「企画力」と「企画ピース収集力」を揃えよう
あいも変わらず、事業会社のIT部門(情シス)の仕事をやっております。
今日の note は「情シスで企画ができる人とは」という論点で書きます。
ひょっとすると、情シス以外の職種にも当てはまるかもしれません。(当てはまるようでしたら、どんな感じに当てはまるのかぜひ教えてください、興味津々です)
情シスの仕事に就いてから20年になりますが、ふと振り返ると、ここ10年くらいの働き方と、それ以前の働き方が全然違うことに改めて気づきました。
・2004年〜2014年:数万〜数十万規模の超・大企業勤務、徹底した分業制
・2015年〜現在:数百〜数千人規模の企業勤務、それなりに「何でも屋」
ここで言う「分業」には、
・縦割り:業務分野別(基幹システム、CRM/SFA、EC、インフラ、セキュリティ、エンドポイント…)
・横割り:業務フェーズ別(企画、開発、運用保守、サポート…)
の2つがあり、今回は後者の「横割り」について論じます。
※ 縦割りも縦割りで色々と弊害があるのですが、今回は省略します。
業務フェーズ別で情シスの業務を捉えたとき、一番価値を生み出すのは「企画」と言って差し支えないでしょう。もちろんいずれの業務も重要であり軽視するつもりはありませんが(日常業務を円滑に回す意味では、運用保守とサポートが最重要です)、現状を変革し、新たな価値を生み出す業務は「企画」であり、経営者もこれを重視すると考えます。
では「情シスで企画ができる人」はどのようにして生み出されるのか、僕の経験に基づき僕なりの考えを述べてみます。
分業徹底時代の苦悩
超大企業に勤めていた「分業徹底」の時代、僕が一番苦労したのは「企画書の差し戻し」でした。
当時の職場は
・正社員は上流工程(企画)をやれ
・派遣社員やパートナー企業に下流工程(開発、運用保守、サポート)をもっと丸投げしろ
という風潮が非常に強かったです。今は変わったのかもしれませんが。
企画をやれと言われた以上、企画をするわけですが、まあ上司の承認が通らない。何を書いても差し戻しされる。課題定義が甘い、具体性がない、ロジックが通っていない、云々。自分が若輩者だったのもあるかもしれませんが、先輩社員も似たような仕打ちを食らっていたことを考えると、それだけが原因とも思えませんでした。
※ ちなみに、中身はスカスカですが、資料の見た目やストーリーをきれいに仕上げるスキルだけこのとき無駄に上がり、パワポ作成は得意になりました…。
要は「企画のピース(材料)の不足」が原因だったのです。派遣社員やパートナー社員に実務を丸投げしながら、課題を定義し、具体性ある解決策の提案ができるわけがない。
そこで僕は、よくパートナー企業社員が常駐されている部屋に入り浸り、システムの運用保守の現状を把握しようと務めました。そのうち、システムの現状のみならず、それを利用している事業部門の現状も把握したくなり、事業部門の上司に許可を取って担当者にヒアリングをしたりするようになりました。そのうち少しずつシステムや業務に対する理解が深まり、具体的な企画ができるようになっていきました。
当時、そんなことをする社員はほとんどおらず、下手すると「あいつは本来業務以外のこと(運用保守やユーザーサポート)をやっている」と評価を下げられかねなかったため、こっそりやっていました。
ちなみに僕は2社の超大企業に勤務しましたが、2社目の超大企業は上記のような「越境行為」が絶対的に禁じられていたため、早々に職場に絶望し転職することになりました。
何でも屋の衝撃と発見
超大企業を脱し、次の職場に移った僕は当時37歳でした。奇跡的に前職で管理職試験に受かっていたこともあり、部下持ちの課長職として就任しました。その僕を待ち受けていたのは「えっ!それも僕がやるの?」でした。
ある日、部門長の指示で「新しいデバイスの試験導入」を指示され、まず自部門全員に先行導入する企画を立案し承認されました。僕は前職で培った「手配師」スキルを遺憾なく発揮し、購入先の選定、見積もり、決裁、発注までを難なくこなしました。無事約30台のデバイスが納品されました。問題はその次です。
「ねえスミニヤシさん、あのデバイスいつになったら使えるの?」
「みんな待ってんだけど、いつになったら手元に届くの?」
部門内には、デバイスのキッティングやサポートを行う担当者がおり、今回の新デバイスのセットアップ手順も明確であったため、彼がセットアップを進めるものだと思っていたのです。しかしながら、この職場では「企画した人が導入やサポートまで全部やり切る」ことが通常であり、彼は自分の業務であるとは認識しなかったのです。
新参者の僕は「郷に入っては郷に従え」で、約30台のデバイスをセットアップし、梱包し、発送し(思えば職場で自分で送り状を書いたりするのはこれが初めてだった)、全部員の手元に届けることができました。その後の問い合わせサポートも自分が受けました。別に嫌な思いはしませんでしたが、「ここまで自分でやるのか」と衝撃を受けました。
