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わたし、おむすび派
おにぎりじゃなくて、おむすび。
そこになぜか甘美な響きを感じる。
おにぎり=おむすびなのか。
はたまた、おにぎり≒おむすびなのか。
よく知らないし、たぶんどっちでもいいのだけど、わたしは圧倒的「おむすび」派。
学生時代、家庭科を専攻していた私は調理実習でおむすびの握り方講座を受けたことがある。(冗談みたいだけど、先生の目は本気だった。)
先生はその講座の間に3回、娘の旦那も娘のおむすびより私のおむすびの方が好きっていうのよ、とさりげなく自慢していた。
(3回も言ったことに本人は気づいていなさそうだったし、本当にさりげなかったかは別問題として。)
そのおむすびマスターの言うことには、「おむすびは、優しく3回、2つ角を回して優しく3回、これだけで完成です。きゅきゅっと握らないでふわっとね。」らしい。
試食タイムはなかったから、どのくらいふわっとなのか、本当に先生がおむすびマスターだったのかは迷宮入りしているのだけど。
そして、私たちはその日、マスターの教えを守っておむすびを作り、そしてそれが正解かどうか分からないまま、講義を終えた。
(さらに、全12回のその先生の講義の中で最も熱く語られたのがおむすびの作り方だったのに、試験には出ず、私たちはなんだか腑に落ちなかった。)
一人暮らしになって自分でご飯を作るようになってからは、おむすびって食べなくなった。
もちろん、コンビニのおにぎりは食べるけれども。
でも手作りのおむすびはめっきり食べる機会が減ったように思う。
大人の場合、ご飯が食べたければ茶碗に盛ればいいし、お弁当だって普通に詰めればいい。白ごはんのおむすびすら面倒なのに、昆布とか鮭とか具入りのおむすびはもっと作る機会がない。(あと、おむすびに巻くような海苔も買う機会がほとんどない。)
おむすびは手間がかかるものなんだなあと気がついて、食べてないなあと思ったら、母の手作りのおむすびが食べたくてしょうがなくなった。
母が作るお弁当に入っていたおむすびが恋しい。
俵形じゃなくて三角のおむすびが。
大学時代の先生はふわっとしたおにぎりのマスターだったけれど、きゅきゅっと握られた母のおむすびも私は好きだし、それが子持ち昆布か、祖母が漬けたちょっとしょっぱい梅干し入りのだったら最高と言ってもいい。
私の母の手は、めっぽう熱いものに強くて、おむすびを握るときは、手のひらにぺぺっと塩をつけて、炊き立てのご飯をアチアチと言いながらきゅきゅっとしていた。
ラップ使うなり、冷ますなりしたら?というわたしに、おにぎりは炊き立てを素手で握る方が美味しいからね、と母の談。
世の中のお母さんというやつはみんなそうなのかしら。
私の手のひらは炊き立てのお米に耐えられるようにはなりそうもないのだけど。
そういえば私がたまーに作るおむすびは、母に倣ってきゅきゅっとしていて、大学で学んだことは一つも活かされていないことにも気づいてしまった。
こういうことを言うのは小っ恥ずかしいけれど、おむすびは、食事と愛情を結んでいると思う。
誰かのためにと愛情をこめたごはんは、(それが母の作ったものじゃなくても)やっぱり美味しくて、だから私はときたま私じゃない誰かが作ったごはんが食べたくなる。
自分が作るごはんってどうしても似たような味付けになりがちだし、飽きちゃうからなあ。
とりあえず今日のところは、
あーおむすび食べたい。
さて、本日の記事はハスつかさんの企画への参加記事です。
なんだかお腹が空いてくる、そんな素敵な企画です。