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仇花

夢を見る。

小さなあの街でシズと暮らしたあの日々の夢。



私たちがかつて暮らした街は活気にあふれていた。

石で作られた背の低い家々が並び、少し歩けば野菜や肉などの生鮮食品、スパイス、お菓子やパン、日用品、ちょっとした薬、農作業や生活に必要な道具、様々な専門店が軒を連ね、店先からは店員の元気な声が聞こえる。

飲食店からはいい香りが漂い、夜になれば酒を飲める店の明かりが灯る。

そんな街に私たちは暮らしていた。

大切な人と同じ家で共に寝起きし、シズは外に働きに出かけ、私は家のことをする。

朝はフライパンに卵を二つ落とし、コーヒーと昨日買ってきたパンを炙って一緒にテーブルに並べたら、起きてこないシズを叩き起こして朝食を摂って、仕事に出かけていくシズを見送る。

家の中を片付けたら買い出しに出かければ、顔馴染みの店のおじさんが愛嬌のある笑顔でリンゴをひとつおまけしてくれたりもする。

裕福な暮らしではなかったけれど、夕食の席でその日あったことを報告し合っては笑い合う、いたって普通でささやかな、けれども私たちにとっては十分すぎるほどに幸せの日常だった。

それが私の人生の幸せな最期の記憶だ。

この日々を失うとすれば、それはずっと先、二人が老いさらばえて永久の眠りにつく日だろうと信じて疑わず、まさか奪われることなど考えたこともなかったのだ。

 

 

あの日、珍しく早く帰ってきたシズに慌てて夕食の準備をして、テーブルに出来立てのスープと煮込み料理を並べる。

最後に今朝の残りのパンをスライスしようとして、今日の買い出しでパンを買い忘れたことに気が付いた。

幸いにもシズの分には足りそうだったので切って今朝と同じように炙って皿に載せ、エプロンを外しながらいつもお金を入れている巾着を手に取る。

 

 

「シズ、パンを買い忘れたからちょっと行ってくる。夕飯は温かいうちに食べてね。」

 

 

「暗くなるけど一人で平気?」

 

 

心配性なシズに笑う。

 

 

「すぐそこのメリクさんのところに行くだけで大袈裟ね。大丈夫だから食べてて。すぐに戻ってくるから。」

 

 

「分かった。気を付けて。」

 

 

軽くハグをして家を出ると、近所の家から煮炊きする煙とともにいい香りが漂っている。

半ば落ちてしまっている夕日を見上げて、人通りが少なくなり始めた道を足早に歩きだした。

 

 

 

 

いつものパンを抱えて帰ると家の前に人だかりができていた。

首をかしげながら近づくと、お隣のおばさんが私を見て泣き崩れた。

 

 

「無事でよかった・・・。」

 

 

あまりに異常な反応に不安になる。

 

 

「何かあったの?」

 

 

家の中を覗こうとすると強引なほどに止められた。

いつもと違う知り合いの様子に不安は募り、おばさんを振り切って無理やり家に入る。

買ったばかりのパンがするりと腕の中から零れ落ちた。

家の中はもう私の家ではなかった。

ありとあらゆる扉や引き出しは暴かれ、ありとあらゆる物はなぎ倒され、床はクッションから飛び出した綿や割れた食器などで埋め尽くされ、そして作ったばかりだった夕食は床の上で踏み荒らされている。

そして、部屋の奥ではいつもシズと並んで座ったラグになぜか赤い染みができているように見えた。

いっそ現実味のない惨状を呆然と見つめながら、シズは夕食を摂らずに私を待っていてくれたのだなと思った。

そこで私は気を失い、目が覚めた時にはすべてが終わっていた。

街の診療所の固いベッドの上で混乱したままの私に、シズがもういないこと、馬鹿なことをしないこと、犯人はどこかから流れてきた余所者で捕まえることができなかったことをおばさんがゆっくりと小さな子どもに言い聞かせるように言う。

分かったような分かりたくないような、自分でも理解できない感情のまま宙を見つめたまま小さく頷く。

話を聞いて微動だにしなくなった私を痛ましげに見つめ、手を優しく握りしめてからおばさんは家に帰っていった。

その背中に小さく感謝を伝え、そして、もう少しいてもいいと言ってくれた診療所のおじいちゃん先生に、けがをしたわけでもない私がベッドを埋めておくわけにはいかないと断って、家に向かってよろよろと歩き出す。