その直後、フィールドエンジニアのPCのスペック不足が問題になり、期末の余剰予算でメモリを購入し追加する企画を立てましたが、このときもメモリ挿入手順の作成、対象PCのリストアップと配布先住所の特定、全国への発送、サポートを全部自分で行いました。
当時の部門長のスタンスは、シンプルに言えば「IT部門として企業価値向上に貢献する結果を出そう」であり、手段を問うことはあまりありませんでした。必要であればオペレーションもすればよし、また工場やフィールドの現場観察といった「越境行為」についても寛容(むしろ推奨)でした。社外のコミュニティに参加し、他社情報やトレンドを把握することも推奨されました。
僕は日常的にオペレーションをする傍ら、現場観察を通じて課題を特定し、社外交流も行いながら、残りの時間で企画立案しプロジェクトを推進しました。以前に比べると、企画立案にじっくり時間をかけることはできず、定時後や土日に2〜3時間集中してパワポを仕上げることしかできませんでした。
しかしながら、なぜか企画がよく通る。
当時の部門長は非常に厳しい人で、私以外のメンバーは企画が通らず泣かされている人も多かったので、なぜ自分の企画が通るのか最初はよく分かりませんでした。ある時ふと、超大企業に在籍していたときの自分を思い出し、はっと気づきました。
「企画のピース(材料)が揃っている、もしくは揃えようと思えば揃えられる環境にある」
これに尽きました。自分で言うのもなんですが、この環境と、超大企業で培ったパワポスキルが合体し、良い企画書をひねり出せるようになったのだと思います。
その後2回の転職を経験しましたが、基本的にこのときのスタンスをずっと維持しています。おかげさまで自分の企画が「箸にも棒にもかからない」レベルでNGになったことはその後ありません。一時期「ひとり情シス」を経験したこともありますが、それでも何とかやってこれたのは、このときのスタンスが身についていたからだと思います。
唯一の難点は、僕は「自分でピースを集めようとする」傾向があるため、部長職になってもたまにサポート業務をしてしまったりし、時間が全然足りないところでしょうか…
「情シスで企画ができる人」を生み出すには
要は以下の2つが揃った人材を育てることだと思います。
(1) 企画力(課題の定義、分析、解決案の立案、ストーリー化・資料化、プレゼン力)
(2) 企画ピース収集力(事業・実務・システムの現状と課題の把握、社外トレンドの把握)
超大企業に在籍したときの僕は完全に(2)が不足していました。一方、(2)があるのに(1)が足りず、企画立案と変革に繋げられない方もいます。嫌なパターンとしては、(1)のみ人材と(2)のみ人材が固定化され、いがみ合い、協力しない職場です。
(1)「企画通らないな〜」
(2)「(1)のやつ、全然分かってないんだよ、現場はXXXなのに」
(1)「(2)さん、物知りなのに、全然言語化してくれないんだよな、困っちゃう」
(1)のみ人材が中途採用、(2)のみ人材が生え抜き、というパターンで多い気がします。
ちなみに「企画ピース」のうち「社内情報」を把握している人と「社外情報(トレンド)」の収集に長けた人も別の人になりがちで、前者が後者に対して「また他社の事例ばっかり持ってきやがって、うちは特別なんだよ」といがみ合いになるケースも多いです。
では、どうすれば(1)(2)を兼ね備えた人材を育てられるのか。
もし職場が許すのであれば、やはり「越境行為」を促進するのが一番かと思います。手段はいろいろあります。担当間・部門間での情報交流、配置ローテーションの促進など。会社の制度や文化を変えられれば一番ですが、そうでなくても、ある程度のお立場のある方がひとりでも越境行為を「促進」するスタンスを取ってくれれば、周囲もなかなか反対できないのではないでしょうか。部門長や役員などのお立場のある方、ぜひお願いいたします。
それも望めないようであれば、僕のようにこっそりアンダーグラウンドで越境行為を進め、結果を出して認めさせるというのも手ですが、けっこう疲れます。転職しましょう、僕のように(笑)
追伸
ちなみに、冒頭で書いた
・2004年〜2014年:数万〜数十万規模の超・大企業勤務、徹底した分業制 ・2015年〜現在:数百〜数千人規模の企業勤務、それなりに「何でも屋」
の「順序」はこれで良かったのか、逆だったほうが良かったのか、今となってはよく分かりません。ただ、37歳になるまで、職場で荷物の送り状も書いたことがなかった、というのはけっこう凄いことかもしれません。(超大企業には総務子会社が必ずあり、そこに持ち込めば何でもやってくれた)
一方、周囲に「40代になってから初めてDOSバッチやVBAでちょっとしたツールを開発し始めた」とか言うと「何してんのお前…」とけっこう引かれたりします。