE DAZE TOUR』のファイナル公演(宮城)では、人生初めての転職をするか迷っている自分の背中を押してもらったような気がした。帰る前に食べた仙台牛の味は今でも覚えている。


2023年6月、約10年振りのライブハウスツアー『BACK TO THE LIVE HOUSE TOUR 2023
』では、彼らの地元である横浜での公演に当選し、最前ブロックでもみくちゃになりながら音を全身で浴びた。その次の日から体調を崩し、コロナに罹患して2週間ほどダウンした。


2024年4月、『RADWIMPS WORLD TOUR 2024 “The way you yawn, and the outcry of Peace” [Asia]』には、自分の大切な人と参加した。セットリストも割りと万人受けするもので、初めて聴く人にも優しいものになっていて、内心ホッとしていた。


そしてこれが、自分にとってはRADWIMPSの4人体制(※ドラムス山口智史は活動休止中)での最後のライブになるとは、その時は思ってもいなかった。


こうつらつらと述べてみると、本当にRADWIMPSの音楽に元気をもらっていたなぁ、と思う。
そして、たくさんの繋がりと想い出を作ってもらったなぁ、と思う。


これから先も、いったんRADWIMPSは解散せずに音を鳴らし続けるとのこと。
きっと、自分はまたライブに足を運ぶだろうし、ライブで昔の曲を聴いたときに「懐かしいなあ」と物思いに耽るのだと思う。

そして、これからRADWIMPSを聴き始める人たちや、最近聴き始めた人たちに、山口智史のドラムを生で聴けたことや、4人でのライブを何度も観られたことに対して、心のどこかで「ふふん」と得意げになる自分もいるのだと思う。

ただ、

「あの頃は良かったんだけどねえ」
などと語り始めるオッサンにはならないように、十分に留意したい。


と、自分の長い長い青春を彩ってくれた、
RADWIMPSというバンドが一区切りしたタイミングで、駄文をしたためてみたわけである。


最後に。

RADWIMPSの1枚目のアルバム『RADWIMPS』に収録されている"青い春"という曲の歌詞を一部引用して、この記事を終えようと思う。

"終わりは始まりなワケであって へコむ暇などないワケであって
でもそれが人生のイイとこなんだって
誰かから聞いた気がする

いつも自分を持って生き きっとそれがカッコいい
みんなはそういう人だから 僕は好きなんだ

いつか別れがくるなんて 考えても 何も プラスに働きはしない
だから共に生きよう 今を 青き春を

この今とゆう時に この今とゆう場所で
この今とゆう素晴らしい季節に みんなと出会えた 喜びは

何にも代えられることは できないよ僕の力では
他の誰でもなく絶対に あなた達と 生きていきたい"

RADWIMPS 『青い春』より

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