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能管の差し指 コブシの記譜法

いよいよ江井神楽も形が整ってきて、笛は細部の仕上げに入っています。能管を使った現在進行形の神楽が完成しつつります。

日本の古典音楽は口伝で(唱歌や指付けはありますが)、西洋式記譜法のようなシステムはありません。口伝の音楽は日本だけでなく世界中にありますが、そのような音楽で最も”その音楽らしい”のは独特な装飾音、いわゆる”コブシ”のような所ではないでしょうか。

能管も差し指といって、基本の奏法の次の段階として、皆様が耳にした事のあるあの特徴的な歌い回しになるのに、特殊な早い指の動きをします。これが、中々複雑で、しかも、どうやって覚えるかというと、その方法も確立されていなくて、ひたすら気合いで覚える、という事のようです。

最近、SNSでインドの伝統音楽、あの複雑な節回しを見事にイラストレーションで図解しているアカウントを見つけました。能管の差し指も、絶対に記譜出来ない訳ではなくて、(工夫は必要ですが) 今までは敢えて書かないできた、という方が現実的かも知れません。

記譜法が発達しているヨーロッパでは、音の構造を分解して理解しようとする事に抵抗がないですが、日本はヨーロッパから輸入された楽譜や音楽のシステムに親しみはあるものの、暮らしの中には何百年もこの土地に伝わる音楽に対する考え方も感覚的に残っていて、構造を理解するために細かく分析する、という事は、あまり好まない傾向があるように感じます。

ヨーロッパで即興のオーケストラに参加して気がついたのは、皆、最初の段階では、細かく理解しよう、という姿勢はあるものの、いざ、演奏が始まると、その「理解」には個人の判断が尊重されていて、実際は選択的自由で音楽が構成されるという事。相手が何をするのか理解する姿勢を持ちながら、その判断を尊重する、という基本構造の中で演奏できたのは、良い体験でした。

フルート奏者として活動する中、5年前にはじめた能管。今まで学んできた音楽の仕組みとの違いや、日本に住んでいるのに、この土地に伝わる音の思想を知らなかった事など、驚きの連続ですが、いよいよ差し指の感覚を掴む所まできました。能管しかやっていなかったら、ひたすら気合いで覚える形で上手くいくと思うのですが、他の分野との兼ね合いで、どうしても、何かもっと効率的な方法はないか、探ってしまいます。

雅楽で芝祐泰先生が大量のスコアを残して下さったおかげで、口伝の音楽でも近似値で楽譜に記せる事がわかり、時間軸と音高が瞬時に目視できるおかげで。全体像を掴むスピードは大いに飛躍しました。 書き記す際、i Padで惜しみなくカラーで色分け出来る事も、かなり助かっています。

結果的にはひたすら気合いで覚えるのと同じぐらい、時間と情熱はかかっている気がするのですが、他のものとの関係性で覚えると、今後色々な展開が期待できると思っています。

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