幼い日
今日はアズの 幼い日のことを少しお話ししようと思います。
言葉の出始めも遅く、 発達全般もゆっくりだった アズは、 家では 元気に 走り回り うるさいくらいに あれこれと おしゃべりをして、少し 静かにねと言いたくなるくらいでした。
ですが、ひとたび 家を出て 初めての場所や 慣れない人、環境の中では 緊張して 言葉を発することなく 固まってしまいます。
慣れない人とは、私と主人、そして 遠く離れて暮らす 私の家族以外ですから ほぼ 家族以外の人 みんなです。
近所の人や お友達のママ達に話しかけられても こたえることは出来ません。
アズはきっと こんな風に答えたいのかな?こんなこと話したいのかな?と想像しながら 代弁をしたりして アズのかわりに コミュニケーションを取ってきました。
ですが、おはようや こんにちは など 挨拶くらいは きちんと できないと。と焦る気持ちもありました。
当時の私は、挨拶もできない子どもに育てていると 周りから思われるのではと、周囲の目を気にしていました。
せめて ペコリと頭を下げて 形だけでも挨拶ができればいいのにと アズを責めるような 苛立つような 気持ちも同時にありました。
私の気持ちとは裏腹に、どんなに 促してみても 声をかけてみても、 アズは 声をかけられると固まってしまい 頭を下げるどころか 直立不動で ピクリとも動くこともできないのです。
そんなアズに 困惑する 日々は 長く続きました。
どうやら 人から急に声をかけられると 注目されているという 緊張から体が固ってしまうようでした。
それは アズ本人にも どうすることもできないことのようでした。
そして、だんだんと 周りの人にも慣れてきて 声をかけられること自体にも 慣れてくると 返事をすることはできませんが 少しだけ表情が緩むようになってきました。
本当はおしゃべりがしたくて仕方がないと言った表情になり、代わりにママがお話をしてと 私の袖を きゅっと掴んだまま 私が話している様子を横で聞いていました。
そんな風に少しずつ 人にも 慣れてくるのですが、アズの敏感なセンサーは自分を ありのまま受け入れてくれる人、 ご挨拶ぐらいできなくっちゃね などと 制限付きで受け入れてくれる人 など 瞬時に 見分けて 後者の方には 表情を緩めることなく 私のそばから 離れませんでした。
私も どちらかというと 繊細な方ですから アズの気持ちもよくわかるのです。
それでも 社会に出ると そんな ことばかり言っていられません。
子どもらしく 元気いっぱい 家でも外でも はしゃいだり、人懐っこく 笑顔で返してほしい。 そんなことも思っていました。
でも子供らしいって一体 どんな姿でしょう。
天真爛漫で 自由を絵に書いたような 子ども… そんな姿を思い描き アズに重ね合わせて なんだか違う と勝手に思っていたのかもしれません。
一人一人 みんな違う そんなことは 頭ではわかっていても 理想とかけ離れた子育てに 私自身が 困惑して どうしたらいいのかわからなくなっていたようです。
今は スマホで検索すればたくさんの情報が得られる時代になりました。
場面緘黙と調べると どのような対応がいいのかも 出てきます。ですが、それもまた頭では分かっていても 心が追いつかない。 当時の私のように そんなママさん達もいらっしゃるのではないかなと思ったりしています。
繊細で不安を感じやすいアズは 誰かと一緒に共有したり 共感したりする中で 少しずつ成長をしていきました。
母子分離が難しいとも よく言われましたが 焦ることはなかったんだと 今なら思うことができます。 少しずつ 少しずつですが 本人が満たされたら必ず離れて行くんですから。
そんなアズに 今年もまた 誕生日がやってきました。
どういう訳か 誕生日は、年に一度やってくる アズが 自分を解放して 話したい人とたくさんおしゃべりができる日に なっているようです。
今年はその中に 新たに 初めて お話しする人が 加わりました。 こうやって 1人 また1人と アズのことを大切に受け入れてくれる存在が増えていくこと を心から嬉しく思います。