自己紹介その2。
中華料理チェーン(と言っていいのか)と聞けば王将がパッと思いつくだろう。そしてその王将にはいわゆる『餃子の王将』と『大阪王将』とがある。いろいろ曰く付きのこのふたつの王将だが、みやび少年はこの大阪王将で人生2件目のバイト生活をはじめる。高校2年の夏だった。
近所の王将で働いたおかげで、店長の娘がどうやら中学校のひとつ上の先輩だった。中学生の時に面識は全くなかったが、バイトをするようになってからは話す機会がよくあった。受験生の先輩の志望校が「ゲイダイ」らしく、受験対策でアトリエに頻繁に通っていた。イラストレーター志望で、ゲイダイのその志望学科の倍率は15倍くらいだったそうだ。結局バイトを辞めたタイミングもあり、その先輩がゲイダイに行ったかどうかは今でも知らない。が、みやび少年の脳裏にはそのゲイダイという言葉だけは焼き付いた。
時は過ぎて高校3年。受験生になったのだなぁ、と自覚しはじめた夏休み。まわりの流れもあったので勉強をしようと決意し、食事と睡眠以外をすべて家庭学習にあてた結果、二学期はじめの模試では校内3位の成績に。比較的偏差値の高い高校だったので、秋の三者面談では「好きな大学に行って大丈夫だよ」と進路指導の先生に言われた。
それまで全く進路のことを真剣に考えていなかったので、好きな大学?てか学部とかわからんし?と、疑問符だらけの進路相談だった。口をついた学校名があの「ゲイダイ」だった。三者面談に同席した母親も、もちろん進路指導の先生も目をまん丸にしなぜゲイダイ?と聞くわけで。それはみやび少年にもわからなかった。ただ、その進路相談の時の会話で、王将の娘が受験しようとしていたゲイダイと、中学校の時の吹奏楽部の悔しかった思い出とが結びついたのだ。ゲイダイで音楽をやろう、中途半端にしかやらなかった吹奏楽を、1からやってみようと。
とにかくゲイダイ受験に大反対だった家族の説得を終えたとき、すでに10月を迎えていた。公募推薦で落ちたら諦める、一般試験では普通の(何をもって普通なのかはさておき)大学を受験する約束をしてしまったため、タイムリミットは約一か月。夏休みのペースと同様、ひたすら音楽の受験勉強を詰め込んだ。うん、まさに詰め込むとはこのことだ、と思えるほどみっちりと詰め込んだ。これでダメなら才能の問題。ちなみにピアノは3歳くらいに半年程やっていた、らしい。その程度の音楽教育で、しかも一か月の受験勉強じゃあ合格は厳しいだろう、とニヤニヤする両親のアテは見事外れる。みやび少年は、春からゲイダイ生になることが決定した。
続。