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『あの人の手紙』 /かぐや姫(昭和歌謡曲) 戦争を歌う

私の父方の祖父母は大正生まれ、共に再婚だった。後妻とは言え宮本家は裕福で、その夫人である祖母が不幸な結婚をしていたように思えないのだが、、、2人きりになると祖母はよく、1度目の結婚について涙ながらに話していた。

「結婚生活は2週間しかなくて… あの人との子どもでも居ればもっと違っていただろうけど」

祖母の忘れえぬ結婚相手は、戦死だった。

♪ 戦場への〜 招待券と言うぅ〜 ただ1枚の 紙切れがぁぁ〜♬

かぐや姫『あの人の手紙』の歌詞。これは太平洋戦争時の召集令状、通称:赤紙を指している。

物心ついた頃の私は、かぐや姫を聴く環境にあり『あの人の手紙』もよく口ずさんでいた。

小学校高学年くらいになってふと「あれ?この歌‥戦争を歌ってる?」と気付く。時はもう平成、戦争を口にする身近な人はこの祖母くらいしかおらず、私にはとてもとても遠い時代のように感じていた。

♪ あな~たの~ 好ぅきな~ 白百合をぉ~ 欠かさず窓辺に 飾っていたわぁ~♬

百合の咲く時期は、6~8月頃。口に出せずとも日本の敗戦を誰もが理解していた頃だろう。4年近くも続いた戦争、兵士が戦って死ぬなど稀で、ほとんど餓死である。

私が思春期の頃は、幽霊となって戻ってきてくれた「あの人」を想像していた。しかし現在は、2つの説で考える。

①幽霊になって戻って来た説

♪ 涙も~ 枯れた~ あ~る日~ 突然~ 帰ぇって~来た~ひ~とぉ~♬

予期せぬ帰宅、帰れるはずのない場所から戻って来たのか。

♪ あな~たの~ やさしいこの手はぁ~ とても冷たく感じてぇぇ~♬

幽霊になって戻ってきたのだから体温がない。冷たくなった身体でも、愛しい恋人を抱きしめる。

かつての日本では、男性は20歳で徴兵検査を受け、合格すると40歳まで兵役を課された。(戦争末期になると、17~45歳まで範囲が広がる)

計画に基づき、連隊区司令部が必要な動員人数を算出する。兵士の対象者を選定し、召集令状=いわゆる「赤紙」を発行。役所の兵事係が本人または家族に手渡すのだ。

②戦地への赴任前に帰省した説

♪ でもすぐに~時はぁ流れてぇ~ あの人は別れを告げるぅぅ~♬

家族やご近所さん達から盛大に見送られ、兵士となる「あの人」たちは出征してゆく。〇〇が兵隊になった、万歳、と言っていたのだろう。どんな心中か、想像するだけで胸が締め付けられる。

しかし、彼らは直ちに戦地へと送り込まれるわけではない。一旦召集された後、兵種ごとに分けられ実戦のための訓練を受けるのだ。

合間に帰ってきて、「あの人」は戦場へ行ったのかもしれない。

そして… このように続く。

♪ いいのよぉ~ やさしいあ~なたぁ~ 私には~ もうわかってい~るのぉ~♬

涙も枯れるほど泣いて、戻ってきてくれたあなたと愛し合い‥送り出し、理解する。

♪ 本当は~ もう死んでぇ~ いるのでしょぅ~♬

物資不足、食糧難、空襲も酷くなり、「あの人」を思う彼女ですら命が危うい。ましてや戦地へと赴いた「あの人」は‥

♪ 昨日手紙がついたの あな~たの~ 死を告げたぁ… てが~みがぁ~♬

手紙は、この時代の非常によく使われていた通信手段である。しかし食料の輸送艦すらも撃沈されてしまっていて、戦地から「あの人」からの手紙が直接届く可能性は低いと思われる。

死亡通知(役場による電報)、あるいは戦死公報(軍からの通達)だったのだろう。

遺骨もなく、手紙もなく、もう「あの人」が帰ってくることはない。戻ってきて抱いてくれた、あの日の思い出しか残っていない。

♪ 泳ぐ~ 魚の群れ~にぃ~ 石を~投げてみた~♬

私の祖母はもちろん、魚の群れに石を投げつけた女性だろう。しかし祖母だけではなく、戦争を強いられた世代の人は皆「逃げる魚たち」だったのではないか。何の罪があるの?と、序盤で歌う。戦争を憎み恨み、この悔しさを、どこにぶつけたら良いですか?

「あの人の手紙」は日本人の心を歌う、日本の名曲。フォーク(大衆)ソングである。

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