答え合わせは私で。
「もっとやってあげられたらよかったなあって思うことはたくさんあるけど、でも、できることはぜんぶ精一杯やったって、それだけは自分を褒めてやってもいいと思うのよ。」
私が20歳を迎えたときに、母は私に言った。
不覚にも泣きそうになるほどジーンときた。
割と自己肯定感が低い母が、それでも自分を褒めてやってもいいと思えるほど、子どもたちには愛と手間を注いだと気負いなく言う。
私は、愛されて育った。
子育てはいろいろらしい
私はまだ、子育ての経験はないけれど、子育てに唯一の正解というものはないらしい。
たぶんそれが真理で、家庭によって、性格によって、性質によって、その方向も方法も何もかもすべてが異なるのだろう。
誰かの例になるには、私たち親子は平凡で普通すぎる。
ありふれた庶民の家庭の母と娘で、インスタグラマーになったり、ブログ発のレシピ本を出したりしない。
けれどもきっと、ほかのよくある家庭の親子とも、我が家の育児の方法も家庭の味も全部違うだろう。
我が家の場合
思春期と呼ばれる時代には、あまり激しくはなかったとはいえ、私にもそれなりに反抗期のようなものもないわけではなかった。
いちいちうるさいなと思ったことも、カチンときたことも数え切れないほどある。
私は、宿題がやっと終わって読みかけの本を開いた瞬間、部活から帰ってきてやっと座った瞬間、名前を呼ばれるのか嫌いだった。
一度名前を呼ばれたが最後、「なにー?」と問うても、キッチンに立つ母のそばまで行って聞き直さないと用件を伝えてくれない。
放っておくと不機嫌になってしまうし。
用件を聞いたら聞いたで、大体が「これ、味付けしといて。」「これ切っといて。」「これ持っていっといて。」と有無を言わせぬ手伝いの指示だし。
今考えても、ちょっとくらい休憩させてくれよと思うけれど、今思えば、休みのない主婦の仕事にこれくらい手伝ってよ、と思う母の気持ちも理解できる。
あの頃、嫌でたまらなかった手伝いも一人暮らしを始めたときにその真価を発揮した。
上手か下手かは分からない。
けれども、生活に必要な知識の基礎は何も困らないほど身に付いていたし、私の得意料理は、初めから今もずっと冷蔵庫の余り物で作る名もなき料理だ。
白菜の切れっ端ときのことネギと豚バラの余りで作る和風煮込みのような。
あるいは卵と玉ねぎと人参とベーコンの欠片で作る洋風スープのような。
実家から離れて、自分で自分の食事を世話するようになってから気がついたこともある。
どちらかと言うと優しい味付けだったなとか、野菜の量も種類もたくさん使われていたな、とか。
さらに、社会人になって外食や中食が増えてくると、子どもの頃は外食にワクワクしたことや、高校時代に昼食を売店で買うということに憧れていたことを思い出した。
それは、毎日母が私たち家族に食事を作ってくれていたということだ。
たまの、母じゃない誰かが作った食事を楽しみにできるくらい。
ほかにも、なんでも至れり尽くせりだった実家暮らし時代を振り返ると、感謝しなければならないことはたくさんある。
母は子育てに成功したと思う。
実の娘の私的には。
だって、私の根本には、ぼちぼち美味しいと思う母の味があって、電子機器に弱くてしょうがない人だなあと思いつつも母への感謝があって、この歳になってもやっぱり無条件に甘えられる存在として、そのピラミッドの頂点に母が君臨している。
私が母になる日が来たら
母というものは偉大だとこの歳になって思う。
私は母のようにはできる気がしないけれど、できれば私みたいな娘がほしいなあ。
自分で言うのも本当になんだけれど、私はいい娘に育ったと思う。
私は母が好きだし、尊敬しているし、母の日を忘れたことはないし、親孝行しないとねと思っている。
子は親の鏡らしいから、私のような娘を育てるには私には足りないものが多すぎるけれど。
答え合わせは私でお願いします
昔、忙しい時間にお手伝いしたがって大変だったのよと、母は今でも目を細めて言う。
何度も。
母にとってはあの頃の私が今もいて、慈しんでいるのだと思う。
たぶんあの頃のままに、私は今も愛されている。
見せてもらった当時の写真には、二歳の私が玉ねぎを二つ小さな手に何とか持って、でも、なんだか嬉しそうな、誇らしげな顔で写っていた。
第三者からの母の子育ての採点がどうなのかは分からないが、我が家の答え合わせは私でしていただきたい。
素敵な企画だったので、こちらにも!