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うらとおもて
おもてとうら。
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'おもて'と'うら'をという存在に触れてみる
よく表に出るという表現をしますが、裏に出るとはとんどいわない
裏に回るとよくいいます
これはそれぞれ存在が全く別ということをよく表していて
表とは3次元。
3次元とは全て表ということです
表に出るとは3次元の存在であること
これが、'ある'ということ
果たして、裏とは??
そこで、裏にいくには'回る'必要があるということ
ここで'反転'と言ってみるのも現代的かもしれないけれど、
存在的に言えば、「まわる=間割る」になるでしょう
これはとても面白く、この内容からぜひ情緒というものに触れていただきたい
「水割り」とは、お酒を知る人ならあたり前の存在かもしれませんが
「間割り」も、私たちに当たり前であってほしい存在です
ここで、'うら'とは'心'でもあるというのが、私たちです
おもてが存在するためには、うらがなければいけないことが分かります
裏がないなら、表を表と言う必要がありません
表=3次元ならば、裏が表の存在を支えているということです
それは相補的に表も裏の存在を支えている
この'ある=おもて'ということを支える'うら'へ行くには'間割る'必要があるということ
そこには実は'水'という存在も必須であることから'水割り'も捨てたもんじゃないというのが、ペタいとおかし。