見出し画像

沖縄で暮らす。海人の町、糸満市は主婦の暮らしに強い味方。戦跡の名残とともに、南部の自然に手が届く居心地よさ

今日の午後は、久しぶりにコンビニへ行った。急にファミチキが食べたくなったからだ。イヤホンで動画を聴きながら徒歩8分。レジの店員さんに「ファミチキ1つ」とマスク越しに声をかけ、カードリーダーに自らクレカを通した。

お客さんが各自でカードリーダーにクレカを差し込む。そんなセルフ方式を早々と採用していたコンビニは、コロナ時代を強く生き抜いてる気がした。レジの飛沫感染防止シートも今となっては、当たり前の光景ように感じてくるから不思議だ。

5月も半ば。各地ではバタバタと動きを見せ始めて、今夜のTwitterもそれなりに大騒ぎになりそうだ。こっちはいつも通りにマイペースで行こうか。


■ ■ ■ ■ ■

沖縄出身のウチナンチューたちと沖縄移住したナイチャーたちが、2019年に「沖縄で暮らすこと」を題材に記事を執筆しました。

ビフォーコロナの沖縄で暮らす記憶。改めて「暮らしのあり方」を考え直すヒントになったら幸いです。楽しく読める暮らしのエッセイに新たに編集を加えて、noteでお届けします。

Produced by OKINAWA GRIT

[1点だけ補足]この記事は、2019年8月に公開したものです。

■ ■ ■ ■ ■


沖縄出身、糸満市在住5年目のフリーライター上原ねねと申します。那覇生まれの私が初めて糸満市に足を踏み入れたのは、高校1年の春でした。

小学生の頃からパティシエになりたいと思っていた私は、高校受験の的を調理科がある糸満市の沖縄水産高等学校に即決して、那覇から高校までバスで通う日々を過ごしました。

しかし、高校2年の夏。住んでいたアパートが半年後に取り壊されることになり、この急展開に「次、どこ住むよ…!」と家族会議で浮上したのが糸満市でした。「ねねの学校があるし、糸満でいいんじゃない?」と母が放った安易な理由で家族揃って糸満市に引っ越したのです。


高校もバイト先も仲良しの友達も全員オール糸満。ほどよい都市感で生活の不便を感じない糸満市に、「めちゃくちゃ住みやすいね…」と家族で愛着を感じていました。

<WRITER/上原ねね>


1. 結婚を期に糸満市を離れ、再び糸満市へ

画像1

20歳のときに、結婚を機に糸満市から引っ越して、生活拠点は糸満市から元夫の住む沖縄本島中部へと移り、4年間の結婚生活を過ごす中で長男と長女を出産して、私の中部での生活は離婚という形で幕を閉じたのです。

子供たちと一緒に暮らすことを考えたとき、脳内をジャックしたのは「ホームタウンである糸満に帰りたい」という思いでした。

「母や友人たちが住む糸満に帰りたいな」「糸満って、歩けばすぐ便利に手が届くんだよな…」と離婚へ向けて着々と準備が進む中、いつの間にか私の中で「糸満に帰りたい」願望が、沸々と湧き上がっていったのです。


その後、糸満に戻った私は水を得た魚のように仕事や子育てに意気揚々と、後ろを振り返らずに踏ん張っていたのは今となってはいい思い出です。

母や友人の温かい言葉や優しさに触れて気分が落ち着いた時、母親としての覚悟を持てた気がします。やっぱり糸満に戻って正解だった!と、当時の自分の決意を褒めてあげたい気分です。


2. 新と旧が入り混じった親しみやすい糸満市

画像2

糸満市は、那覇空港から南に約10km。沖縄本島の最南端に位置する漁業が盛んな「海人の町」です。令和元年7月時点で、糸満市の総人口は61,920名。敷地面積は46.63平方キロメートルと、沖縄県内では14番目に敷地面積の広い町です。

地元の酒蔵といえば、泡盛の酒造所「まさひろ酒造株式会社」があり、泡盛海人が人気の商品です。主な特産品は、糸満かまぼこニンジンなどが知られ、観光スポットの琉球ガラス村があることから、色彩が美しい琉球ガラスも糸満市の特産品のひとつです。


画像3

毎年6月23日の慰霊の日に、沖縄全戦没者追悼式典が行われる平和祈念公園。2017年に新しい大型遊具「命の卵」が完成して、週末の公園は家族連れで賑わい、上原家の憩いの場ともなっています。

ひめゆり学徒隊の慰霊碑がある「ひめゆりの塔」など、戦跡として知られる著名な観光スポットがある中、市街地には暮らしの中に溶け込んだ娯楽施設や公共施設、住宅街が密集して新と旧が相まった町なのです。