 

いつもの3倍は時間をかけてたどり着いた家は静まり返っていた。

荒れ果てた家といつまでたっても出迎えてくれないシズにじわじわと現実が襲い掛かり始める。

それから見間違いではなかったラグの赤い染みの横にぺたんと座り込み、目の前に転がっている割れた写真たてを手に取ると、笑っている二人の写真を掻き抱いた。

なぜか周囲がうるさくて、静かにしてほしいと思ったら自分の泣き声だった。

立ち上がる気力もなく、ただひたすらに泣き、気絶するように眠って、起きてはまた泣く一日を繰り返し、あれから何日経ったのかも、今が朝か夜かも分からなくなったころ、ぴたりと涙が止まる。

そして、抱きしめていた写真を大切に懐に入れ、ゆらりと立ち上がった。

 

 

あの後、身なりを整えてまずはおばさんに挨拶に行った。

泣き腫らした顔ではあったけれど、ぎこちないながらに笑みを浮かべて挨拶に来た私の姿を見て幾分かは安心してくれたらしい。

困ったことがあればいつでも声をかけてと優しく言ってくれた。

ありがとうと返事をして、でももうこの家には住めないから申し訳ないが家の処分をお願いしたいと、さっそく好意に甘えることにする。

言葉に詰まりながらもおばさんが頷いてくれたのを確認して、優しくおばさんの肩を叩く。

 

 

「ありがとう。助かるわ。こんなことお願いしてごめんなさい。」

 

 

「どこか行く当てがあるのかい?」

 

 

「・・・ええ。少し遠いけれど。」

 

 

「そう。元気でやるのよ。」

 

 

「ありがとう。おばさんたちもね。」

 

 

最後にひとつ笑みをこぼしておばさんに背を向けた私は、精一杯に込めていた力が抜け、顔から表情が抜け落ちたことを自覚していた。



あれから数ヶ月、おばさんに嘘をついた私は、少しばかりの蓄えと荷物を持って旅に出た。
昨日の夜中に辿り着いた宿の天井を瞬き一つ分見つめ、立ち上がる。
夢はいつもあの街の幸せと絶望を一緒に運んでくる。
あの日、止まった涙は湧き方を忘れたようにあれから一滴も出てこないし、ほとんどの感情は消え去ってしまった。


うやむやになって分からなくなってしまったあの日の仇を探す旅。
この宿は、かつて住んでいたあの街から3つ山を越えた場所、王都の片隅にあり、これからしばらくはここで探し物を尋ね歩く予定だ。
昨日は夜も更けていて分からなかったけれど宿の目の前には大きな通りがあるらしく、賑やかな街の声が聞こえてくる。

宿の裏で井戸で顔を洗うための水を汲み上げる手は、旅の中で護身のための剣を知り、固くなって女性らしくはなくなっている。
シズが好きだと言ってくれた長い髪は切り、お気に入りだった綿のワンピースは家に置いてきた。


汲んだ水で口まで漱いでから部屋に戻り、簡素な服の上から防具を身に着けていく。
最初は随分と手間取っていたこの作業にももう慣れきってしまった。

こんな風に生きる私の姿を知れば、シズは悲しむだろうし、望まないだろうと分かっているけれど、すべてを終えたら謝りに行くから待っていてほしい。

 

 

 

 

 

私の旅は続く。

復讐を終えるまでは。









こちらは、企画に参加させていただくものです。


ジユンペイさんの曲で書く物語は、退廃的な大人の恋愛とかが王道っぽいなあと歌詞から勝手に想像しつつ、でも私には深夜にやるドロッドロの復讐系ファンタジーが思い浮かんでしまって気がつけばこうなっていました。
我ながら、「暗いなあ、すんごい暗い、耐えられない・・・」と思いながら書いています。
曲は、前回のあらすじとかが流れた後に入るオープニング想定。(ひとつなぎの秘宝を探しに行く海賊団のアニメのアレ的な・・・。)

たぶんイメージとは全く違う話になっているとは思いますが、お許しいただきたいなと図々しく願っています。