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フルートカフェ第14回 最高の即興体験

音楽のことフルートのことを様々な角度から探求するトーク番組フルートカフェようこそ。無意識の世界に広がる壮大な冒険の旅へ一緒にまいりましょう。


このシリーズはスタンドFMとYoutubeと両方でも配信しています。

即興と作曲

人と音を共有する時、音楽の内容しているかを表す言葉として、「曲を演奏する」「即興演奏をする」などの表現があります。

音楽演奏は大きく分けると、

  • 作曲されたものの再現

  • 再現性のない即興演奏

の2つに分類できます。

作曲(Composition)は、作曲家が意図を持って制作した楽曲。楽曲として演奏家が再現する時、作曲家の意図に沿うように取り組みます。生きている時代を共有しない過去の作曲家の作品の場合、演奏家がどのように曲を解釈”Interpretation” するか、と言う事も重要なポイントになります。

対して即興は、演奏家自身の感性が一番のポイントになります。今回のフルートカフェはこの「即興」にフォーカスしてお話して参ります。

即興演奏って何?

「今日の演奏は即興演奏です」と言われた時、「一体何をやっているんだろう。」「どうなっているの?」とお思いになる方もいらっしゃると思います。

即興演奏はその名の通り、その場の空気感の中で、楽譜などは使わずに音を生み出していく手法。その場の雰囲気で出来るから、「簡単でしょ?」とお思いになるかも知れませんが、パフォーマンスとして成立させるには、幅広い知識と高度な技術が必要になってきます。「アイディア」そのものが重要になってくるので、ほとんど即興の経験がない人が素晴らしい演奏をする時もありますが、集中力をキープしたり、内容を展開していくには、やはり技術と経験が必要です。

色々な即興

自由な即興なのに、種類がある、というのも変な話ですが、実際、即興にもいくつかのスタイルがあります。

・伝統音楽の中での即興
作曲された作品の中にも、演奏家が自ら構築する即興の部分を含む作品があります。クラシック作品のカデンツァやバロックにも即興の要素があります。

完成度が高い作曲作品も、演奏される環境の違いや、演奏者が変わる事によって毎回100%同じ内容で再現される事はありません。時空を超えて作品を共有する時に、演奏される空間、奏者、聴衆を結びつける接着剤のような役割をしてくれるのが、楽曲の中の即興的要素とも言えます。

作曲と即興と言っても、100%のラインで線引きできるものではなく、バランスに揺らぎはあれど、どこかでお互い補完し合う性質を持つものなのでしょう。

・自由即興 / 完全即興
作曲の要素を一切持たない即興演奏というのは可能でしょうか? オリジナル自作楽器で、新しい語法を生み出すアプローチの場合、限りなく可能に近いと思います。私が使用しているフルートのような伝統的な楽器は、楽器の構造を超えた音は出せないので、楽器が持つ歴史的背景がどこかで表出します。それは、過去の作曲家のエネルギーに通じる事もありますが、「作曲」と呼ぶ事はできないし、いずれにしろ、再現性がない、と言う点においては、自由即興は独立したポジションと言うことができます。

・アドリブと即興(Improvisation)
アドリブ ad lib はラテン語のad libitumが語源で、”As one’s pleasure” (心が喜ぶままに) “As you desire” (自分が望む通りに) 、と言うところから”自由に”と訳される事が多いです。

言葉の意味としては、即興(Improvisation)とアドリブは同じと言えますが、現場感覚としては、状況によって使い分ける事が多いです。ジャズのシーンでアドリブと言う言葉を聞く事が多いと思います。ジャズのスタンダード曲(コード進行や、一定に拍子感覚があるもの)のように、ある適度決められた枠の中で即興する事をアドリブ、と呼ぶ事が多いです。

ドラマや映画などの撮影で、「あの部分は役者のアドリブだった」と言うように、音楽以外の現場でもアドリブという言葉を聞く事もありますね。脚本や台本がある中で、そこに書かれていない要素が瞬間的に出てきた時に「アドリブ」というイメージだと思います。

対して自由即興は、最初から何も決まっていなくて、その場の環境、共演者、それぞれの音楽的背景を、全ての瞬間で考慮し、全体のバランスをとりながら作り上げていくスタイルです。

・フリージャズと即興(Improvisation)

