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大人の贅沢=「時間を遣う」という贅沢

贅沢とは何か?

まず把握しなければならないのは、「無駄使い」との違いだ。「無駄使い」は、文字通り金や物を「無駄に」使うこと。「贅沢」は確かに「無駄使い」かもしれないが、「贅沢」をすることで人間は何かを得ている。「無駄使い」は「贅沢」の手段に過ぎない。逆に言えば、「贅沢」の結果何も得られなかったのであれば、その行為は「無駄使い」に格下げとなろう。

では、贅沢をすることで人間は何を得るのか?それは間違いなく、心の余裕だ。
駿河台大学学長・大森一宏は自身のブログでこう語る。

「心の贅沢」とは、何を意味するのでしょうか。おそらくそれは、目先の損得や利害から離れて、ほんとうにやりたいことや好きなことを時間をかけて行い、自分なりの満足感を得ることを指すのだと思います。

https://www.surugadai.ac.jp/president/2023/08/post-52.html

この言葉に、私の「贅沢」の定義が含まれている。

ポイントとなるのは、「時間をかけて」という部分だ。贅沢というと、どうしても金を湯水のごとく使い、豪華の限りを尽くすことが連想されてしまう。食であれ、服であれ、どれも。

しかし、必ずしも贅沢に金は必要ない。そもそも贅沢に金を使うというのは、無い状態から金を貯め、それをここぞというタイミングで放出することで、これまでにない体験をすることを意味する。
この「金」の部分を、「時間」に変えても、なんら問題ないのではないか。
日々仕事に忙殺され、時間が無い状態から何とかして長めの休みをむしり取り、例えば自分が行ったことのないところに行く。それによって新たな楽しみを発見できたのであれば、それに勝る贅沢はないのではないか。

もう一度書いておくが、私の「贅沢」の定義は2つだ。
①普段使うことのできない量の何か(例えば、時間)をかけて自分のやりたいことや好きなことをしたり、行ったことのないところに行ったりする。
②それによって、心の余裕や自分の糧となる何かを得る。

そして、②を達成―大事な何かを得るためには、漫然と時間を「使って」はならない。一つ一つの行動を自分の頭でよく考え咀嚼する―すなわち、時間を「遣う」必要がある、と私は考える。

大人の贅沢は、「時間を遣う」ことである。これが、私の「贅沢」の定義だ。





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