糸満市は、主にニュータウンエリアと田舎エリアにわかれています。

「糸満の都会」といえば、美々ビーチや工業地帯がある西崎町、サンエーしおざきシティ周辺は埋立地の潮崎タウン。糸満市西崎にコメダ珈琲やセブンイレブンが進出したのはかなり驚きでした。

糸満市役所の近く、糸満漁港がある字糸満は、漁師街が色濃く残り、昔ながらのTHE 糸満というスタイルを感じられます。


3. 糸満市の暮らしやすい理由1「生活の利便性」

画像5

1984年に糸満市の市街に創設された埋立地「西崎」は、狭い区画内に便利な暮らしをギュッと詰め込んだ、比較的新しい町です。

住む場所によっては、郵便局や銀行、学校、公園といった主婦やファミリー層には欠かせない施設が徒歩圏内にあるだけでなく、チェーン展開しているスーパーマーケット、カラオケや美容室、飲食店などの施設も揃っています。


たまにケアレスミスで「買い忘れ」に気づいた時こそ、この町の便利さをヒシヒシと痛感しています。夕食を作りながら「あ!お醤油切らしてたんだ!」となってもすっぴんに部屋着のまま、パッと買いに行けるのです。

また、那覇市とリゾートエリア・南城市の中間に位置するため、車さえ持っていれば糸満市から賑やかな那覇市やリゾートエリアにサクッとアクセスできます。那覇空港まで車で約20分、南城市のカフェストリートへも30分弱のドライブで到着できる立地の良さです。


画像4

糸満市に住むと、「ちょっと海カフェでパンケーキを食べない?子供を最新遊具の揃った大きな公園で遊ばせたいね!最後に海沿いをドライブしながらファーマーズマーケットで買い出しをして帰ろう」という、休日の充実プランが市内で完結できるのです。

かといって、那覇や北谷のように「インスタ映えしそうなおしゃれな街」という訳ではなく、素朴な自然の景色を兼ね備えたところが個人的には好きなのです。


4. 糸満に戻った理由2「家賃の安さ」

家賃の安さも魅力のひとつ。新築にこだわらなければ、2LDKのバス・トイレ別の物件で4万円代なんてザラにあります。余談ですが、離婚をして糸満に戻ってきた時に、入居時の初期費用が17万円程度だったのは、かなり嬉しかったです。

最近では、市役所がある潮崎エリア周辺や字糸満周辺に近代的なマンションが増えてきて、ネット使い放題でオートロック完備、駐車場付きの2LDKでも家賃6万円程度です。(2019年8月現在)


画像6

糸満市で物件を探す上で注意したいのが、潮風による塩害です。沖縄で暮らす以上、塩害によるサビには覚悟が必要ですが、とくに海風の当たりが強い糸満市は塩害が酷い気がします。

私の場合、購入後わずか3年目のエアコン室外機を塩害でダメにしました。糸満市のような海沿いで暮らすなら自転車や室外機、サビ止めをしてない車も塩害対策は必須です。


5. 糸満に戻った理由3「人の温かさ」

画像7

那覇で生まれ、味気ないご近所付き合いが「普通」だった私。

もちろん温かな人はたくさんいましたが、現在の糸満市内のアパートでは、住人同士が顔を合わせると階段の踊り場であっても会話が始まるので、地域の繋がりが密なのかなと感じております。

先日も徒歩圏内のスーパーで買い出しを終えた帰宅途中、自室前で上階の住人とバッタリ遭遇して1時間余りも立ち話をしました。まるでサザエさんの世界観…!と我ながらびっくり。買い物袋を下げていた腕にはくっきりと袋の線が付ついていたし。


糸満に引っ越して間もない頃、近所の小学生たちとすれ違う時に「こんにちは!」と大きな声で挨拶をされ、ビクッとなって立ち止まったのを覚えています。

思春期真っ只中であるはずの中学生でさえ、すれ違う時に「おはようございます」や「こんにちは」と元気よく声掛けをしてくれる始末。最初は戸惑ったけれど、今では笑顔で「こんにちは!」と返せるようになりました。地域で子供たちを見守りながら育てるって、きっとこういうことなんだと思います。


6. 糸満市の特徴的な行事といえば、4日間にかけて行われる旧正月

画像8

糸満市で主婦をする上で、知っておきたい「行事」について少しお話を…。沖縄の年中行事で大きなイベントといえば旧盆と旧正月です。

毎年旧盆前になると、主婦たちの間では「今年のお盆っていつ?」という会話が飛び交います。沖縄の旧盆は、旧暦のお盆に合わせて、その年によって8月や9月に行われ、旧盆前にはこんな不可思議な会話が繰り広げられるのです。

糸満市に嫁いだ主婦たちは、旧盆や旧正月前には事前に必要なものを揃えたり、大量の料理を作ったりで忙しい数日間を送ることになります。

新正月を祝う習慣が定着してきた沖縄県ですが、糸満市ではまだまだ旧正月を祝う家庭がほとんどです。しかも糸満市の旧正月は4日間にかけて行われるという特徴があります。旧暦の1月1日には、糸満漁港に並んだ漁船に大漁旗が掲げられ、糸満ならではの風景を楽しめます。