1950〜60年代 オーネット・コールマンらによって生み出された潮流で、メロディー、リズム、ハーモニーなどこれまでのジャズの「枠」とされていた部分を取り払ったジャンル。特徴としては、元々ルーツにジャズの演奏技術を持った演奏家が敢えてそれを使わず、新しい手法を開拓した所です。

私は自分の表現の核にジャズのルーツを持っていますが、即興を演奏する時は、参照範囲がより広くなるので、フリージャズではなく、自由即興のアプローチと捉えています。

・日本の風土と即興音楽
日本の伝統芸能である能や狂言にも即興性がある箇所があります。その場の空気感に反応して生み出される即興表現は日本人にとって肌馴染みの良いものなのかも知れません。

・イギリスの即興 Continuous Music
10年ほど前、ロンドンの即興シーンで活動していた頃、Terry Dayと言う即興の大家と出会いました。Terryは、メインはドラムですが、その他、自作リリックの朗読、自作笛など、存在自体が音楽の塊のような人間でした。

Terryについて詳しく知りたい方はこちら▶︎
Terry Day Web Site http://www.terryday.co.uk

Terryの話で印象に残っている事が Free Improvisation 私たちが今、俗に言う「インプロ」というのは1960年代に自分達がロンドンで始めた音楽なんだ。と言う事。

アメリカでフリージャズが勃興していた時期、イギリスではジャズのルーツを持たないミュージシャン達による、メロディー、リズム、ハーモニー、構成などに囚われない音楽が生まれていたのですね。

即興演奏家といえば、Derek Bailyが有名ですが、その前にすでにではTerry達がPeople Bandというバンドで自由即興の活動をしていたそうです。

もう一つ、Terryから聞いた話で、「Continuous Music」と言う手法があって、Continuous というのは、時間的・空間的に切れ目なく続いていくという意味ですが、まさに音楽のはじまりと終わりを定義しない、というやり方。私たちの周りは常に音楽で満たされていて、パフォーマンスとして音楽を取り上げる時は、敢えてその包まれている音楽にフォーカスして、切り取ってパフォーマンスを行うという考え方。

ただし、これを実際にパフォーマンスとして行うと、客席と奏者の空間の境目もないし、いつ始まっていつ終わるかの目安もないので、混沌としたカオスになる事も多々あったそう。実際Terryの音楽は、ありとあらゆる角度からのアプローチで、非常に洗練されているのですが、こうした歩みがあったからこその音だと納得します。

Improvised Orchestra 即興オーケストラ
1985年にアメリカ出身のButch Morrisがコンダクション(Conduction)という手法を確立します。Conductionは即興演奏ができるミュージシャンによって構成されたオーケストラで、指揮による作曲と呼ばれています。よく定義されたハンドサインによって、指揮者が即興的に指示を出しながらリアルタイムで大編成のアンサンブルの音楽を構築していきます。

ブッチ・モリスは元々ジャズのトランペッターとして活躍していたのですが、ジャズのような親密な即興のアンサンブルをどうやって大編成に持ち込むかを研究した結果、コンダクションという手法にたどり着いたそう。

指揮者の采配があるので、完全な混沌に陥って収集がつかなくなる事もないし、指揮者の指示はありますが、演奏家が音の中身を決定できるので、即興と作曲の良い所どりとも言えます。

Conductionの導入後、さらに広めるべく、Butch Morrisは世界中を旅してその手法を伝えます。こうして世界各地に即興オーケストラが誕生します。そのうちの一つ、London Improvisers Orchestaraに参加した事は、私の音楽人生の大きな経験でした。その後、その手法を日本に持ち帰り、Tokyo Improvisers Orchestaraをコントラチェロの岡本希輔さんとともに立ち上げ、数年間活動しました。

Conductionは指揮者の技量が問われるジャンルですが、すごく可能性のある分野だと思います。Berlin Improvisers Orchestaraに参加されている芸術家のWolfgang Geogsdorf さんは即興オーケストラは理想の社会の縮図である、とおっしゃっています。様々な音楽的背景を持つミュージシャンが一同に集い、お互いの音を尊重しながら、革新的な音を生み出す様は生きる喜びそのもので、社会全体がこのように機能したらどんなに素晴らしい事だろうと思います。

即興の神秘体験

音楽人生の中で素晴らしい即興体験を何度もしていますが、その中でも特に印象に残っているのは、先ほどお話したTerry Dayが来日した時もお話。Tokyo Improvisers Orchestra(TIO)を立ち上げた頃、Terryが来日してくれて、TIOに参加してくださった事がありました。

TIOでConduction をするMiya

即興のオーケストラは指揮者の指示と演奏家の自発的な提案のバランスが難しい所で、そこをどうするか苦戦していたのですが、指揮者によって内容がガラッと変わる所が最高に面白い所。

コンダクションは基本はButch Morrisのハンドサインを使いますが、指揮者によって色々独自のやり方があ流ので、最初にそのやり方を説明します。

普段は、指揮者の説明を一通り聞いてから、「じゃあやってみましょう」という感じではじまります。

Terryが指揮をする場面にきた時、最初に説明を始めて、私がその通訳をしていました。ところが、Terryはお話しているそのリズムが、すでに音楽なのですね。Terryが一言二言しゃべって、さぁ、通訳をしよう、と思った時に、その時参加してくださっていた横川理彦さんが通訳を待たずして、テリーの言葉に反応して、即興的に演奏を始めました。最初はみんなテリーが説明を続けるかどうか様子見だったのですが、そこから、誰ともなく演奏が始まって、テリーもそれに合わせて指揮(指示)を出し始めて、そこから言葉では到底説明できない、この世で最も美しいと思うアンサンブルがはじました。

みんな、心の底から演奏したい音を出して、お互いを尊重して、その中でテリーの指示により、どんどんワクワクするような展開が起こる。

最も即興的な所は、今となってはそれがどんな内容の音楽だったのか、全く思い出せないという事。ただ、あの時のテリーの言葉→横川さんのバイオリン→みんなの合奏という崇高な流れで生まれた空間の万能感は強烈な臨場感、今でも感覚として残っています。

即興をしないという即興

もう一つ、強烈な即興体験は、2012年にイギリスの即興ミュージシャン Bendict TaylorとインドのバンドKENDRAKAと、インド〜マレーシア〜日本のツアーをした時。

2012年フライヤーより

基本的にはヒンドゥークラシックとジャズのフュージョンであるKENDRAKA楽曲を演奏するツアーだったのですが、1回だけ自由即興をやってみよう、と提案した所、OKが出ました。

私とBenedictは元々自由即興のフィールドなので、私たちが自由即興のDUOをやって、そのあとKENDRAKAが自由即興を展開するというプログラム。

私達のDUOは難なく終了して、KENDRAKAの番に。彼らの自由即興は聞いた事がなかったので楽しみにしていたのですが、驚く事に、それまでツアーで弾いていた曲を、そのまま普通に演奏しました。

終了後、「即興をやるって言ったよね?」と確認したら、迷いなく「即興したじゃん!』と言われ、さらに驚きました!

その一言があまりの説得力で、瞬間的に納得してしまったのですが、完成度はすごく高かったし、楽曲であっても本人が即興だというのであれば、そうなのだろう、と納得しが不思議な経験でした。

その空間、そして音楽を共有する仲間と一体化する、というのが、パフォーマンスの醍醐味、音と関わる主の目的です。

即興と作曲は完全に分離されるものではなくて、ゆらぎのバランスの中で存在しています。即興・作曲どちらにも関わらずその時に一番音の喜びを共有できるベストな方法を選択するのが音楽家の役割だと思います。

格好良くて気持ち良ければ何でもOK!

ここまで散々お話してきて、即興 / 作曲 格好良くて気持ち良ければ、どちらでも良いじゃん!というのが結論です(笑)

今回の内容を準備していて、色々即興に纏わる記事を読んだのですが、即興表現に対する評価、リスペクトが以前に比べて高まっているという嬉しい発見がありました。

Improvised Music やFree Jazzが始まった頃、新しいものが生まれる時は常にそうですが、よくわからなくて怖い、混沌としている などと言ったイメージを持た見れる事もあったようですが、その後、ミュージシャンの技術も進化し、聴き手も慣れてきた事もあって、広く一般に受け入れられつつある印象です。電子音楽 アンビエントやテクノなど一般に馴染みがある譜面を使わない音楽が増えてきたのも影響していると思います。

ロンドンの即興の現場では Spontaneous (自発的) Unpredictable (予測不能) Experimental (実験的) という言葉をよく聞きました。常に新しいものを開拓する現場では、ワクワクする展開が次から次にやってきます。音楽を楽しむ時、是非オープンな気持ちでいらしていただけると、より効果が味わい深いものになると思います。

これから、私もどんどんフレッシュな音、そしてそれを共有する環境を求めて、前に進んでいきます。また皆様と色々な場で音を共有する事を楽しみにしています。


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