 7. 主婦の暮らしにとって、糸満市が優しい理由

朝採れの新鮮な野菜が並ぶファーマーズマーケットいとまん「うまんちゅ市場」には、糸満市で水揚げされた活きのいい魚を購入できるお魚センターもあり、糸満市は、食材に恵まれた町だともいえます。

主婦にとっての日常の憂鬱といえば、今日の夕食は何を作ろうか?と悶々とメニューを考える時間ではないでしょうか。ズボラ主婦の私は、「いかに手抜きできるメニューをひらめくか」を日々探求しています。


画像9

ファーマーズマーケット内を周回していると、「今の時期ってこの野菜が旬なんだ」と季節の移り変わりを食材から感じたり、「このお魚で酢味噌和え作りたいな」など、勝手に本日のメニューが出来上がっていくので、個人的にファーマーズマーケット一帯を主婦の聖地と呼んでおります。(恥ずかしいので心の中で…)

訪れる時間帯によっては、野菜を並べている生産者と直接会話ができます。目の前で並べられた野菜を手に取って「この人が愛情を込めて育てたんだ…」と思うと、残さず綺麗に食べきろうと思えるし、子供たちの食育にもいいですよね。


8. おしゃれなカフェや美容室が意外と多い

「糸満にお洒落な美容室やカフェなんてあるの?」と市外の友人に半笑いで言われて、ちょっとお待ち!と反論したくなる気持ちを押さえて、「いや、それがあるのよー」と真顔で説明したことも。東京から進出してきた美容室「Agu(糸満店はAgu hair chura)」や、世界を旅して味を極めたオーナーが経営するカフェ「Cafe Mondoor」だって存在します。

糸満市は意外と美容室やカフェ、ネイルサロンが充実しているのも住みやすいポイント。家事や子育て、仕事で忙しい主婦だからこそママ会や主婦会で集まるカフェはパッと行ける距離がいいですよね。


9. 主婦が働きやすい環境が充実

大規模な工業地帯を有するため、食品関係や衣料関係の工場が多く、飲食店やスーパーマーケットでパートタイマーを募集する企業を見かけます。

パートタイマー、シフト勤務の主婦層が多い企業だと、子供の三者面談や保育参観といった学校行事でお互いにシフトを調整し合うことができます。

また、職場に主婦仲間がいると、子育て中のちょっとした悩みも相談し合えるため、「職場の人」という垣根を超えた信頼関係を築きやすい環境だったと感じていて、なるべく他のメンバーへ迷惑をかけないよう意識を強く持てたし、会社に貢献したいとも思えてくるし、主婦従業員への待遇が優しい企業が増えてきた気がします。


10. フリーランスの作業環境が整いつつある

漁業はもちろん農業や工業、商業まで幅広い分野で発展している糸満市で仕事を探そうと思えば、たくさんのジャンルから選べます。


画像12

以前、糸満市の会社に勤務していましたが、フリーランスになった今、作業環境で事欠かかず。西崎のコワーキングカフェ「Cafe Tiida Lab(カフェティーダラボ)」があります。

サザンビーチホテル&リゾート沖縄には、2階オーシャンビューレストラン「レイール」の入り口付近に位置するラウンジで電源を利用でき、朝のオープンから23時クローズまで利用可能です(写真の場所)。


画像10

また、海沿いのカフェなら、海を眺めながらノマドだってできちゃいます。

ポケットWi-Fiさえ持っていれば、ビーチの木陰で涼しい海風を感じながら作業することも可能。お魚センターでランチをテイクアウトして、ビーチでお弁当を食べながら作業をするのは最高ですよ(暑いけど…)


主婦が住みやすい魅力が溢れる街、糸満市

画像11

糸満市でフリーライターとして働きながら主婦をしていますが、ここまで書いてみて、やっぱり糸満が好きだなと思っている自分がいます。

仕事環境だったり、生活の利便性だったり、主婦にとって「居心地がいい」と思える環境に包まれているんですよね。

きっと私は、「タワマンっていいよね」だとか「地中海に住んでみたい」とあれこれ言いながらも、この先も変わらずこの町で生きていくのだろうと思います。そして糸満出身者ではないのに、孫たちに「糸満のおばあちゃん」なんて呼ばれる幸せな老後を送れたら幸いです。



施設名に、公式サイトや私が執筆した記事、または観光系メディアの記事をリンクしました。気になるスポットがあれば、クリックしてご覧ください。

2019年7月執筆
文:上原ねね/編集:OKINAWA GRIT 代表 みやねえ



サポートいただいたご支援は「取材費」に使わせてもらいます。今後も、いいコンテンツをつくるために。読んでいただき、ありがとうございした。